第12話 セカンド・スクール・ホワイトクリスマス6

 凍り付いたように玄関から動けずにいた私は、板垣くんに背中を押されて板垣家に足を踏み入れることになった。

 室内は温かくて、冷えてかじかんだ指が、じんわりと違和感を含むながらほぐれていく。

 本当は玄関先までのつもりだったのに、居間に上がり込んでしまって、居心地が悪い。

 何よりもすわりが悪いのは、心から申し訳なさそうな顔をする板垣くんの表情のせい。

「あいつらが驚かせてすまんかった」

 土下座する勢いで頭を下げられる。彼の後頭部が視線の下に来る。

 平身低頭とはこのことかと思いながら、私は半ば目を回しつつ必死に彼に頼み込む。

「だ、大丈夫だから。全然、気にしてないから。だから、顔を上げて。お願いだから」

 申し訳なさで胸が破裂しそうだった。

 コートを貸してもらって、家にあげてもらって。一体私は、どこまで板垣くんに迷惑をかければ気が済むというのか。

 顔を上げた板垣くんは、やっぱり申し訳なさそうな顔をして後頭部の髪をかき混ぜるように掻く。

 悪いのは、私なのに。

「大丈夫だから。むしろ私がきちんとお礼を言わないといけないの。……コートを貸してくれて、本当にありがとう。おかげで、すごく温かかったから」

「そんな気にすんなって。夏木って、意外と律儀だよな」

 どこか揶揄うような言葉とともに、彼は目じりを下げて笑う。その笑みを向けられるのが少しくすぐったくて、唇を尖らせる私がいた。

「意外とは余計よ」

「調子出てきたみたいだな。まあ、少しゆっくりしていってくれ。予報だとあと少しで雪も止むみたいだしな」

 長居をするのは申し訳ないと思いつつも、板垣くんの背後の視線が、私を逃がしてくれそうにない。

 板垣くんもその視線に気づいているからか、少しひそめた声で「適当に相手をしてくれると嬉しいんだが」と困ったように告げる。

 私が手渡したコートは、今度こそ板垣くんに受け取ってもらえた。

 それが、何かドラマティックなものにでも見えたのだろうか。

 背後でわーきゃーと騒ぎながら走り回り始めた弟と妹に静かにしろと一喝して、板垣くんは家の奥へと消えていった。

 動きを止めていた子どもたちは、鬼が去ったといわんばかりに目を輝かせ、勢いよく私に詰め寄ってきた。

 今のソファに座る私の脚に抱き着いてきた女の子が真ん丸な目で見上げてくる。男の子の方はソファによじ登り、私の肩を激しく揺らす。

「なぁなぁ、姉ちゃんって兄ちゃんの彼女?」

「そんなわけないじゃん。あのお兄ちゃんにこんな美人な彼女ができるわけないよ」

「でもわかんねーぜ?お兄ちゃんに餌付けされたかもしれないだろ」

「あー、なるほど!でもこのお姉ちゃん、料理もできそうだよ?」

 弾丸のように言葉を浴びせられて、私は返すタイミングを計りかねて口を開閉させることしかできない。何かを口にするよりも先に、互いの言葉の応酬が続くのだから、話をするタイミングもない。

 私は借りてきた人形のようになり、二人のやり取りを聞くばかりで。

 ゆっくりと扉が開き、どこか不貞腐れたような顔をしてきた板垣くんが戻ってくるまで、子どもたちのやりとりは続いた。

「……おい、お前ら?」

「わ!お兄ちゃんが怒ったー」

「ズボシだったんだ!」

 兄の板垣くんに構ってもらえてうれしいのか、二人はバタバタと部屋の中を走り回る。板垣くんは二人を追い、捕まえ、その頭を鳥の巣のようになるまでぐしゃぐしゃとなでる。

 悲鳴のような歓声を上げる二人の顔には、楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑みがあった。板垣くんもまた、慈しむような眼で二人を見る。

 そこには、完成された兄弟の姿があった。

 やがて二人は板垣くんから離れ、今度は互いを追いかけ始める。

 炬燵の周りをぐるぐると周り、テーブルに手をついて左右に揺さぶる妹さんに対して、弟くんは天板に乗り上げるという手段をもって距離を詰める。

 わーきゃーと楽しげな声を響かせる二人は、板垣くんが開けたままにしていた扉の向こうに消えていく。

 ぴしゃり、と彼が扉を閉め、部屋の冷気が漏れないようにする。

 遠くからハイテンションな声が聞こえてくる中、やっぱり板垣くんは後頭部を掻きながらわずかに頭を下げた。

「あー……悪いな、夏木。こんな日に連れてきたもんだからあいつら誤解しちまってさ。気を悪くしたら悪いな」

「…………こんな日?」

 何を言っているのだろうかと板垣くんを見る。目を瞬かせる板垣くん。そして、いつの間に戻ってきたのか、扉の隙間から顔をのぞかせる二人も、瞬き一つせずにじっと私を見つめてきた。

