第10話 セカンド・スクール・ホワイトクリスマス4

 集合場所に行けばすでに生徒の多くが集まっていて、無数の話し声が響いていた。

 だらだらと歩いたせいか、部活動開始の8時半ぎりぎり。おかげで、すでに集合場所には顧問の先生の姿も見えた。

「災難だったな、夏木。まあ休んでろ」

 私に気づいた先生は、すでに板垣くんから話を聞いているみたいだった。出席簿を部長に手渡した先生は、その辺で見学していてくれ、と屋根の下の一角を指し示す。

 吹き曝しの渡り廊下の下。屋根がかろうじて雪から体を守ってくれるばかりの寒いそこが、今日の私の居場所だった。

 私は屋根付きの渡り廊下に座って、見学の姿勢に入る。コンクリートにじかに座っているせいでお尻が冷たい。けれど、板垣くんに借りたコートのおかげで、寒くはなかった。

 私より頭二つ分は背の高い板垣くんのコート。私には大きすぎるそれに膝まですっぽりと埋めて、私はただじっと、グラウンドを見つめ続けた。そこに集まった部員の中、視線に気づいた友人が手を振ってくれて、私もまた、何とか手を持ち上げて振り返す。

 出席確認の中、私を呼ぶ声に、軽く手を挙げる。およそ五十人ほどの部員を見渡した部長は、友人の言葉によって私の存在に気づき、軽くうなずいて出欠確認に戻る。

 百人はいるはずの部員も、今日の部活の出席は半分ほど。残りの半分は何をしているのだろうとぼんやりと考える私の頭の動きは、ひどく遅い。

 雪は止まることを知らず、ひらひらと舞い落ちて地べたに三角座りをする部員たちを襲う。髪を白く染めた部員たちは、腕をさすり、あるいはやや大きのジャージの上に、私のように膝を突っ込んで寒さをこらえていた。

 やがてウォーミングアップが始まり、ランニング、体操と、いつものルーティーンが続いていく。

 目新しさなんてないはずだけれど、こうして客観的に部活の様子を見るのは新鮮だった。何より、吹雪くような雪が、景色に新しさを加味している。

 陸上部が活動するその向こう、広いグラウンドの奥半分では、野球部が練習をしていた。

『ハイヨー、イチ、ニ、サン、シ』

 陸上部とは少し違う、陽気で、それでいて規則正しい腹から響く掛け声が、遠く離れた私の元まで届いていた。三十人ほどの野球部員の声の中、私の耳は自然と板垣くんの声を聴き分けていた気がした。

 彼の声は男子の中では高い方であるせいかよく通って聞こえた。あの体格から高い声が出るのは少し不思議で、多分もう少ししたら変声期が来るのだと思うと、残念だと思う気持ちも生じる。

 何が、残念なのか。小さく首をかしげて問いかけても、答えは出てこない。

 陸上部の掛け声と、野球部の掛け声。混じりあった二つは、雪が舞う寒空に響いて、儚く消える。

 その雪を見ながら、ようやく私は、陸上部の半分の欠席者の欠席理由を思いついた。

 今日はホワイトクリスマス。そう考えると、半分出席しているほうがすごいことなのかもしれない。

 青春を部活にささげる者たちはイベントごとを二の次にするらしい。まあ、中学の部活なんて半日で終わるし、午後に遊ぶ予定があるのかもしれない。

 つまり、出席者が半分というのは多い方、なのだろうか。野球部員の数はいつもと同じくらいである気がするけれど。

 土曜日の午前、冬休みに入って最初の部活の日でありクリスマスイブだと思えば、まあこんなものなのではないだろうか。

 ウォーミングアップを終えた部員が休憩場所に戻ってきて、屋根の下はにわかに騒がしくなる。

 水分補給をしたり、ポケットから取り出した懐炉で手を温めたりとせわしない。中には休憩場所に戻ってまでその場で腿上げをして体を温めようとする人の姿も見える。まあ、子どものように雪が舞うグラウンドを駆けている小数よりはよほどましだと思うけれど。

 そんな中、友人の真帆が私の背中にずぼりと手を差し込んできた。

 背筋に電撃が走るような冷たさが、背骨を伝わって脳天まで押し寄せる。

「つっめた!?」

「あったかーい。ああ、最高~」

 動く気力もなく、私は真帆に熱を奪われ続ける。一応軽く身をよじりはしたものの、その程度の動きで真帆の魔の手から逃れることはできない。

 しばらくして反応が芳しくなかったからか、真帆はつまらなさそうに私の背中から氷のように冷たい手を抜いた。

「……元気ないね。やっぱり走りたかった?」

 覗き込む瞳は、私の内心を見透かすように澄んでいて。

 だから、思わず視線をそらして、地面をにらむようにうつむく自分がいた。

「別に、普通」

「うっそだぁ。うん、由利は走るの大好きだからなぁ。やっぱり怪我で走れないのは嫌だよねぇ。足首お大事に」

 すでに彼女も板垣くんの嘘を知っているらしく、こぶしを固く握って「許すまじ、板垣!」と叫んでいた。きっと、私がきつい視線をしたのも悪いのだろう。

 でも、さすがにここで板垣くんが悪い奴だなんて誤解されるのは申し訳なくて。

 私は残る力を振り絞って必死に、弁明というか、誤解を解こうと頭を働かせる。

「……えっと、真帆?そのね、板垣くんにも悪気はなかったというか……」

「悪気があってもなくても、わたしのアイドル由利に怪我をさせた罪は万死に値する!」

 アイドルって何だとか、板垣くんは私を怪我させていないとか、言いたいことはいろいろとあった。けれど下手に多くを話せば藪蛇になりそうで、私はあいまいに笑うことしかできなかった。その笑みを見て、真帆に「やっぱり今日の由利は変だよ」と言われてしまった。そんなに私は体調が悪そうに見えるだろうか。何となく頬に手を当ててもみほぐしてみれば、再度「やっぱり変」という言葉を受け取ってしまった。

 動いた拍子に、コートから甘い香りが立ち上り、少しくらっとした。

 脳裏に浮かんだ板垣くんの気づかわしげな視線が、心の表層にさざ波を生じさせる。

 ただのクラスメイトの男子に見破られるくらいだから、相当なのだろう。

 でも、だとすれば真帆が私の体調不良に気づかないのに違和感がある。休んでいたおかげで少しは顔色がよくなったのだろうか。

 変、という言葉には、体調が悪そうという意味も含まれているのだろうか。

 じっと真帆の目を見つめ返してみても、形の整った焦げ茶色の目は、何も語ってはくれなかった。

「まぁいいや。わたしはいっちょ頑張ってくるよ」

 そう言って私から視線をそらした真帆は、グラウンドの方を見て「げ」と声を上げた。いつの間にか風はさらに激しさを増していて、降りしきる雪を横に運んでいた。

 遠くの空は吐き出した息が世界を覆ったように白く染まっていて、寒々しいことこの上ない。

「最悪だぁ……」

「頑張って?」

「くそう。やってやる、わたしはやってやるぞー!」

 威勢のいい声を上げて、真帆は雪が降りしきる寒空の下へと飛び出す。

 遠く、雪に紛れるように、白い野球ボールが空を飛ぶ。

 その動きをぼんやり眺めている間は、少しだけ心が軽くなった。

 去っていく真帆の背中に心の中でだけ「頑張って」とエールを送って。

 吹き付ける風から身を守るように体を掻き抱き、じっと寒さに耐え続けた。

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