第20話 サード・スクール・ホワイトクリスマス6

「何、あの傷……」

 三人の硬直状態を打ち破ったのは、呆然とつぶやいた夢の声だった。

 お姉ちゃんと慕う由利と、四人で楽しいお買い物をしていたはずだった。だいぶ兄といい感じで、妹としては由利のような素晴らしい人と兄が仲良くなり、恋人一歩手前のように思える状況が誇らしくさえあった。このまま由利が兄の恋人になったら、さらに楽しいだろうと思って。

 いい感じの空気になった二人を航大と一緒に棚の影から盗み見てニヨニヨして、空気が微妙になったら二人で飛び出して場をまぜっかえすはずで。

 そうして由利がくすくす笑う姿を見て。兄が目じりを下げて笑う姿を見て。

 一緒になって笑うのが、その時間が、夢は大好きだった。

 そんな楽しい時間が、幸福感が、一瞬にして吹き飛んだ。

 夢の視界に映った、由利の頬。

 マスクとマフラーでやけに厳重に隠されていたそこには、大きな青あざがあった。

 どこかにぶつけたようなものではないことくらい、夢にだってわかった。そして、態度を豹変させ、由利が逃げるように走り去っていったことからも、あの傷がよくないものであると理解して。

 あの傷を見られた由利が自分から離れていくことを、夢は直感的に悟っていた。

「お兄ちゃん……」

 由利が走り去っていった方向を呆然と見つめる兄に、夢は声をかける。それでも、兄は金縛りにかかったように、瞬き一つすることなく立ち尽くしていた。

 腕を引く。つねる。それでも、兄は動かない。

「お兄ちゃん!」

 いつになく声を張り上げて、夢は兄に叫ぶ。周囲の視線が集まった。それを一切無視して、夢は縋りつくように兄の裾を握った。その脛を、全力で蹴り飛ばす。

「っ、ぐ!?」

「お兄ちゃん。今だよ、今行かないと、一生、由利ちゃんと離れ離れになっちゃうよ。このまま、由利ちゃんが離れて行っちゃうよ。それは……それは、いやだよぉ。お母さんみたいな由利お姉ちゃんがいなくなるなんて、いやだよ……」

 夢の目から涙があふれた。

 由利が日常からいなくなる。それは夢に激しい恐怖を与えていた。

 夢は由利を、姉のように、そして母のように思っていた。板垣家の女性は夢一人。女性としての相談事ができる相手が、これまで家にはいなかった。

 意地っ張りな夢は、学校の養護教諭の先生や友人には話せないたくさんの思いを抱えていて。それらを、由利は嫌な顔一つせずに聞いてくれた。

 夢にとって、もはや由利は家族の一員だった。

 そしてそれは、航大にとっても同じだった。

「なあ兄ちゃん。どうして動かないんだよ。どうして追わないんだよ。なぁ!」

 高学年になってぐぐっと背が伸びつつある航大は、少し高いところにある兄の胸倉をつかみ、その筋肉質な体を前後に激しくゆする。

「なあ!オレの兄ちゃんは、こんなところで逃げた女を放っておくような男じゃないんだよ!大切な友人が苦しむ姿を、黙ってみてるような奴じゃないんだよ!由利姉が大切なんだよ!俺だって、由利姉が本当の姉ちゃんだったら、母さんだったらって、そう思ってたんだよ……」

 不甲斐なく立ち尽くす兄を責めながら、航大もまた涙を流す。由利は、板垣家になじんでいた。もはや完全に家族の一員であるほどに。揶揄えば困った顔をするけれど、ふざけるなというように、航大にとって理不尽な形で由利が怒ることはなかった。時に諭すように、時にきちんと注意して、時に一緒になって笑う由利に、航大もいつしか、記憶にない母の姿を重ねていた。

「なぁ、兄ちゃん。由利姉は兄ちゃんの友達なんだろ!だったら助けに行けよ!支えに行けよ!困っていたら手を差し伸べろよ!それが友だちだろ!オレ達にはそう教えただろ!友達が困っていたら、何を放り出してでも助けに行くべきだって!」

 ドン、と兄の胸板を航大の拳がたたく。

 そうして一度ゆっくりと瞬きした次の瞬間には、そこには夢と航大、二人の知る、誰よりも格好良くて頼りになる兄の姿があった。

 凛々しく、大切な人のために、全力を尽くす兄が、二人を見る。

「行ってくる。ここでおとなしく待ってろよ」

「うん!」

「早く行ってこい!」

 すがすがしく笑う夢と、涙を隠すように照れ隠しをして見せる航大。二人の頭を乱雑に撫でてから、板垣峻佑は由利を追って走り出した。

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