第17話 サード・スクール・ホワイトクリスマス3

「……由利?」

 聞こえてきた声に、肩が跳ねる。なんで、ここに――喉までせりあがった言葉を必死に飲み込む。それでも飲み込めなかった動揺が全身を走り抜け、体を震わせる。

 恐る恐る顔を上げれば、そこには俊介の姿があった。

 久しぶりに見る彼はだいぶ背が伸びて、けれど筋肉がついたわけじゃないからどこかもやしのよう。色白の肌のせいか、一層細さが目立つ。スリムというよりは、ガリガリという表現が似合う感じ。ただ、いつになく大人っぽく見えるのは、髪型のせいだろうか。のスキニーに白のタートルネックセーター、そして黒のコートというシンプルながらどこか洗練された服装も相まって、つい先日の終業式の日のもさっとした彼は都会の男に変貌していた。

 まあ、私は都会の男なんて知らないのだけれど。

 そんな、学校で見るよりもずいぶんを垢ぬけて見える彼は、やっぱり子犬のように破顔して私の顔を覗き込む。

 見ないで。こんな醜い私を、傷だらけの私を見ようとしないで――心が、悲鳴を上げていた。

 そんな私の気持ちに、俊介は気づかない。気づくはずがない。

 無垢で、純粋で、穢れを知らない。私が好きになった人は、中学生になってもまだ、そういう男の子だった。

「ねぇ、由利。こんなところでどうしたの?」

 胸が小さくうずいた。今は、放っておいてほしかった。

 甘酸っぱい、心の奥に封印していた初恋の記憶が、やけに鮮明に思い出される。

 顔を輝かせて空から降ってくる雪に手を伸ばす俊介。その手には、私が上げた赤い手袋が見える。私が上げて、お返しが届くことのなかった手袋。

 ちらと視線をさげれば、彼の手には赤い手袋はない。まあ、小学生の頃の私が使っていたサイズのあれが、今の俊介に使えるとは思っていないけれど。

「……何?」

 自分でもないなと思う厳しい声音で、私はわずかに顔を上げて俊介をにらんだ。そこには、少しばかりの恨みがあった。私にとって本当に大切だった約束を、忘れたくせに。私のプレゼントへのお返しなんて、感動することを言うだけ言って何もしないなんて、ひどいことをしたくせに。

 期待だけさせておいて梯子を外すなんて、本当に、ひどい人。

 彼は私の視線に気圧されて一歩後ずさる。

「……どうしたの、由利?大丈夫?」

 大丈夫に見えるなら病院に行った方がいい。月曜日のこんな時間に、外で靴を脱いで、コートに足を埋めて丸まっている私を前にしてそんな口が利けるあたり、あなたの頭はお花畑なんだよね。

 口から飛び出しそうになる罵声を膝で抑えながら、ふと気づく。今の私は全身をコートで隠し、顔はもちろん手足の一つだって見えなかったはずだ。それなのにどうして俊介は私に気づいたのだろう。

 そんな困惑も、けれど私たちの間に漂う重い空気を切り裂くように聞こえてきた元気な声に吹き飛ばされた。

「お姉ちゃん!」

 駆け寄ってきた女の子――板垣夢ちゃんが私に抱き着いてきた。バランスを崩して危うくベンチから転げ落ちそうになるのを、とっさにポケットから出した腕で体を支えて何とか耐える。外気にさらされ、さらにはベンチの冷たさに熱を奪われていく素手が、じくりと痛んだ。

「え、お姉ちゃん!?ってことは妹?」

 私と夢ちゃんで視線を行き来させる俊介くんがあらぬ誤解をし始めた。

 お姉ちゃんと呼ばれていれば、真っ先に姉妹の可能性を疑うのは間違ってはいないかもしれない。でも私は前に一人っ子だって話したはず。いつだったか思い出せないけれど、そんな話をした記憶がある。俊介くんにとって、私の家族構成は全く興味がなかった?これでもひとり親だって、かなりの覚悟をもって告白したのだけれど。

