第048話 ズキューーンッ

「気を付けていってきなさいよ」

「ああ。分かってるよ」


 家を出る前に母さんが俺に声をかける。


「お兄ちゃん、お土産よろしくね」


 アイリも甘えるように俺にしがみついて見上げてきた。


「しょうがないな」

「にへへ……」


 呆れつつも頭を撫でてやると、アイリは頬を緩ませる。


 その顔にもう影はない。以前とは大違いだ


「じゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃい、お兄ちゃん」


 俺は2人に見送られて家を後にした。


 母さんの病気が治ってから1週間。


 薬が効いて母さんはすっかり元気になっている。まだ完全とは言えないけど、随分顔色が良くなって動けるようにもなった。


 グロースさんの見立てでは、これから徐々に良くなっていくだろうとのこと。


 俺はようやく肩の荷が下りた気持ちになった。


 母さんは「働くわ!!」などと宣っていたけど、当然止めた。


 大分落ち着いたので、今日は森の最深部に向かっている。


「サーシャ、いるか?」


 万年樹の前で呼びかけると、燐光が目の前に集まってきて人型を形作り、最終的に妙齢の女性が姿となった。


「イクス、よう来たの」

「あ、ああ。久しぶりだな」


 1週間ぶりに会ったけど、やはり美しい容姿にドギマギする。


「それで、今日はどうしたのじゃ?」

「遅くなったけど、色々世話になったから、少しでも礼をしようと思ってな。何にしたらいいか分からなかったけど、化身を得るのが初めてなら人間の料理を食べたことがないんじゃないかなって。こんな物で礼になるかは分からないけど」


 金品や装飾品なども考えてみたけど、森に棲んでいるサーシャには必要のないものだし、興味もなさそうなので止めておいた。


「ほう、人間の料理とな!! 確かに人間たちが食べている料理は食べたことがない。それどころか、栄養を摂る必要がない故に、この体ではまだ飲み食いしたことすらない。とても興味あるのう」

