第23話 フォース・スクール・ホワイトクリスマス1
短くも長い受験期間が終わって、僕は生まれ育った街を飛び出した。飛び出したとはいっても、遠くの学校の寮に住むことになっただとか、県外の学校に通うことになっただとか、そういうわけじゃない。
ただ僕は、あの海沿いの小さな街を飛び出して、その外の高校に通うことになったというだけだ。
幼稚園から中学校までを過ごしたあの街から、僕は電車を乗り換えて一時間半ほどかかる学校へと通っていた。がむしゃらに勉強をしたおかげで、そこそこいい学校へ入ることができたと自負している。それもこれも、極限までの現実逃避がなしたものだったけれど。
高校生活は、順風満帆とまではいかなくとも、それなりに楽しく日々を過ごせていた。僕は科学研究部に属し、日々学業と部活動生活を謳歌していた。
けれどどうしたって、心に空いた穴が埋まることはなかった。いつだって、僕は校内で人を探していた。彼女の姿を一目見ることを求めていた。
会いたかった。言葉を交わしたかった。
けれど僕と彼女のつながりは、今ではスマホのアプリ一つになっていた。
メッセージを送れば、きっと返信は来る。でも、どうしても、個人宛てのメッセージを送ることができなくて、僕は二の足を踏んでいた。
僕が好きだった彼女は、夏木由利は、もう別の人の彼女だった。
僕と同じ、シュンスケという名前の同級生と、彼女は中学二年生の冬に付き合い始めた。本人の口から、そう聞いた。
卒業生を送る会、通称「卒会」は、生徒が主体的に行う中学校の最大のイベント。合唱コンクールや修学旅行、野外学習など、たくさん存在する行事はすべて、教師が決めて教師が生徒に役割分担をするものだった。学校外に出向くことになるから、安全面を考慮すると仕方のないことだったのだと思う。だからこそ、部外者を入れることなく学校内で行われる最大規模の行事である卒会には、皆の熱が入っていた。
生徒会が決めた――と言っても例年通りでただ形式的に決めているだけだが――実行委員会の一つに僕も入り、活動を行った。一月から二月末まで。短いようで長いその時間を卒会実行委員の一つに費やしたのは、ひとえに僕が何の部活にも所属していない帰宅部だったからだ。強制的に何かに入ることを命じられた状況で、嫌いなダンスや出し物から逃れるべく、僕は装飾実行委員になった。
そしてそこに、由利は――夏木はいた。恐らくは幼稚園の頃から僕が意識していた彼女は、友人たちと一緒に卒業生が卒業式に身に着けるコサージュの作成に励んでいた。その姿をちらちらと目で追いながら、僕は安堵の息を吐いていた。
つい三週間ほど前、彼女は事故に遭って危うく重傷を負うところだった。雪でスリップした車に弾き飛ばされそうなところを、夏木は間一髪のところで男子生徒に救われた。
それが、僕と同じシュンスケという名前の、板垣峻佑だった。
成績優秀、運動神経抜群。同じクラスの彼は、そのおおらかかつ人懐っこい、あるいは熱血な人物。普段はクラスの調整役で、けれど体育祭などになるとここぞとばかりにクラスを盛り上げるような男子だった。
野球部に所属してキャッチャーをしているという彼は、僕とは比較にもならない運動神経をしていた。
あの日、僕はショッピングモールの中を泣きながら走る夏木の姿を見て、後を追った。まあ、陸上部の長距離走を専門とする夏木と僕の走る速度には天と地ほどの差があって、すぐに背中を見失ったのだけれど。それでも何とか追いかけてショッピングモールの外に出て、雪で煙った世界の先に夏木の背中を見つけて。
その時、右から左へと滑るように進む車の姿を捉えた。
夏木まで、わずか十五メートルほど。けれど僕の足では、しかも雪で足場が悪い状況では、彼女のもとに間に合うとは思えなかった。
その時、僕のすぐ後ろに、彼が現れた。
板垣君が夏木を探していると、なぜだか直感的に分かった。そして僕は、夏木の場所を指し示した。
僕がしたのは、ただそれだけ。だから、小説の中の主人公のごとく命を救って見せた板垣君に夏木が惚れて、二人が恋人になるのは自然に思えた。
あの日、僕は後ろ手に持った夏木へのプレゼントを握りつぶし、彼に感謝した。そうして、思ったのだ。
お似合いの二人に割って入ることは、僕にはできないと。
それはあるいは、予感のようなものだったのかもしれない。
実行委員会の最中、夏木が板垣君と付き合っているという話をして、彼女の友人たちは口々に二人を祝福した。たまたま手が空いてコサージュ班に回されていた僕も、できるだけ自然に、心から祝福しようと思った。
でも、できなかった。
僕は目の前が真っ暗になるような絶望の中にあった。息苦しくて、心臓が激しく鼓動を刻んでいた。
どうして僕じゃないのかと、なまじ夏木が恋人に選んだ男子が僕と同じ名前だっただけに、そんな醜い叫びが心の中でほとばしった。
喉元までせりあがった激情を必死に飲み込みながら、そこで僕は遅まきながら気づいたのだ。
僕は、夏木由利が好きだった。
幼稚園の頃から彼女を前にすると緊張したけれど、それは僕が女の子に対してあがり症だからと、そう思っていた――いや、今更言い訳はやめよう。
僕は、彼女のことが好きだと心のどこかで理解しながら、その事実に気づかないように目をそらしていた。
理由は、僕と彼女は、同じ幼稚園から続く仲良しグループの中にいたから。顔を合わせれば男女関係なく気安く話せるような間柄だった――僕の内心はともかく。そんな関係を、崩したくなかった。このままずっと、仲良しグループというぬるま湯に浸っていたかった。
そんな僕は、夏木が異性と付き合いだしたという強烈な一撃をもらうことになったのだ。
もう、すべてが遅かった。僕の成熟どころか熟れすぎて腐りかけていた初恋は、そうして終わった――はずなのに。
それでも醜い僕の心は、夏木への愛を捨てきれずにいた。中学生という多感な年ごろの心は、そう簡単に恋を諦めさせてはくれなかった。
ちらりと、何かを探るような夏木の視線を感じた気がした。それは多分、いつまでたっても祝福の言葉を告げない僕をいぶかしんでのことだったのだろう。
僕は精一杯に口の端を釣り上げて、けれど多分ひきつった笑顔で、何とか「おめでとう」とだけ絞り出した。
今すぐその場から逃げ出したかった。けれど、嬉しそうに「ありがとう」と笑う夏木を見て、やっぱり彼女が好きだと思って。
どうか彼女が、僕がよく知らない男子の隣で幸せになりますようにと、血涙を流しそうな思いでそう祈った。
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