第005話 死の間際に

「チチチチッ!!」

「グゴァッ」


 リリが素早く飛び回りながらつついて自分に注意を引き付け、ルナが足元に齧り付いて足止めする。


 ホブゴブリンはたまらず、振り払うような仕草をして暴れ出した。


 リリ、ルナ、ありがとう。


 俺はその間に、アイリの許に駆け寄った。


 アイリは呆然として、腰を抜かしてガクガクと震えている。


「アイリ、大丈夫か!!」

「お、お兄ちゃん!?」


 声を掛けると、俺の方を向いて焦点があった途端、アイリの目端に涙がブワッと溢れ出す。


 相当怖かったみたいだな。


 そして、すぐに申し訳なさそうな顔になって俯いた。


「なんでここに……」

「それは後だ。無事でよかった。今すぐここを離れろ。俺がアイツを引き付ける」


 今大切なのはアイリを逃がすこと。それ以外は後回しだ。


「ご、ごめん。腰が抜けて動けない……」


 アイリは何度も立とうするけど、立ち上がれないみたいだ。


 くそっ。


 ホブゴブリンはEランクモンスター。Gランクモンスターしかテイムできない俺に勝ち目はほとんどない。


 ただ、幸い足はそんなに速くない。だから、脚さえ動けば逃げられるはずだった。でも、アイリが動けない今、どうにかして捜索隊が助けに来るまで耐えるか、倒す以外にない。


「お兄ちゃんなら、あいつ倒せるよね? ね? テイマーになったんだもん」

「あ、あぁ、任せておけ!!」


 縋るように見つめるアイリに俺はまた嘘を吐く。


「だよね、良かった……」


 妹は安堵して、深く息を吐いた。


 俺はアイリを木の陰まで運び、使い慣れた剣を抜く。


「ここでジッとして待ってろよ!!」


 できるだけ心配させないように笑いかけ、俺は飛び出した。


 闇雲に暴れるホブゴブリンに接近して足を斬りつける。


 俺もテイマーの端くれ。3匹分の能力を恩恵として受けている。


 とはいえ、戦闘力がほとんどないGランクモンスターの力が3つ集まったところで微々たるもの。多少力が強いものの、一般人とそう大差ない。


「グゥウウッ」


 だから、ホブゴブリンの肌に浅い傷を一つ作っただけ。ほとんどダメージを与えられていない。


 それでも隙をついて何度も斬りつける。


 でも、ホブゴブリンがリリたちの攪乱に慣れてきて効果が薄くなってきた。リリたちの攻撃が自分にダメージがないことを理解されてしまったからだ。


「離れろ!!」


 俺たちは一度ホブゴブリンから距離をとった。


「グゴォオオオオオッ」


 ホブゴブリンが自分に傷をつけた俺を睨みつける。


 相当苛立っているみたいだな。それでいい。できるだけアイリから注意を逸らすんだ。


「リリは顔を、ポーラとルナはあそこを狙ってくれ」

「チチッ」

「プーッ」

「キュッ」


 3人に指示を出して、俺は突進する。


 ポーラは俺の肩を飛び降り、ルナと一緒にホブゴブリンに飛び掛かった。


 リリが顔を重点的につつくと、ホブゴブリンと言えど、目を瞑ってしまうのは防衛本能。振り払おうとしても、リリはかなりすばっしっこいのでなかなか当たらない。


 俺もその間に近づき、再び足を斬り付けた。


「グガァッ」


 ホブゴブリンは目をつむったまま顔を歪める。俺はホブゴブリンが振り回す腕を掻い潜り、再び何度も何度も斬りつける。


 そして、ホブゴブリンはようやく膝をついた。


 なぜホブゴブリンが膝をついたのかと言えば、俺が執拗に同じ場所を狙って攻撃して、傷を広げていったからだ。ルナにも手伝ってもらった。


 格上の敵だって同じ場所を攻撃されればダメージが蓄積する。おかげで最初は小さな傷が、今ではかなり大きくなって血が流れ出していた。


 学生時代、最下級モンスターしかテイムできなかった俺は、自分自身も鍛えなければならないと考えた。


 筋肉を鍛えながら、独学で素振りを行い、剣士の噂を聞けば、その人が戦っているところや練習しているところを盗み見て、見よう見まねで練習していた。 


 そのおかげである程度思ったように剣が触れるようになった。その成果が活きた結果だ。あの努力は無駄じゃなかった。


 このまま続ければ勝てる。


 俺の心に希望が灯った。


「グオォオオオオッ!!」

「チィイイイッ……」

「リリッ!!」


 しかし、そのギリギリの均衡はあっさりと破られる。


 ホブゴブリンの拳がリリを捉え、殴られてしまった。リリは吹き飛ばされ、地面に落ちてピクリとも動かない。


「フゥー……フゥー……」


 ホブゴブリンは荒い呼吸をしながら、痛みを無視して立ち上がる。モンスターだって殺されたくない。相手も必死だ。


「グゴォッ!!」


 邪魔するものがなくなったホブゴブリンが、突っ込んできて拳を振るう。


 速い。


 先ほどまでとは比べ物にならないくらいスピードのある攻撃を、俺はギリギリのところで避ける。


 耳元を一陣の風が吹き抜けた。


 それが攻撃の重さを物語っている。先ほどよりも力の乗った攻撃は、一発当たったらそれで終わりだ。


 命のやり取りに、背筋にぞくりと寒気が走る。


 ホブゴブリンはまるで暴風のように拳を連打してきた。


「うっ」


 俺はどうにかその拳を掻い潜る。でも、反撃する暇がない。


「あっ……」


 そして不運なことに、俺は地面に出ていた木の根っこに足を取られてしまった。


「グゴォア!!」

「がはっ」


 その隙を逃すホブゴブリンではない。


 チャンスと見たホブゴブリンの拳が俺の腹にめり込んだ。俺は吹き飛ばされて、石ころのようにゴロゴロと転がった。


 ぐぅ……。


 俺は痛みで意識を失いそうになる。


 ダメだ。こんなところで意識を失うわけにはいかない。俺は思い切って唇を噛んで意識を保つ。


 しかし、剣を杖のようにしても膝を付いた状態から立ち上がれそうにない。


 殴られた場所がズキズキと痛む。

 

 俺に影が落ちる。見上げるとホブゴブリンが勝ち誇った顔で見下ろしていた。


 もうどうしようもないのか? 何か……何かこいつを倒す手段は……。


 ホブゴブリンが俺に止めを刺すために拳を振り上げた。


「プーッ」

「キューッ」


 ポーラとルナが小さな体を目一杯に広げ、ホブゴブリンの前に立ちはだかる。


 駄目だ……お前たちが殴られたら死んでしまう……。


 動け、動け、動けぇえええええええっ!!


「止めろぉおおおおおおおっ!!」


 俺は最後の力を振り絞って体を動かし、ポーラとルナの前に躍り出た。


 ――バキィイイイイイイッ


「ぐはぁあっ!!」


 ホブゴブリンの拳が俺の顔に直撃して再び吹き飛ばされて転がっていく。


 意識が朦朧とする中、木々の隙間から赤く染まった空が見える。


 もう……だめなのか……? アイリも、リリも、ポーラも、ルナも、母さんも……誰も守れずに死ぬのか? …………嫌だ……まだ死にたくない!! 守りたい……家族を……そして、相棒たちを!! 


 力が……皆を守る力が欲しい!!


『条件を満たしました。個体名、リリ、ポーラ、ルナが進化します』


 心の中で、強く……そう強く願ったその時、俺の脳内に無機質な声が響き渡った。

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