第19話 サード・スクール・ホワイトクリスマス5
商品棚の陳列の中へと飛び込んでいった二人は、そのうちに手におもちゃをもって戻ってくる。
「ねえお姉ちゃん、これはどうかな?」
突き出してくる夢ちゃんの手の中にあるのは、金髪の西洋人形。色白な肌とか光を反射してきらめく水色の瞳が、暗闇で見るとひどく壊そうなんていう感想しか浮かんでこない。
「ええと……マリちゃん人形……?これはどういうものなの?」
「えー、そんなことも知らないんだ。しかたないからわたしが教えてあげる。このお人形はね、大きな家のおもちゃの中で動かしておままごとをするためのおもちゃなの!服を着せ替えてね――」
「それよりこれだろ!マスクガイ・デッドレクイエムモード!」
顔サイズの人形が入った箱を突き付けてくる夢ちゃんの横から、航大くんがレンジャーものの人形を私の目の前に持ってくる。赤いマスクをした、一瞬怪盗なのかとツッコミを入れたくなる格好をした戦隊レンジャー。
ポーズをした指が目に刺さりそうになって思わずのけぞる。
「ちょ、近い。近いから、ね。少し落ち着こう?」
「ちょっと、今はわたしがお姉ちゃんと相談してたの」
「次はオレの番だろ!」
にわかにひりつく空気が生まれる。普段は仲のいい兄妹だけれど、同族嫌悪というか、時折こうして衝突することがある。
緊迫感ある空気を振りまく夢ちゃんと航大くんの間で、開戦のゴングが鳴った気がした。
「航大は男の子なんだからお兄ちゃんに相談すればいいでしょ」
「何でオレは航大って呼び捨てなんだよ!オレだってお兄ちゃんだろ」
もはやその言い合いは、私とどちらが相談するかとか、おもちゃをどうするかとは遠い内容。言い合いはヒートアップして、声はどんどん大きくなる。
「呼び名が一緒だと二人が返事して面倒でしょ。だからお兄ちゃんはお兄ちゃん、航大は航大なの」
「航大兄ちゃんとか、兄貴とかでもいいだろ」
「兄貴はいや。わたしのシュミじゃない。それに航大兄ちゃんは長くていや。航大兄ちゃんを略して航ちゃん呼びならいいよ」
「ますます女みたいじゃねぇか!」
怒り心頭といった様子で腕を振り回す航大くんをなだめるべく、近づいてきた板垣くんがその肩に手を置く。さすがは兄であり父であり母である板垣くんが押さえれば、航大くんはすぐに静かになった。
「ほかの人の迷惑になるから静かにしろ。それにどっちも格好いいと思うぞ」
「でた。お兄ちゃんは全部格好いいって言って終わっちゃうから、意見を求めるだけ無駄なんだよね」
やれやれと肩をすくめる夢ちゃんに、今度は航大くんも仲良く同意してうなずいて見せる。
「そうそう。兄ちゃんの節穴は見えるすべてが格好良く見えるらしいからな」
どうしようもないと航大くんは首を振りながら告げる。
板垣くんの口の端がひくついていた。そりゃあ、これまで言い合いをしていた二人が突然意気投合して自分をけなしにかかるのだから、怒りたくもなるだろう。
板垣くんの拳骨が二人を襲う前に、とりあえず空気を変えようと口を開く。兄弟喧嘩を前にして喉が渇いていたからか、最初に響いた声はひどく裏返ったもので、恥ずかしさがこみ上げる。
「ほ、ほら、夢ちゃん、航大くん。もっといろいろなおもちゃがあるんだし見てくれば?」
うん、と元気よくうなずいた夢ちゃんが駆け出す。彼女を追って航大くんもおもちゃ売り場に再び姿を消す。
「走るなよ。あと、あんまりはしゃぐな~」
その後姿を見送りながら、板垣くんは大きなため息をついた。
いつになく疲れをにじませる彼は、首を倒し、肩を回す。ゴキゴキとやけに大きな音が響いて、私はもちろん、板垣くんも動きを止める。
周囲の喧騒が、私たちの間の沈黙を強調する。
「……お兄ちゃんって大変なんだね」
うぐ、と何かおかしなものを飲んだような顔をして、板垣くんが動きを止める。額に手を置き、大きなため息。
それは、気のせいじゃなければ、私に向けたため息だった。
「え、板垣くん?」
「お姉ちゃんの攻撃がお兄ちゃんにクリーンヒット。百のダメージ」
「ばっか、これはクリティカルヒットだろ」
「どっちでもよくない?」
「ばかだろ。クリティカルってなんか格好いいだろ」
「あーやだやだ。これだから男の子は」
ひょいと棚の向こうから顔をのぞかせた夢ちゃんと航大くんが何かをぶつぶつ言って、それから再び姿を消して。
一分ほどして、さすがに息を止めすぎで、板垣くんの顔が赤から青白く変わってくる。
私は慌てて板垣くんの前で手を振り、それでも反応が無いから肩を前後にゆすってみる。
大きな肩はつかむのがやっとなくらい。筋肉のついた肩を揺さぶり、喧騒に負けない、けれど大きすぎない声で呼ぶ。
「板垣くん?」
私と目があって。ぱくぱくと数度口を動かした板垣くんは、それからようやく大きく息を吸い込んで――むせかえった。
近くを通りがかった見知らぬお母さんが、あらあらうふふ、なんて笑いながら私たちを横目に通り過ぎていく。そのせいか、私もまた顔が熱を帯びた。
涙目になりながら見あげる板垣くんの目には、どこか強者を見るような光があった気がした。うん、多分、羞恥心を抑えこもうとして、表情が怖くなっている。
そんな分析ができるくらいに、私は板垣くんと仲良くなったということだろうか。