「それは良かった。買えるだけ買ってきたから食べてみてくれ」


 嬉しそうなサーシャを見て安堵すると、俺は育成倉庫から料理を出して食べ方を教えた。


「美味い!! 美味いのう!! 人間はこんなに美味しいものを食べておったのか!! ズルい!! ズルいのう!!」


 地面に葉っぱを敷き詰めて敷物にした上に座り、初めて料理を口にしたサーシャはとても満足そうな顔で食べている。


 こんなに嬉しそうな顔をされたら、俺も選んだ甲斐がある。


「ふぅ……食った食った」


 サーシャは何人前もあった料理をぺろりと平らげてしまった。


 肉料理が好みのようだ。自分が植物だからかな。


「それじゃあ、食後のデザートも出すよ」

「デザートとな?」

「果物や木の実とはまた違った甘い食べ物だ。気に入ってくれるといいんだけどな」


 俺は次にお菓子の類いを取り出してサーシャの前に差し出す。


 サーシャはお菓子を観察するように見つめた後、口に入れた。


「な、なんじゃこれは!?」


 その途端に瞳をカッと見開いて、凄い勢いでバクバクと食べ始め、あっという間に全てのお菓子を食べ終えてしまった。


「もうないのか……」


 お菓子がなくなると悲しそうな顔で俯くサーシャ。


 料理とお菓子をあれだけ食べたのに……。


 俺はその胃袋のデカさに驚愕。化身に胃袋があるのかは知らないけど。


 悲しそうな顔は見ていられない。


「これからも定期的に持ってくるから安心してくれ」

「本当じゃな!?」


 言葉を聞いた瞬間、サーシャは顔をガバリと上げた。


「ああ。1度持ってきたくらいで恩は返せたとは思っていないからな」

「そうか。それは楽しみじゃ!!」


 しっかりと頷くと、サーシャは嬉しそうにはしゃぐ。


「あ、そうじゃ!! お主には加護を授けてやろう」

「いやいや、そんなもの受け取れないよ。それに受け取る理由もないし」


 突然良いことを思いついたと言わんばかりのサーシャ。


 でも、俺はすぐに拒否した。


 だって、加護はほんの数人しか与えられないような貴重なスキル。俺なんかに与えていいものじゃない。


「加護は気に入った者に授けるものじゃ。ワシはお主が気に入った。理由はそれだけで十分じゃ」

「でも……」


 ただでさえ世話になってばかりなのに、そんなものまで貰ったら一生その恩を返せそうにない。


「嫌……かの?」


 しゅんとするサーシャ。


 そんな顔をするのはズルい。


「嫌じゃないけど俺には何も返せるものがない……」

「気にするでない、と言っても気になるじゃろう。じゃから、料理や菓子を持ってきてくれればよい」

「はぁ、分かったよ」


 これ以上食い下がったところでサーシャが困るだけだ。


 ありがたくもらうことにしよう。


「それでよい。では、近う寄れ」

「分かった」


 俺はサーシャと1メートルくらいまで近づいた。


「遠いのう」

「そうか?」


 さらに一歩近づいた。


「もっと」

「も、もっとか?」


 もう一歩足を踏み出すと、サーシャはもう手を伸ばせば届く距離だ。


「もっとじゃ」

「も、もっとか!?」


 これ以上近づいたら、ほとんどゼロ距離だ。


 そこまで近づくのは恥ずかしい。


「はよせい」

「わ、分かったよ……」


 戸惑う俺はサーシャに促されてさらに一歩、彼女に近づいた。


 ただでさえ直視するのが難しいほどの美貌の彼女。この距離では真っすぐ見れずに視線を逸らしてしまう。


「ふむ。よかろう」

「えっ?」


 突然サーシャの手が俺の頬を挟みこんだかと思うと、彼女は俺の顔を強制的に自分のほうに向けさせた。


 顔が徐々に近づいてくる。


 ――ズキューーーーーーンッ!!


「!?」


 そして、気付いたら思いきり口づけされていた。


 はぁあああああああっ!?


 驚愕で必死に離れようとしても、SSランクのサーシャががっちり押さえ込んでいては、動けそうにない。


 俺はなされるがままだ。


 同時にサーシャから力が流れ込んでくるのを感じる。


「ん、ぷはぁ、これでよし」


 しばらくそのままでいると、ようやくサーシャが俺を解放した。


「っぷはぁっ!! これでよし、じゃない!! な、な、なにするんだ、いきなり!!」

「何って加護を与えたんじゃが?」


 ようやく息ができるようになって問い詰めると、サーシャはコテンと首を傾げる。


「と、突然口づけしてくるなんてびっくりするだろ!?」


 まさか加護に口づけが必要だと思わなくて動揺する。


「必要なことじゃからな。そういえば人間は好きな異性に接吻するのであったのう。どうじゃ、ワシの初めての接吻は良かったかの?」

「そ、そそそんなこと知らんわ!!」


 分かるように説明したら、ニヤニヤした笑みを浮かべながら問い返してくるサーシャ。


 その艶やかな唇に視線が吸い込まれ、先ほどのサーシャの唇の感触が蘇る。


 俺は慌てて顔を背けた。


「なんじゃ? 忘れたのか? もう一度するかの?」

「するわけないだろ!!」


 からかうように俺の顔を覗き込んでくるサーシャに怒鳴る。


「つれないのう……それでどうじゃ?」

「何を……って加護のことか」


 残念そうなサーシャ。俺は口づけが衝撃的過ぎて一瞬なんのことか分からなかったけど、すぐに思い出した。


「うむ」

「そうだな。大きな力がみなぎっているのが分かるな」


 視線を落とし、手を開いたり閉じたりしながら自分の内にある力を感じ取る。


「初めてで心配じゃったが、きちんと加護を与えられたようじゃな」

「ありがとう。この恩は必ず返すよ」


 サーシャには返しきれない恩ができた。俺が生きている限り、できるだけ料理やお菓子を持ってこようと思う。


「初めてを奪ったんじゃから、責任をとってくれても良いのじゃぞ?」


 俺の気持ちを他所に、再び揶揄おうとするサーシャ。


「はいはい、そんなことよりもこの前さ……」


 何度目かともなれば、少し耐性もつく。


 適当にあしらった後、俺はサーシャに最近の出来事を語って聞かせるのであった。


 サーシャはそれをウンウンと楽しそうに聞いていた。

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