第9話 二度目の恋は土の女神
定期報告という名の地獄が終わった翌朝。
俺は重い足取りで通学路を歩いていた。
月曜日の朝が憂鬱なのは以前から変わりないのだが、今後は以前よりも苦しい朝となりそうだ。定期報告は毎週あるとかで、その度に彩音が襲来するとか悪夢でしかない。
それ以上に憂鬱な気分になるのは直近に迫った問題。
「……次の姫攻略か」
風間との関係を保ったまま、二人目の姫を攻略しなければいけないらしい。
「無茶言いやがるぜ」
たった一週間だったが、風間と話していた一週間の疲労は凄まじかった。これをまたするのかと思ったら気が滅入る。
救いなのは接点を彩音が作ってくれることだろうか。自分から話しかけるのでなければ難易度は幾分か下がるだろう。焼け石に水程度ではあるけど。
「っ」
ぐったりしながら歩いていると、視界に見知った少女が映った。
長い髪を靡かせた少女。後ろ姿だけでも美少女だとわかる。実際に美少女なのもよく知っている。
周囲にいる人々は吸い込まれるように彼女を見つめ、その美しさに感嘆の息を漏らす。
そいつの正体は幼い頃からよく知った相手だ。初恋を捧げた幼馴染の後ろ姿を間違えるわけもなく、俺は足を止めた。
昔はこのタイミングで声を掛けたっけな。
仲良しだった頃の甘く楽しい思い出と、中学時代の後半に味わった苦々しい思い出が脳裏をよぎる。
小学生の頃はいつも一緒に登校していた。中学生になっても最初の頃は一緒に登校していた。途中からは俺が意図して避けるようになり、高校に入学してからは一度も接触していない。
俺が意図的に接触しないようにしたからだ。
おかげで疎遠になった。あいつが姫ヶ咲学園を受験していたのも知らなかったくらいで、登校初日にその姿を見かけて心臓が飛び出そうになったのは記憶に強く残っている。
あいつも姫だったよな。
声を掛けるか?
一瞬だけそう考え、首を振る。
止めておこう。何年も会話をしていない。今さら何をどう話したらいいのかわからない。彩音の言うように今の俺とあいつは月とスッポン状態だ。話しかけても無視されるだろう。無視だけならまだ救われるが、突き放されたらテンションは底まで落ちる。
姫攻略において関わらないと決めた一角だし、わざわざ自分から地雷を踏みにいく必要はない。
「聖女様、おはよう」
「おはよう。それと、変な名前で呼ぶのは止めて」
「はいはい。けど、今日は随分と早いね」
「そうかな? いつも通りだと思うけど」
ジッと見ていると、あいつは友達と合流した。挨拶の言葉を交わしてそのまま学園のほうに向かって歩いて行った。
結局、声は掛けなかった。
◇
あいつに追い付かない速度で歩き、学校に到着した。
朝から無駄に疲労してしまったが、無事に見つかることなく登校できたので良しとしよう。
窮地を脱した俺は安堵の息を吐いた。
人間って生き物は油断している時に攻撃されると受けるダメージが倍増する生き物だ。ボールが来るとわかっていて頭にぶつかるのと、まったく想定していない状況でぶつかるのでは被害の大きさが違いすぎる。
そう、俺は油断していた。
疎遠になった幼馴染と顔を合わさなくてよかったと安堵し、全身から力を抜いて靴を履き替えた。まさにそのタイミングだった。
「おはよう、佑真君」
聞き慣れた声が鼓膜を震わす。
挨拶と共に近づいてきたのは女子生徒だった。顔を上げると、そこに立っていたのはこれまたよく知った顔であった。
「お、おはよう」
「久しぶりだね」
久しぶりに彼女の顔を見た瞬間、もう一つの甘く苦い思い出が頭の中に浮かび上がった。楽しかった日々、苦しかった日々が鮮明によみがえる。
姫ヶ咲学園総選挙第3位・
彼女こそ中学時代に人生二度目の恋をした相手であり、恋愛ってものを諦めるきっかけになった少女である。
二つ名は”土の女神”。
姫なのか女神なのかはっきりしろとツッコミを入れたくなるが、そう呼ばれているのだから仕方ない。
中学時代は友達だったが、俺が恋愛を諦めてからは少し距離が開いた。
別に仲が悪くなったわけではない。恋心を失ってからも普通に会話はしていたし、友人関係は続けていたつもりだ。
もっとも、途中からは受験を言い訳にして距離を取っていたが。
高校に入学してからは意図的に避けていた。たまに声を掛けられることもあったが、軽く挨拶して終わっていた。向こうは高校に入学して友達も増えたらしく、二年生になってからは一度も話していなかった。
「ひ、久しぶり」
苦笑いでそう返すと、土屋はぺこりと頭を下げた。
「今回は本当にありがとね、佑真君」
「……?」
「彩音ちゃんから聞いたよ。相談に乗ってくれるんだよね」
その言葉で繋がった。
彩音の知り合いって土屋だったのかよ。
よく考えてみればわかったはずだ。彩音からすれば土屋は中学時代の先輩だ。そういえば同じ部活だったな。
やってくれたぜ。
とはいえ、これは意図したものではないだろう。俺が土屋に恋していたことを彩音は知らないわけだし。
「本当に困ってたんだ。もう頼れるのは佑真君しかいないんだ」
今さら相談に乗れないとは言えないよな。理由は知らないけど随分と切羽詰まっているようだし。
ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
「わかった。俺に出来ることなら協力させてもらう」
「ホント?」
「と、友達だろ。俺達」
引きつった笑顔で言葉を紡ぐと、土屋は再び頭を下げた。
しかし相談って何だ?
頼れるのが俺しかいないってことは中学時代に関係した用件だろうか。昔の友人に連絡を取りたいとか、ケンカした旧友との仲裁とか、あるいは中学時代の先生関連とか。
「実はね……失恋しちゃったの」
不意打ちに心臓が高鳴った。
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