cp02 [大臣の憂鬱]②
遠く喧騒が聞こえるだけの静かな室内で、秒刻みに書類を読んでは放る大臣様。その傍らには古いランプが置かれている。
アンティークといえば聞こえがよいが、それほど高価なわけでもない。銅と鉄を混ぜたような深い色を基調に、シンプルな装飾が施された、火を灯すタイプの普通のランプだ。
それは沢也が幼い頃に愛用していた、彼の父親の形見でもあり、現在は別の意味で特別な代物でもある。
「よかったの?あれで」
聞こえてきた囁きに書類から顔を上げた沢也は、迷わずランプを振り向いた。彼の不器用な微笑を受けたのは、明かりの灯らないガラス管に寄りかかる小さな人影だ。
彼は虹色の羽根を羽ばたかせると、ランプの屋根まで飛び上がり、沢也に目線を合わせる。
「仕方ないだろ?」
「でも、あの人が抜けるとまた減っちゃうんでしょ?味方」
「そうは言ってもな」
「気にしてるの?」
ため息と同時に苦笑を浮かべる沢也の内心を察したように、小首を傾げた妖精は空中で胡座をかいた。
「多少な」
「でも、こればっかりは仕方がないことだって諦めてもいるんだね」
建前と本音を同時に聞いた彼は、早くも納得して宙を仰ぐ。沢也は自分と海羽、そして同じ種族である妖精達にしか見ることのできない彼…結に小さく頷いて、再度ため息を付いた。
「貴族の勢力図を見れば、そうなるな。まぁ、無理に続けさせたところで、すぐに潰れるだろ」
「そうなる前に逃がした、ってことだよね」
現在貴族の勢力争いは佳境を極めており、巻き込まれた弱小貴族の精神的負担は相当なものだろう。最近そこからドロップアウトしたのが、喫茶店を開こうとしている時田である。
「俺もまだ、甘いな…」
「罪悪感を減らしたっていうのもあるかもしれないけどさ」
「そのまま敵に回るよりは、ってのもあるな」
敵味方の概念はそれぞれだが、沢也にとっては国の方針に近い考えを持っている人々が味方であり、例に上げるなら孝や夏芽がそうだろう。彼等のように基盤がしっかりしている貴族であれば、多少の揺さぶりに動じることなどないのだが、資産や人員が十分でない貴族にとっては、致命傷になりかねないのが実際のところだ。
「じゃあやっぱり最善だったのかもね」
「そうであることを願うしかねーな」
「時田さんの事ですか?」
会話に割り込んだのは、今しがた部屋の脇にある戸を開いた人物。二人が予想した通り、音もなく扉を閉めた蒼の微笑が小さく傾いた。
彼には沢也の独り言として聞こえていた筈だが、来客の予定を把握してさえいれば、おおよその予測は付くだろう。
沢也は王座を挟んで隣にあるデスクに座る彼に頷くと、欠伸を漏らす結に目配せをした。彼は微笑んで身体を伸ばし、そのまま昼寝の体勢にはいる。
結が寝息を立てるのを見届けた沢也は、判子を手にする蒼に返答した。
「あれはもう、十分やったさ。」
「ええ。最後まで残った使用人達の退職費用に、次の就職先の世話、その後も…」
「それだけじゃねえよ。あの物件、ここの管理なんだ」
区画図の隅っこに記載された建物は、実際に赴けば分かる通り、人目につくつかない以前に見付けることすら困難な程、裏路地の入り組んだ位置にある。だからこそ買い手が付かず、処分に困っていたところに時田が手を挙げたのだ。
「それって…」
「ああ。毎月の家賃を城に寄付するようなもんだ」
「もしかして、随分と期待されてしまっていますか?」
「そういう訳じゃないだろ。あいつなりの好意ではあるようだが…」
「では、有り難く受け取っておくことにしましょうか」
沢也のため息にそう返し、蒼は思い出したように入り口を見据える。
「ところで、工事の手配は済んだんですか?」
「いいや。まだだ」
「今日は遅いですね、門松さん」
