第24話 フォース・スクール・ホワイトクリスマス2
それから僕は失恋から立ち直ることなく、失恋から目をそらすようにがむしゃらに勉強した。あるいはそれは、運動という絶対に勝てない夏木の恋人である板垣君との戦いの土俵から逃げ、勉学の場に希望を見出したからかもしれなかった。
野球部の正捕手である板垣君にだって、勉強というフィールドであれば勝てるかもしれないと思ったのだ。
つまり、弱虫でウジ虫な僕は、失恋に耐えられず、けれど真正面から戦うこともできなくて。せめて夏木にいいところを見せようと、別の土俵で勝手に独り相撲を始めたということだ。
学力は、めきめきと上がった。中学生の終わりには、学年で五指に入る順位に至っていた。もっとも、僕のすぐ上に夏木がいて、とてもじゃないが自慢できることではなかった。
けれど、それは希望でもあった。もしかしたら、僕は夏木が通うようなハイレベルの学校に進学できるのではないかと思った。すなわち、夏木と同じ、そして板垣君がいない高校生活を送れるかもなんて、そんなことを考えていた。
ストーカー行為のようなものはしなかった。それは例えば、夏木がどの高校に行くのか、彼女の友人に探りを入れるようなこと。あるいは噂に耳をそば立てること。
それをしなかったのは、僕が臆病者だったから。彼女のことが気になっていると、夏木の友人に知られたくなかった。だって、このままいけば、夏木とはただの友人として、心置きなく話ができる関係のままでいられるのだから。
臆病風に吹かれた僕は、だから、夏木本人に進学先を聞くことだってできなかった。
現実から目をそらして、ただ漠然と、彼女と一緒の高校に通う日々を夢想した。
そうして僕は、自分たちの街から通える範囲にある中では最高の偏差値の学校に進学して。
けれどそこに夏木の姿はなかった。
一つの予感があった。夏木は、恋人である板垣君と同じ高校に行ったのではないかということ。
怖くて、真実を聞く気にはなれなかったけれど、きっとそうだと思った。
臆病な僕は、いつだって受け身で生きていた。他者から与えられるもので満足して、あるいは与えられないものは諦めて、楽をして生きていく。例外は、高校受験の勉強くらい。そんな生き方は、僕の高校生活から努力の理由を失わせた。
夏木がいたから。夏木に見てもらいたくて、夏木に認められたくて。だから僕は必死に勉強した。その原動力だった夏木がいなければ、僕がどうなるかは明らかだった。
赤点とまではいかないまでも、僕は高校で下から数えた方が圧倒的に早い成績をとるようになった。
そして、なんとなく入った部活にのめりこんだ。それは多分、現実逃避だった。文化部の中で最も活動時間が多い部活というふざけた理由で選んだ科学研究部だったけれど、意外なことに僕の肌に合っていた。
興味のあることを実験して、論文を書いて、コンクールに提出する。それだけやっていれば十分だった。人によってはポスター発表に選ばれることもあるらしいけれど、なんだかんだ基礎的に実験から進めて半年ほど、12月にあるそれなりの規模の科学関係の発表会に発表者として出ることもなく、僕はのんびりと日々を過ごしていた。
先輩たち、あるいはやる気に満ちた同級生がポスターやパワーポイントの発表の練習をする中、僕は変わらず一人で実験をやっていた。
高校一年の冬はそうして過ぎていった。
今年は寒い冬だった。10月にはすでに例年の12月なみの気温だと天気予報のニュースキャスターが告げていた。雨の回数は変わらないのだから、寒い期間が長くなれば必然的に雪が多くなる。
そうして、その日も雪が降った。
すべてが真っ赤になった電光掲示板を見ながら、僕は小さな溜息を吐いた。何より、人が多すぎる。足止めを食らった者たちでごった返すホームは、一体どこにこれだけの人数がいたのだと思わせるほど。
無数の運転見合わせの中、二時間遅れの電車が満員のホームに滑り込んでくる。当然、車内の人も多く、ゴミが吐き出されるように人がホームにあふれ出す。
ぐちゃぐちゃのその場所で、僕は何とか電車に乗ることに成功する。正直、もうあきらめようと思っていた。別に急いで向かう必要もないし、発表するわけでもなく先輩の付き添いのような形なのだから、僕がいなくても何の問題もない。
車内は、むわりとむせ返るような熱気に満ちていた。コートを脱いでおけばよかったと後悔するけれど、もう遅い。そもそも乗車までは外気の中にいたのだから寒いし、乗車したら今度はコートを脱ぐスペースなんてありはしない。
汗ばみ、肌着が肌に張り付く感覚がしてきもちが悪い。
足の置き場さえなくて、片足は床を踏むことができずに宙を浮いたまま。吊革につかまって、揺れるたびに前後左右から倒れこんでくる人に押しつぶされないようにこらえる。
「うぐ」
隣に立っていた人の肘がみぞおちに突き刺さった。膝から力が抜け、けれど崩れ落ちることはない。そんなスペースなど、ありはしない。
次の駅に着き、反対の扉から人があふれる。そうして人が入ってきて、僕は扉の方へと押しやられる。
どうしてこんなことをしているのだろうと、僕は冷めた気持ちで扉にへばりつきながら窓の外を見た。
一面の銀世界。昨日から降り積もった雪のせいで、街は真っ白に染まっていた。雪化粧された神社の鳥居が、その白さの中で際立って目立っていた。
ゆっくりと電車はホームから滑り出し、赤いそれが過ぎ去っていく。
真っ白な公園、民家、林、駅のホーム、荒地、工場――いくつもの風景が無感動に過ぎて、背後へと消えていく。
次の駅について。あふれかえる人に押し出されるようにして、僕は電車から放り出されて。
濁流のごとく進む人に押され、慌てて人波を縫うように進むも、目の前の電車に僕が入るようなスペースはなかった。
こうして、僕は予定とは違う駅で放り出されることになった。
12月24日、火曜日のこと。
――そして。
「……え?」
「あ」
僕はそこで、初恋の人――の恋人である、板垣君と再会を果たした。
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