井上依千華

第1話

 収骨室に骨上げ台が運ばれてきた。骨上げ台の上で横たわる兄の身体はいびつに焼け崩れていた。――それは兄のお骨のほとんどが灰になっていたという意味ではない。

 

 つい最近、私は祖母の葬儀に立ち会った。寝たきりの期間が長い老人の骨というのは非常にもろくなっており、火葬では原型をとどめにくいと聞いていたが、祖母のお骨を見て、こんなに残らないものなんだ……と驚いた。

 太い骨は残っていたものの、細い骨は焼け崩れていた。しかし、その痕跡はあった。全体を見ると、輪郭はぼやけてはいたが綺麗な人の形をしていた。


 しかし兄のものはどうだろうか?


 人間のもつ左右の対称性が完全に失われていた。右腕のお骨ははっきりと確認できるのに、左腕は妙に短く、太さも一様ではない。脚も似たような状況だった。頭蓋骨は右側側面は完全に失われていた。他の細かな骨については状態がまちまちで、そのシルエットだけで人間の骨だと認識するのは不可能に近かった。骨上げのために火葬場の職員の方が苦心して並べ直し、この状態だ。兄の遺体の損傷がいかに激しかったかが分かる。


「――焼死体は、火葬の時、火の入れ方が難しいらしいね。ちゃんと全体を骨にしようとすると、すでに炭化していた箇所は火が入り過ぎて、灰になっちゃう」


 叔父のデリカシーにかける一言に答えるものは誰もいなかった。 


「だったら、全部灰にしてくれたら良かったのに……」


 私は骨上げ台を見下ろしながら小さく呟いた。



  *



 梅雨が明けた空の鮮明な青に圧倒されながら、私はひとり、兄の入る墓の前に立っていた。幼少期、両親に連れられた私達兄妹きょうだいは同じお墓の前で手をあわせた。蝉の鳴き声、風の音、木々の葉がこすれあうさざめきに包まれた穏やかな時間だった。


 兄の死因は交通事故だった。自動車の自損事故だ。


 真夜中、道が細く曲がりくねった山あいの道、その中でも比較的緩やかなカーブで兄の運転する車はガードレールを突き破り、谷底に落下した。そして炎上した。何かを避けるようなタイヤ痕跡がなかったことから、動物や対向車などを回避した結果ではないだろう、と警察では判断された。梅雨晴れで滑りやすいような路面状態ではなかった。


 結局、スピード超過でカーブを曲がり、制御出来なくなったに違いないと結論付けられた。兄のアパートには缶チューハイやビールの空き缶や、飲み残しが大量に残されていた。泥酔状態で運転し、正常な判断が出来なかったのだろうと警察は推測し、そう私達に説明した。


 飲酒運転による自損事故。

 

 私は信じられない気持ちだった。

 兄が泥酔するほどお酒を飲んだ姿を見たことがない。そもそも兄がお酒を飲んでいる記憶すら数えるほどしかなかった。兄はお酒を避けていた。それは体質だけが理由ではなかった。――なにより兄自身が飲酒運転の被害者だった。


 兄が中学生三年生のときだ。酒気帯び運転をしていたとある未成年の男が自動車事故を起こし、兄はその事故に巻き込まれた。その事故によって兄は脚に大きな怪我をした。

 歩行は可能であるにせよ、左脚に力が入らなくなった。兄は杖を使うことを拒否し、少し右側に身体を傾け、左脚を引きずりながら歩くようになった。


 兄はサッカーが得意で、高校進学ではスポーツ推薦も狙えるほどの腕前だった。しかしそのサッカーももはや自由にプレイ出来なくなった。とても悔しかっただろうと思う。――そんな過去を持つ兄自ら飲酒運転をしたなどと誰が信じられるだろうか?


(あの夜、シュンにいになにが?)


 兄の死を受け止める間もなく、兄の通っていた大学の学生支援課から実家に連絡があった。葬儀から数日後のことだった。


 兄が所属していたというサークルの、そのメンバーのひとりが「兄の私物を届けたい」と申し出ているとのことだった。「大切な遺品だろうから」という配慮だった。私は自分の連絡先を学生支援課に伝え、その大学生と直接連絡をとった。


 私は兄がなんのサークルに所属していたのかを知らない。大学に進学したのち、家を出てからの兄についてなんの情報も持っていなかった。

 

(もっと、シュンにいと連絡をとっていれば良かった……)


 私は高校三年生だ。受験勉強で忙しく、兄のことなど全く頭に無かった。そんな矢先に事故は起きた。没交渉になってしまったのは仕方が無かったと思う一方で、後悔はやはりつのる。


 誰か――おそらくあのデリカシーのない叔父だろう――が、兄のお墓の前に日本酒の小瓶をお供えしていた。私はそれを取り上げ、立ち上がった。兄と同じサークルに所属していたという大学生との待ち合わせの時間が迫っていた。

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