第3話 ファースト・スクール・ホワイトクリスマス3
細長い校舎は左右に階段があり、横に六つ教室が並んでいる。お手洗いは後者の中央に男女並んである。後者の端にある教室からお手洗いまでにはクラスを二つ横切る必要があるのだけれど、そこには先生の姿も児童の姿もない。
他のクラスは、通知表を教室の中で配っているみたいだった。
キュ、キュ、という足音が、隣の教室から響いてくるにぎやかな声に飲まれる。冷たい教室を一人で歩く私と、温かな教室の中で楽しそうに話す児童。
私たちの間にも、壁が、そして、物理的なものだけではない、何か途方もない隔たりがあるような気がした。
それはきっと、死を知っているかどうか、なんじゃないかと思う。
お手洗いに入る前、ちらと来た方を見れば、そこには寒々しい灰色の廊下に取り残されるように居るクラスメイトの男子と先生の姿が見える。
配慮と言えば配慮なのだろうけれど、児童を一人一人呼び出して通知表を手渡して話をする先生は、どこか私たちを管理しようとしているように見えた。
私の次の次の出席番号の子は、成績が思わしくなかったのかうなだれていて、先生ばかりが何かをこんこんとしゃべっているみたいだった。
話し声は、私たちの間にある教室の喧騒のせいできこえてこない。ただ、叱っているようなその空気が嫌いで、逃げるようにお手洗いに入った。
入ってすぐ、掃除が行き届いていないのか、少し臭いにおいが鼻につく。顔をしかめながら、視界に動くものを見て横を向けば、そこには水道と、その上の鏡がある。
端っこが黒ずんだ鏡の中には、青白い顔をした私が映っている。
青白いというか、青ざめたような顔。整ってはいるのかもしれないけれど、美人というほどではない。平凡な私の像は、死んだ目でこっちを見ていた。
その黒々とした目に吸い込まれるような感覚が恐ろしくなって、慌てて目をそらす。あのまま引き込まれていたらどこへ行っていたのだろう。そもそも、あの闇は何だったのだろうと思って。
私は、大きなものを抱えているのかもしれないと思うとため息が漏れた。
個室には入らず、上履きを脱いでスリッパをはいて、まっすぐに窓の方に向かう。
やや動きの悪い窓を開けば、新鮮な空気が強く吹き込んでくる。
風に遊ばれる髪を押さえて、耳にかける。手を置いた窓枠は冷たくて、けれどその冷たさが不思議と、私の気持ちを落ち着けた。
校舎の四回から見える世界は開けていて、けれどいつものようなすがすがしさはない。
視界の半分近くは黒っぽい灰色の雲が埋め尽くしていて、迫るそれは水平線を飲み込み、世界を押しつぶしていた。
第二校舎もまた、クリーム色だったという校舎は長年雨風にさらされたせいでくすんだ灰色になっていて、やっぱりこちらも気持ちを憂鬱にさせる。
校舎の先には小学二年生の頃にやった農業体験授業で使った畑が見える。サツマイモを植えて学校がある日には毎日水を上げていたその土地には、今は何も植わっていない。赤茶の大地が、緑のつるでおおわれることはもうないのだと、私は少し前に小耳にはさんだ話を思い出していた。
協力してくれていたおじいさんが死んでしまって、あの土地を使えなくなったこと。狭いこの学校ではほかに畑なんてなくて、だから去年からこの学校ではサツマイモの栽培はされていない。
私がこの小学校にいる間だけでも、小学校は変わっていく。荒地だった場所には新しい家ができ、古くからあった建物は塗り直されてどこか景色から浮いている。遠くに見える竹林は冬なのに青々としていて、その一方で私有地の林からは緑が消えて寒々しい。
晴れていれば冬であってもすがすがしさを感じられる光景も、濃い曇天の下では憂鬱なものに様変わりする。
それは逆に、気の持ちよう次第で私の心だっていくらでも変わるということを意味しているようで。
けれど、また一つ憂鬱さからくるため息を吐き出し、白い息が風に吹かれて背後へと消えていく様を、振り返ってぼんやりと眺めた。
頭上で明滅する蛍光灯の下、静かなお手洗いを見ながら、そろそろ戻ろうかと窓を閉じる。
教室に戻る足取りは、近づくほどに重くなっていく。
先生と話している子は出席番号が最後から四番目ほど。いい時間に戻れたと思いながら、会釈をして扉に手をかける。
窓も扉も締め切り、ストーブと児童の体温で熱せられた教室の空気は、むわりと湿気を含んで私の顔に迫る。
その空気を浴びながら私が眉をひそめたのは、喧騒に頭が痛んだからではなかった。
そもそも私がお手洗いに行ったのは、危機回避のためだった。
あのまま教室にいれば、友だちから通知表のことを聞かれて、いらない騒ぎになる。通知表に示された結果を私自身がどうとも思っていなくても、友だちはそうは考えない。余計なことにいなるのはわかっていて、だから私は、通知表の会話を避けるべく席を外した。
それなのに。
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