幾つかある部署のうち、飛竜の盗賊団が一手に引き受けるのが「郵便課」だ。中でも門松は毎日と言っていいほど、飛竜に乗って城と城下町の荷物を回収しにやって来る。盗賊以前の本業が大工である彼は、来たついでに城の修理や修繕を請け負ってくれるのだ。
「上空の風が強いのかもな。っつーか、荷物はまとまってんのか?」
「はい、今日はなんとかお待たせせずに済みそうだと思っていたんですが」
「互いにタイミング悪いな」
指を回す蒼に苦笑を返した沢也は、またしても小さくため息を付いた。そんな彼の様子に違和感を覚えたのだろうか、蒼の微笑が微かに変化する。
「憂鬱そうですね?」
何気なく呟かれた一言を拾った沢也の口元が引きつった。彼は手元の書類に視線を固定したまま、眉間にシワを寄せて一息に捲し立てる。
「当たり前だろ。財政は相変わらず厳しいし、馬鹿な貴族が訳わかんねぇ事で騒ぎ立て、姉貴のおかげで厄介なお節介発動され、挙げ句の果てに昨日の晩久々に仮眠取ろうとしたら馬鹿な女が部屋占領してるし…まじ、ろくなことねえ…」
「苦労が絶えませんね、沢也くんも」
「人の事言えた義理じゃねえだろ、テメエも」
「ええ、まあ……あ、そういえば…」
止まらないため息を曖昧にいなして、蒼はさりげなく、しかし確実に話の軌道を逸らした。
「リーダーさんからの報告書、もう読まれました?」
「ああ。お前は電話で直に聞いたんだったな?」
「ええ。こちらの状況を伝えるにしても、あなたとお話してからの方が良いと思いまして」
「状況っつってもな、然程変化ねえが…」
話題変更に乗った沢也が最近の書類をパラパラ捲りながら呟くと、蒼も頷いて作業の手を止める。
「そうですね。経済面で言えば、そろそろ商業や工業が安定してくれる筈なんですけど」
「上手いこと回ればな。邪魔が入る確率のが高いが…」
「あちらはどうなりました?環境保護の」
「説明繰り返したところで埒が開かねえ。このままじゃ延々堂々巡りだ。正直、なんとかしてぶったぎるしかねえよ」
舌打ち混じりの断言に肩を竦めた蒼は、立ち上がりがてら二つの書類を沢也に差し出した。
「では、いい機会ですし…早めに動きませんか?とりあえずこの二ヶ所から切り崩していくことにして」
「妥当だろうが、最初の奴等ほど簡単にはいかないと思うぞ?」
受け取った書類の内容を一瞬で把握した沢也が苦笑する。それに怯まず笑顔を強めた蒼は、着席と同時に判子を手に取った。
「承知の上ですよ。しかしそうなるとまた新しい人材が必要ですね。義希くんと倫祐くんが帰ってきてくれたのは大きいんですが…」
視線を窓の外へと向け、珍しく苦笑を浮かべる蒼に肩を竦め返した沢也は、パソコンでメールを確認して話を繋げる。
「あとは、そうだな。小次郎んとこがそろそろだろ。こっちは時田の部下だけいりゃあ充分」
「多少落ち着いたみたいですし、ついでにリーダーさんにも協力を要請しましょうか。長期戦に持ち込むには、ちょっと分が悪そうです」
「短期決戦…そうだな、年内に片を付けるか」
「また随分と急ぐんですね?あなたのことですから、もう少し余裕を持たせると思っていましたよ」
予想外の発言に判子押しの手を早めながら、蒼は脳内のスケジュール表を修正した。沢也は彼を横目に、表情を変えることなくため息を漏らす。
「今回は倫がいるからな」
「帰還したばかりだというのに、働かせ過ぎじゃないですか?」
「埋め合わせはするさ」
「また、悪いこと考えてません?」
「いや。山となった問題が崩壊する前に片付けようとしているだけだ」
沢也が言い訳を終えると同時、二人の正面に鎮座する大扉が僅かに開かれた。
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