 いや、お父さんが再婚した可能性を考えたのかな。それにしては素っ頓狂な悲鳴だったけれど。

「……むぅ?」

 俊介くんに気づいた夢ちゃんが、何ですかこの男、という不審感をあらわにして俊介くんをにらむ。お願いだから、ひとまず私の体を押すように抱き着くのをやめてほしい。じゃないと倒れてしまいそう。

 二人そろって、息ぴったりに私の方を見る。どちらも子犬のように、つぶらな瞳で私に相手のことを尋ねる。

 ただし、より幼いはずの夢ちゃんの方が、どこか険しい、人を殺せそうな眼光をしていたように見えたけれど。

「ええと、この子は知り合いの妹の夢ちゃん。それで彼は、同じクラスの雪村俊介くん」

「……シュンスケ?」

「え、うん。いきなり名前呼びなの?」

「ううん、雪村!雪村に決まり!」

 がるるる、と威嚇する夢ちゃんが私の体をゆする。シュンスケという名前の響きに反応して、気持ちが高ぶっているみたいだった。

 夢ちゃんが引っ張るものだから、コートの中に留まっていた温かな空気が外に出て行ってしまう。このままだとバランスを維持できなくて倒れてしまいそうで、寒さをぎゅっと我慢しながら、コートにねじ込んでいた足を出す。

 外気にさらされた素足が軽くしびれるように痛む。

 少し迷ってから濡れた靴下をはいて、その気持ち悪さに眉尻が下がる。せっかく温めたのに急速に冷えていく足を靴に突き刺し、とどめていた息を吐き出して、抱き着く夢ちゃんを見る。

「……夢ちゃん、私の友だちを威嚇しないでね」

「友だち?食料のもやしじゃないの?それか家畜とかペットとか」

「もやし……」

 確かに今の俊介はもやしに見えなくもないというか、さっき私も同じことを考えた。どこか病的なほどに肌が白い彼は、ひょろりとした背丈も相まってもやしっ子――って、少し間違った表現かもしれない。

 とはいえ、それを口に出して告げるのはよくない。

「夢ちゃん?」

「あ、はーい!よろしくお願いします、雪村!」

 少しきつい口調で名前を呼べば、夢ちゃんはにっこりと笑って片手をあげ、軽い様子で返事をする。

「あ、うん。よろしくね、夢ちゃん」

「よろしく、もやしくん!」

「…………」

 俊介が救いを求めるように私を見てくるけれど、無視した。今の私は、これ以上二人に付き合う気力はない。やがて俊介も夢ちゃんがどんな子かを察したのか、少し手探りながらも会話を始める。それに対して、夢ちゃんはあざけるように、わざと怒らせるように話をする。

 何度か会ううちに、夢ちゃんが兄の板垣くんの前ではきれいな仮面をかぶっていることに私は気づいてしまった。夢ちゃんの正体は狂犬のような――というのは女の子に対する表現として不適当な気がするけれど――まあ気に食わない相手にはところ構わずかみつくような子だった。

 とはいえきちんと注意すると表面上は取り繕ってくれる。私が言うことじゃないけれど、ずいぶん分厚い面の皮をしていると思う。多分兄の板垣くんを見て学んだ、図太さゆえだろう。

 板垣くんは、そこまで言うほど図太くはない、気がする。

 そんなことを考えているうちに夢ちゃんと俊介のファーストコンタクトは終わったらしい。夢ちゃんはベンチから降り、私の腕をぐいぐいと引っ張ってくる。

「ほら、お姉ちゃん。立って立って。早く行こ」

 その力は嫌に強くて、私の腰はベンチから浮いてしまう。あるいは、私の力が弱いのかもしれない。

「……ええと、どこに?」

「えー、約束してたじゃん」

 約束なんて全くした覚えはない。けれどあまりにも勢いよくせかす夢ちゃんのせいで視線が集まり始め、私は仕方なく立ち上がった。

「それじゃあ雪村、さようなら~」

 にやりと悪役めいた笑みを浮かべた夢ちゃんは、私の腕を引っ張って引きずるようにして歩き出す。状況についていけていない俊介は、私の方に腕を中途半端に伸ばした状態で凍り付いていて。

 その姿に少し何か言いたくなって、けれど言葉は出て来なくて。

 私対は彼を置き去りにしてショッピングモールの奥へと進んだ。

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