第35話 ラスト・スクール・ホワイトクリスマス1
僕――雪村俊介にとって、夏木由利は努力する理由だった。
夏木に目を向けてもらうため、夏木に褒めてもらうため。ただそれだけのために、僕は中学時代の三分の一を、ひたすら勉強に費やした。
だから、僕は難関高校に受かった。
けれど、その高校には夏木はいなくて。
僕は、道を見失った。
努力する理由が、見つからなかった。だから、惰性で勉強を続けるばかりで、授業にもあまり身が入らなかった。
日々、心がすり減っていた。いや、乾いていっていたというのが適切だったかもしれない。
逃げるように部活にのめり込み、業後はもちろん、土曜日だって全て部活に捧げた。けれど、別に部活でいい成績を収めることはなかった。
僕の努力は多くの人に見てもらうべきものだとかなんだか言う顧問の先生に進められるまま、学校主催の海外研修にも参加した。おざなりな拍手を、姉妹校の生徒からもらった。
気づけば日々は過ぎ去り、僕は部活を引退し、けれど受験に意識を切り替えることはできず、なんとなく机に向かって、なんとなく勉強した。
友人もおらず、ただ一人、誰とも会話しない日々が続いた。
受験に燃える級友たちの中、僕はひっそりと日々を生きた。部活動時代にはあった事務連絡だってしなくなって、僕はとうとう、一度も学校で話さないようになった。
なんとなく進路を決め、なんとなく大学受験に臨んだ。そんなあり方で、受験に成功するわけなんてないのに。
だからだろうか。
日々が移り変わっていくある日、僕は体調を崩した。
12月のはじめ。
体に力が入らなくなった。何も、する気になれなかった。成績だけは取り戻して学年上位に入っていたけれど、それだけ。一体それに何の意味があるのか、わからなかった。
国公立にしてくれと親に言われるままなんとなく選んだ県内の公立大学。そこに通う自分が、想像すらできなかった。
お前なら大丈夫だ――そんな担任の言葉を、ぼんやりと思い出していた。
大丈夫?何が?成績が?やる気が?
僕のことなんて、何も知らず、何もわからないくせに、無責任なことを言わないでくれ。
わからなかった。勉強して、大学に入って、それで?僕はその先、どうするのか。
周りの皆が未来についてきらきらとした目で語る中、僕の心には何の希望もなかった。
やりたいことも、なりたい職業も、目指すあり方も、何一つ、ありはしなかった。
そして、そんな自分を相談する相手だって、いなかった。
学校を休んだ。布団に籠り、何時間も寝続けた。なぜだか、眠れてしまった。動く気も、食事をする気もおきなかった。それでも体は生きることを求め、お腹が小さく鳴った。
寝すぎているせいか痛む頭を押さえながら食事をして。寝て、食べて、寝て。
そんな日々を繰り返した。
当然のように大学入試は失敗した。結果は散々。
早く体調がよくなるといいね――両親の言葉には、何の心配も感じられなかった。
浪人生活が始まって、予備校に通って淡々と勉強をしても、内容が頭に入ってこなくて。ただ、頭の中が、視界が、絶えずグラグラと揺れていた。
それはまるで、自分が置かれた立場の不安定さを示しているようだった。
僕は翌年、県内の私立大学に合格し、進学した。両親は、私立大学への入学に何も言わなかった。
ただある日の夜、顔を突きつけあう二人が「あの子ならもっと上を目指せただろうに」と話しているのを聞いた。
その、信頼のようでいて無責任な評価が、ただただ苦痛だった。
未来に目を輝かせる新入生を見ながら、僕は淡々と日々を過ごした。最初こそ同期の学生の熱に当てられてサークルに入ったり研修に参加したりしてみた。
けれど、続かなかった。
バイトと講義。
授業には、一応全て出た。
浪人生活で一年を無駄に過ごして、予備校代を払ってもらった親への負い目から、僕は体を引きずるように毎日大学に向かった。
