cp01 [あれから]③

 残りの休憩時間を配達に捧げる事を決めた義希は、小太郎とくれあの家がある住宅街に着くまで目についた食べ物屋に寄り道した。どれだけ食べ足りなかったのか、パン、たこ焼、クレープにアイスクリームと大量の食糧片手…いや、両手に、腹ごしらえがてら午後の散歩と洒落こんだ。

 往来の激しいメインストリートから一本逸れた南通りに入ると、途端に空気が落ち着いて感じる。昔ながらの駄菓子屋や八百屋、定食屋や和菓子屋等が建ち並ぶ和風の通りは、行き交う人の量も雰囲気に合わせて大人しい。

 それによって、義希は進行方向から手元に意識を集中させることが出来るわけで、常人が食べる一食分の倍以上はある食料は、あっという間に彼の胃の中に収まった。

 数分後、満腹感溢れる義希がクレープのしっぽを口からはみ出させたまま見上げるのは、彼の記憶にも残る青い屋根の一軒家。

 某見晴らしのいい草原にポツリと佇んでいたそれを、根こそぎここまで運んだのは彼等が結婚を決めた翌日だそうで。今やすっかり街に馴染んだ小さな家は、敷地の二分の一を占める庭の奥で、ひっそりと主人の帰りを待っている。どこから仕入れてきたのか、見上げるほどの高さがある広葉樹につるされた手作りのブランコが、時折訪れる風に合わせて揺れていた。

 義希は昔のことを思い出しながら、背の低い冊越しに中の様子を窺う。鼻をくすぐる芳ばしい香りからして、もしかしたら食事中かもしれないと躊躇う彼は、庭の手前にあるインターフォンに人差し指を掲げたまま空を仰いだ。

「なにしてるのかな?隊長さん」

 突如響いた声に、大袈裟過ぎるほど身を跳ねさせた義希は、素早く息を整えた後、屈むことで笑い声を発し続けるマイクに目線を合わせる。

「驚かすなよぉ、くれあぁ…」

「だって、なかなか押してくれないんだもの。そんなところに突っ立っていないで、こっちにいらっしゃいな」

 情けない声に告げた彼女は、マイクから離れてすぐに玄関を開けてくれた。苦笑と共にこじんまりとした門を抜け、くれあが手招く方へと進む義希の足を石畳が導いてくれる。テンポの良い足取りを止めると同時、手をかけた扉を肩で支え直す彼の笑顔を受けて、くれあの微笑も心なしか強くなったように思えた。

「お久しぶりね、義希くん」

「ああ、久しぶりっ!ってか大丈夫なん?!腹、随分でかくなってるけど…」

「あら。まだまだ大きくなるわよ?」

「まじで?破裂したりしないよな?」

「あははははは!やだな、もう。打ち合わせでもしてきたの?小太郎も全く同じこと言ったんだから」

 爆笑するくれあに参ったと言わんばかりに頭をかいて、義希は手元の焼き鳥入りの袋を差し出す。勿論、小太郎からの差し入れだと伝えることも忘れずに。

 くれあは内容を確認してクスリと漏らすと、膨らんだお腹にそっと報告をした。義希はそんな彼女を微笑ましく見守りながら、胸の奥に様々な感情を沸き上がらせる。安堵…いや、なんとも表現し難い感覚を伝えようと頭を働かせて唸る彼に、くれあの笑いが注がれる。義希は思考が読まれたことに気付き、照れ隠しに肩を竦めた。

「元気そうで良かったよ」

「義希くんの方こそ。小太郎がいつも心配してたから」

「え?オレを?」

「そう。有理子ちゃんに構ってもらえなくて、なんか暗いって」

「う…あいつめ…」

「ふふふ、会えなくても筒抜けです。えへん」

「だ、大丈夫!オレもくれあのこと聞いてるし!」

「ホントに?」

 腰に当てていた手を後ろに回し、たじたじな義希を見上げるくれあ。義希はその悪戯な眼差しに押され気味に、しかし間を開けずに回答する。

「最近貧血気味だって?」

「うん…まぁ、少しね」

「この前は子供の名前のことでちょっと喧嘩したとか」

「だって、小太郎ったら頑固なんだもん」

「ってか、あと8人は産んでもらうとか言ってたけど…」

「そうよ?野球チーム作るんですって」

「本気だったんだ…」

「無謀な野望が本気なところが、小太郎の凄いところよ?」

 再び自慢気にふんぞり返ったくれあに、唖然としていた義希の口元も笑顔に変わった。

 訪れた小さな間。萎んでいく二人の柔らかな笑顔の中に、滲み出てきた寂しさが帯びる。

「義希くん」

「ん?」

「あの人大丈夫そう?職場で」

「うん、見た感じは。…あ、浮気の心配なら…」

「ううん、そうじゃなくて。なんて言うか…人間関係とか、ね…」

「ああ、そんなこと?それなら心配いらないよ。あいつ、何だかんだ言って人望あるから」

 笑い飛ばすように言い切った義希の、疑いようもない朗らかさに安堵したのか、強ばっていた表情筋を自然と緩ませたくれあは、同時にホッと息を付いた。

「そっか。なら安心した」

 彼女が胸を撫で下ろすと、どこからともなく振動音が聞こえてくる。直接それを体感した義希がポケットを探すと、携帯電話が部下の名前を表示して着信を知らせていた。

「おっと、呼び出しだ」

「忙しいのに、悪かったわね」

「…いやいや、気にすんなって」

 義希は残念そうなくれあの肩竦めを受けて彼女の頭を撫でると、携帯をしまってしっかりと視線を合わせる。

「またゆっくり遊びに来るよ。大事にな!」

「ありがとう、義希くんもね」

 最後に頷くくれあの膨らんだ腹部にも小さく挨拶を残し、義希はその場を立ち去った。


 くれあの姿が見えなくなると、鳴りやんだ携帯を取り直し、慌ててリダイアルする。コールが始まるか始まらないかといううちに繋がった通信、相手側の喧騒が大きいことからして、なにかの事件だろうか。

「悪い、どうした?帯斗」

「隊長ー!また例のブツ持った若いのが!早く来てください、俺達だけじゃどうにもならないです!」

「まじか!場所は?」

 返答を聞くやいなや駆け出す義希の背後、彼を呼び止めたのは沙梨菜の声だ。

「義希ー?まだ終わらないのぉ?」

「ぅあ、沙梨菜!悪い、急な要請入っちまって、残業なんだ。いつ上がれるかわっかんねーし…だから、その…えーと、一人で行ってきて?」

「えー」

「悪いごめん悪かった!この穴埋めはいつか必ずっ!」

 その場で足踏みを続けながら顔の前で両手を合わせる義希に、沙梨菜は仕方がない事が分かっていながら、つっこまずにはいられない部分だけを早口に指摘する。

「そう言いつつ、ちょっと安心したような顔してるのはどーして?」

「うっ…そ、そりゃあ…その…」

「もー!今度根掘り葉掘りほじくり返しちゃうんだから。覚悟しとくんだぞー?」

「ああ。みんなによろしくー」

 沙梨菜が放った解放の合図と同時、脱兎の如く駆けていく義希の背中を周囲の人々が見送った。



 平和な日常は潮風の中に。


先に続くのは、広大な海に浮かぶ小さな島の、小さな物語。

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