「え、何?」

「いや、夏木。今日は何の日だ?まさかバレンタインの興奮を隠そうと取り繕う男子みたいに必死になってるんじゃないだろうな」

「お兄ちゃん、変態!」

「ばか、兄ちゃんはかわいそうな男なんだぞ。野球一筋!女っ気ゼロ。父さんが嘆いてたぞ」

 こそこそと話し合う二人は、やがて涙をぬぐうようなそぶりをしながら口々に叫んだ。

 そのからかいには、けれど不思議な温かさがあった。多分、このくらいのからかいなら板垣くんはおおらかに受け入れてくれるという安心感があって、これが三人にとっての日常の会話だからだと思う。

「かわいそー」

「かわいそー」

「おい、お前らも異性関係なんてあってないような物だろ」

 近づく板垣くんが扉を開けば、体を支えるものを失った二人はつんのめるように部屋の中へと転がり込む。

 そんな中、弟くんは板垣くんを前にして胸を張って見せる。

「オレこの前告られたけど?」

「……は?」

 板垣くんの動きが止まる。まじかよ、とその目が語っていた。

 まじまじ、と弟くんがうなずく。

「あ、わたしもー!あのねぇ、たかくんが、すきだー、だって」

「おい、俺の天使を毒牙にかけようとした奴はどこのどいつだ。案内しろ」

 眉間に青筋を浮かべる板垣くんが怖くて、私は思わず一歩後ずさった。

 けれど妹さんはにっこりと――ともすれば板垣くん以上に怖い、見る者の背筋に寒気が走るような無垢ゆえの悪魔の笑みを浮かべて見せた。

 柔らかなピンク色の唇から零れ落ちるのは、愛のささやき、ではなく。

「大丈夫だよ。みんなでシメといたから!」

 その言葉にがっくり来た私をよそに、板垣くんは納得した様子でうなずく。

 それでいいの?

「そうか……最近のガキはませてんだな」

「ガキな兄ちゃんが何言ってんだ」

「お兄ちゃんはガキー!」

「兄ちゃんは子どもー!告白もされたことのないガキー!」

「お前らに言われたくねぇよこのクソガキども!」

 わーきゃーと言いながら走り出す二人を板垣くんが追いかける。

 私はそれを、目を白黒させて眺めていた。

 やがて板垣くんは、つかめた二人を両脇に抱えて私の方に戻ってくる。

 その腕の中、捕まった弟くんと妹さんは互いの顔に手を伸ばし、頬をぐにぐにと引っ張り、こねる。

「おまえのせいだぞー!」

「わたしのせいじゃないもん!航大がホントのことをいうのがわるいんだもん!」

「オレのせいじゃねーし。夢が兄ちゃんをおこらせたんだろ。世の中にはいってもいいこととわるいことがあるんだぞ。しらねーのかよ」

「……お前ら二人が俺を馬鹿にしたんだろうが」

 腕の中で互いに責任を擦り付け合う二人の声を聴きながら、板垣くんはげんなりと肩を落とす。

 普段学校で見る彼からは似ても似つかない翻弄され具合は、ひどくおかしかった。

「……お、笑った!」

「お兄ちゃん、笑ったー」

「俺は笑ってな――ほんとだ、笑ってるな」

 三人の視線が集まって、背筋が凍り付くような感じがした。私は、本当に笑っていたのだろうか。

 口元に手を当てて確認する私を前に、二人はするりと板垣くんの腕から抜け出す。それもまた、慣れた動きだった。

 詰め寄って来た妹さんが「かわいー」と叫びながら抱き着いてくる。ついで弟くんが「まさか本当に兄ちゃんの彼女かー」とどこか落胆を含ませて告げる。

「やめろ。いくらクリスマスイブだからって言っていいことと悪いことがあるぞ。彼女は……夏木は俺のクラスメイトだ。ぶっちゃけあんまり話したことない」

「兄ちゃんのバカー」

「ゆーじゅーふだんー」

「かいしょうなしー」

「いや、馬鹿でも優柔不断でも、もちろん甲斐性無しでもないぞ?本当だぞ!?」

 どこか泣き声めいた板垣くんの声が二階建ての建物中に響き渡った。

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