「お兄ちゃんよっわーい」
「だっせぇー」
「はあ、お前らなぁ……」
今度はそれぞれ魔法のステッキと剣を持った二人は、その場で決め台詞とともにポーズをとって見せる。
「マジカルハートビーム!」
「デッドレクイエムシュート!」
振りぬかれた航大くんの剣先が、またもや私の目に当たりそうになる。
思わず目を閉じるその瞬間、視界の端から大きな板垣くんの手が滑りこんでくる。私を、守ってくれる――彼の接近に、心がふっと軽くなる。
何かが引っ掛かるような感触があった。それから、ぴり、とした軽い痛み。
呼吸が楽になり、顔にひんやりとした空気を感じる。
目をきゅっと閉じたまま数秒経って、衝撃が来ないことに安心して目を開いて。
大きく目を見開いたまま動きを止めている三人の姿が視界に移った。
その視線はすべて、私の右頬へと向けられていた。
視界の中央、航大くんの剣をつかんだ板垣くんの指。それが私のマスクのゴムをひっかけ、片方のゴムが外れてしまっていた。それもあろうことか、打撲痕の残る、右頬の方。
「~~~~~ッ」
声にならない悲鳴が漏れる。
バクバクと心臓が早鐘を打ち、汗がどっと噴き出す。
ばれた。怪我を見られた。多分、これで芋づる式にお父さんのことにたどり着いてしまうだろう。板垣くんは、きっとそこに至る。
泣きそうで。けれど必死にみぞおちに力を入れて何事もないように取り繕う。私の人生は、ここで終わりだろうか。これで、平凡な人生に背を向けて、親に虐待をされていた子どもとしてレッテルを貼られて、生きることになるのか。
現実感がなかった。もうどうでもいいや、という投げやりな感想が浮かんだ。そのおかげで涙は引っ込んだ。
板垣くんの視線がひどく鋭くなる。人を殺してしまえそうなほど。実際にその目に――私の感覚が正しければ――殺意の炎が宿っていた。
「……板垣くん、もういい?」
問いかける私の言葉には、一切の感情が乗っていなかった。まるで、氷のよう。
あらゆる感情をそぎ落としたそれは、もはやただの音。焦燥と動揺と絶望と諦観、全てを超えたそこにはただ、無だけがあった。
「あ、ああ」
気圧されたように、彼がうなずく。
板垣くんの指に引っ掛かっていたマスクのゴムを外し、耳にかける。付け直す際、こすれた布のせいで少しだけ頬に痛みが走った。小さなうめき声を聞き取った夢ちゃんと航大くんが、大きく息をのんだ。
二人には、少し刺激が強すぎたかもしれない。楽しいクリスマスに水を差すような、ひどいことをしてしまった。
申し訳なくて、泣きそうで。
腰をかがめて、そっと二人の頭をなでる。
板垣くんのように、髪をくしゃくしゃにするような撫で方ではなく。そっと、髪を整えるような、触れる程度の撫で方。
「ごめんね、楽しいところに水を差しちゃって。今日は帰るよ。……三人で楽しんでね」
言って、背を向ける。ゆっくりと、何でもないように歩き出す。
大丈夫。今ならまだ、ただの喧嘩の傷だとでも言い訳できる。
でも、彼は止まったままではいない。
正義感か、母性か父性か。板垣くんが息を吸う鋭い音が、背後で聞こえる。
「夏木、そんなの見て放っておくわけには――」
それ以上はダメだと、彼の声に言葉をかぶせる。
「大丈夫なのよ!だから、放っておいて!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。何事かという、おもちゃコーナー付近にいた人達の視線が集まる。それらを振り切って、走り出す。
一滴、こらえきれなかった涙が頬を伝い、マスクにしみこむ。すっかり冷えた足は痛くて、床を踏みしめるたびにぐじゅりと靴の中で水音がした。
痛くて、冷たくて、苦しくて、つらい。
けれど、ただそれだけ。
これで、言い訳はできる。大丈夫だ。ダイジョウブ。
……けれどもう、板垣家には上がれない。数日置いたところで、板垣くんたちは私の傷のことを尋ねるだろう。私を、もう、放っておいてはくれないだろう。
だから、私はあの避難場所にはいかない。
それでいい。巻き込むな。私は、一人でできるから。一人で、生きていけるから――
「由利!?」
知っている人の声が聞こえた。心が、小さく痛んだ。
心の中、幼い私が悲鳴を上げる。
彼に、救いを求めたい。あの胸の中に飛び込みたい。
その、膿んで淀んで濁って黒ずんだ恋心が生み出して幻影は、俊介であり、板垣くんでもあった。
ああ、私は、醜い。
全部投げ出してしまいたくて、けれど投げ出したくなくて。
全部暴露してしまいたくて、けれど大切な人を巻き込みたくなくて。
自分勝手で、心配だけさせて、肝心なところには踏み込ませない。
ばれそうになると勝手に逃げて、線を引いて遠ざかる。
ああ、こんな自分、大っ嫌いだ。
涙が、目じりから零れ落ちる。その雫は、熱くて冷たい。まるで、私が心無い、冷たい存在だとでもいうように。
大丈夫、ダイジョウブ。だいじょうぶ……あと、一年ちょっと。
たったそれだけで、私は解放される。ぬるま湯のような世界がなくたって、それくらいは堪えられる。
人並を掻きわけるように進みながら、私はすべてから目をそらして、逃げた。
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