そうして気づけば大学生活一年目が終わり、さらには二年目も終わりが近づいていた。
大学二年生の12月25日。
僕は一限の授業のために、まだ薄暗いうちに家を出た。電車で片道一時間半。一限に間に合うためには、かなり早く起きないといけなかった。
低血圧な僕は、朝が苦手だ。だから朝はいつも二度寝をしてしまう。
おかげでその日も遅刻しそうで、食パン半きれを口の中にねじ込んで、前日の内に用意しておいた弁当片手に家を飛び出した。
視界の端をちらつく白を見て、顔を上げる。曇天から、はらりはらりと雪が降っていた。
刺すような寒さを感じ、僕はネックウォーマーを持ち上げて顔を埋める。
自転車のサドルに腰掛け、ペダルを蹴る。
通り過ぎていく風が、一瞬にして体から熱を奪っていく。眠気はすぐに吹き飛んだ。
数分遅延していたお陰で、何とか予定通りの電車に滑り込んだ。遅刻はしなさそうだった。
鞄から英単語帳を取り出す。別に大学の成績なんてどうでもよかったけれど、小テストを課されるとなんとなく勉強しないといけない気になる。
普段だったら小説を読んでいるところだったけれど、何度も英語を声に出さずとも口を動かし、頭に叩き込んでいく。
電車の中は少しずつ人が増えていく。高齢者が乗って来て、僕は優先席を立ち、つり革片手に単語帳をめくる。お礼に頷きを返し、ふと顔を上げればもう下りる予定の駅のホームに電車が滑り込んでいた。
体が習慣づけされたのか、なんとなく駅に着くまでのタイミングが分かるようになり降りそこなうことはなくなった。
雪のせいか遅延の赤文字が並ぶ電光掲示板を眺めながら、僕は電車を乗り換えて大学に向かった。その赤文字が何か不吉な記憶の蓋を開けようとするのを避けるように、背中を向けて。
滑り込むように教室に入って。
けれど、学生は一人しかいなかった。
「……?」
慌てて時計を確認すれば、時刻は講義開始一分前。腕時計がおかしいのかと、教科書を出しながら教室前方の掛け時計を確認すれば、針は講義開始時刻を指していた。
「……ねぇ、今日って授業ないの?」
唯一教室にいた女子学生が話し掛けて来て、けれど僕はわからないと答えるしかなかった。
大学のホームページを開き、学生専用ページへログイン。教務連絡ページへ行けば、雪のため遠隔授業に変更しますというお知らせがされていた。通知時刻は僕が家を出た三十分後。遅すぎる。
今日の授業は一限が英語と三限――はもともと休校だったためなし。つまり、僕は今日大学に来る必要はなかったということだった。
「授業、無いみたいだよ」
スマホ画面を見せれば、彼女はがっくりと肩を落とした。多分、僕と同じで家を出るときにはまだ連絡が来ていなかったのだろう。
お礼を言う彼女に苦笑を返し、僕は手持無沙汰のまま校舎を歩いた。今日はバイトも入っておらず、特にすることはなかった。確認した遠隔授業も、配布資料を読みこんで問題に答えるだけ。期限は一週間であり、内容も片手間に行える程度だった。
ポチポチとスマホを操作しながら、僕は何となく大学の図書館へと向かった。
流石に二年通っている間に何度も足を運んだから、本の棚の配置も分かっていた。興味の赴くままに学術書の棚の一角で背表紙を目で追っていると、同じ列の本を並ぶ学生の姿が目に入る。
なんとなく彼女の方を向いて、既視感を覚えた。
「ん?」
「……え?」
黒髪ポニーテールの彼女もまた、ゆっくりと僕の方を見て、目を瞬かせた。
静寂に満ちた図書館内で、僕と彼女はしばらく互いを見つめ合って。
「……ああ、堀田さん」
「ええと、雪村くん、だったよね?」
記憶の奥底から浮上した互いの名前を呼んだ。
僕はそうして、中学時代の学友、堀田真帆と再会した。
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