第5話 ハーブコーディアルと百合根のあんを添えたお花畑のパンケーキ(3)

 その虚しさが、臓器にまで染み渡った結果だろうか。区の無料婦人科検診で、子宮に謎の影が見つかった。

 医者は額を拭いながら言った。


「落ち着いて聞いてほしいんですが、子宮に不思議な影が見えます。申し訳ないんだけど、僕に言えるのはそこまでです。

 というのも、今年に入ってから皆川さんのような症例がぽつぽつと婦人科学会で報告され始めているんですが──わからないんですよ、何も」


 子宮に影。婦人科学会で報告。何もわからない。


 とっさに「不治の病」という言葉が浮かんで、目の前が真っ暗になった。


「細胞診もしていますから、1週間後にはがんかどうかの判別はつきます。その後はいずれにせよ、大学病院に行っていただくことになると思います」


 そのほかにも何か言われたと思うけど、正直あまり覚えていない。ふらふらしながら帰路につき、本屋で子宮がんを患った人のエッセイを買った。

 それを家のソファで読み、残り物で夕食を作って夫を待った。早く帰ってきてほしい、気づいたら祈るように両手を組んでいた。


「ただいま」


 低い声を聞いて、ぱちっと目を開ける。真っ先に視界に入ってきた、たぬきの置物みたいなお腹に向かって「おかえり」と返した。

 夫の帰りを待ちくたびれて、ダイニングテーブルでうたた寝をしてしまったらしい。


 見上げた先にある顔は、いつも通りくたびれて無愛想だけど、機嫌が悪いわけじゃない。

 白髪染めでやたら黒い髪、だるんとした下まぶた、知り合った頃より広がった鼻。結婚してから20年を共にしてきた相手の変化を、しげしげと見つめた。


 ふいに涙がこぼれた。夫は脱衣所に行くためにちょうどきびすを返したところで、私が泣いたことに気づかなかった。

 夕食は互いに言葉少なに終え、食後にお茶を飲みながら、今日の検査結果について話すことにした。


「え?」


 というのが、夫の第一声だった。


「エコーに、何か黒い影が映ってたの。2年前にも良性のポリープが見つかったから、それじゃないんですか? ってお医者さんに聞いてみたけど、違うらしくて」


「ポリープ?」


 そう聞き返されて、今度は私が「え?」と声を上げた。夫がほんの一瞬、バツの悪そうな表情を浮かべる。


「……うん、ちょっと大きめのポリープができてたって、私、言ったけどね」


「いや、うん、覚えてるよ。俺なんかもうずっと肝臓の数値が悪いし、尿酸値もあれだしさ、こんな調子じゃ老後なんてないかもしれないよ」


 メタボだもんね、という言葉を飲み込んで、テーブルの上に今日買ってきた本を置く。

 がんと診断されるまでの流れ、その後の心境変化、家族のサポートなどが大きな文字と平易な文章で綴られていて、30分もあれば読み終えられた。


「まだ、がんと決まったわけじゃないけど、何かの病気であることには変わりないだろうから。今後のことを考えて、あなたにも読んでおいてほしいの」


 検査後に診察室に呼ばれるまでの時間の長さや、医者のうろたえた様子からいって、穏やかな結果は想像しにくかった。

 それに「僕に言えるのはそこまで」という台詞は、「これ以上聞いてくれるな」という拒絶の姿勢にも思えた。


「もちろん読むよ。大丈夫、俺はまりあをしっかりサポートする」


 いつになく力強い言葉にほっと安堵すると、改めて涙が流れた。

 なんだかんだ、この人と結婚してよかった。もしひとりだったら、どんな気持ちで今日を過ごしていたことか。


 その夜は、夫は風呂上がりに晩酌を始め、本を手に取ることはなかった。私は来週の検査結果のことを考えながら眠りについた。


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