第2話 ファースト・スクール・ホワイトクリスマス2
クラスに入ると、仲のいい友だちが寒いね、クリスマスだね、と話しかけてくる。
私もまた、内心を隠しながら彼女たちの話に混ざる。友だちの一人はどうやら好きな人がいるようで、さらには今日という日に告白をすると宣言していた。
その決意表明を聞いて、みんなはいっせいに沸き立った。私もまた、彼女の決意をたたえて惜しみない拍手を送った。
照れくさそうに頬をかく彼女は、そうして背水の陣を敷き、よし、とこぶしを握って覚悟を決めた様子だった。
目は潤み、頬が上気していた。それが寒さのせいじゃないことは、教室の前方で真っ赤に燃えるストーブが証明していた。
「頑張る。絶対に、俊介くんと恋人になるんだ!」
俊介――その名前に、ちくりと心が痛む。
喉に骨が引っ掛かったように、あるいは、墓前に座る父のことを思い出してしまったような痛み。
周りに見えないように小さく首を振って、余計な思考を振り払う。脳裏に浮かんだ、少年の姿もかき消す。
恋人になるとは、どういうことだろうか。私には、よくわからなかった。
昔、恋人とは何か、友だちに訪ねたことがある。彼女は不思議そうに首をかしげながら、お父さんとお母さんみたいに、一緒にいようって約束することだよ、と教えてくれた。
当時の私は、それでは理解できなかった。一緒にいるという約束は、つまり、結婚ではないのだろうか。恋人とは、恋とは、夫婦関係とは、また少し違うもののはず。
恋人から進んだ夫婦だって、永遠に一緒にいるわけではない。死は愛し合った者たちを引き裂く。愛し合っていない者同士も引き裂く。
あるいは、結婚したからこそ愛を失う恋人だっている。
なら、恋人関係になってどうするというのだ。永遠に愛することを誓っても、別れるのなら。
告白も恋人になることも、夫婦になることも、意味があるとは思えない。
ませた友だちたちとは違って、私は冷めた思いでいっぱいだった。
余計な思考の中、ちらと視線は教室の後方に向く。
友人たちの輪の中に加わる男子の一人。ひょろりとした、やややせぎすの少年の姿を、私の目は一瞬で見つけ出す。
俊介。幼稚園から一緒にいる人。小学校でもたびたび同じクラスになり、そのたびに一喜一憂していた。
一緒にいて楽しい。他のクラスメイトよりも落ち着きのある彼とは話が合って、男子の中では一番仲がいいと思う。
私の視線に気づいた俊介が、頬を緩めて笑う。心から嬉しそうに手を振る彼に、私は返事をしない。手を振ることもない。
ただ、そっと視線をそらして、友人たちの輪に戻す。
俊介に告白すると宣言した子が私をじっと見ていることに、私は気づかなかった。
終業式の今日、授業は一つも行われない。授業開始時間前、私たちは学級委員長の指示に従って廊下に出て、冷たい空気から体を守るように廊下を歩きだした。
一限の時間は体育館で全体集会。狭い体育館は全校児童を集めるといっぱいになって、子どもの熱気がうねるように空間に広がっていく。
それでも、底冷えするような冷気が、直に座ったお尻から体全体へと広がっていくのだからたまらない。
校長先生の珍しく短い話を聞ききながら、私たちは寒さに耐える。ポケットの中に忍ばせた懐炉のぬくもりを頼りにしながら、横に座る男子が手をこすって温める姿を何とはなしに眺める。
校長先生の話が短かったからか、教務主任の先生はこれ幸いと冬休みの間の気を付けることを長々と語った。それはいつもの、長期休業前の日の慣れた話だから、眠くなるし退屈で仕方がない。
友だちの一部はこそこそと話をしたり、寝たりして時間を過ごす。私もまた、早く話が終わらないかな、と聞き流しながらポケットの中の懐炉を揺らした。
長い終業式が終われば、解放された児童はどっと体育館からあふれ出す。
押し合いへし合い。色とりどりの衣服を身にまとった生徒が一つの流れとなって廊下を進む様子は圧巻ともいえる。
階段で上下に分かれた流れの一つに身をゆだね、流されるように教室に戻る。
体育館は寒かったけれど、廊下はもっと寒い。
朝についていたストーブの熱がわずかに残る教室の中に入れば、思わず深い吐息が漏れた。
朝にクリスマスの話題はひとしきり行ったからか、話題は冬休みのこと一色だった。年末年始に遠くにある祖父母の家に行く人達の中、一人が沖縄にある母方の実家に行くと話して脚光を浴びる。
女優のように、あるいはモデルのように、もてはやされる少女はまんざらでもなさそうにいつもの年末年始の内容を語って盛り上げる。
クリスマスのことよりはよっぽど有意義だったけれど、やっぱり話についていくことは難しかった。
私には年末年始に出かける予定はないし、お父さんの実家に行くことはない。ましてや、お母さんの実家に行くことなどありえない。
両方の家から半ば絶縁されているから、私はもう久しくおじいちゃんにもおばあちゃんにもあっていない。
これも、お母さんが死んでしまったせい。
そう思うと、記憶の中でさえおぼろげになってしまったお母さんを恨む気持ちがとめどなく湧き上がる。
どうして死んでしまったのか。どうして、私は今、こんな思いをしていないといけないのか。
そして何より、こんな風にお母さんを責めようとする自分が嫌いだった。
お父さんとおんなじだと思いながら、沈んだ心はそのまま暗い心の海の奥へと飲み込まれていく。
適当に相槌を打ちながら、早く話が終わってくれないかなと期待する。
恋人もわからないけれど、私は友だちもよくわかっていないのかもしれない。
共感してわいわいと盛り上げる友だちは今目の前にいるのに、私たちの距離はどこまでも離れているように感じた。
透明な分厚いガラスで隔てられた私には、友だちの声は小さく、そして少しばかりゆがんで聞こえる。
その声音の中に私へのあざけりが含まれていたような気がするのは、きっと気のせい。
話は、勢いよく扉を開いて担任の先生が入ってくるまで続いた。
「由利さん。よく頑張りましたね」
40歳くらいの担任の女の先生が、優しく微笑んで私に通知表を手渡す。それを私は、廊下の寒さ以上に冷めた思いで受け取った。
よくできました・できました・もうすこしがんばりましょう。
三つ並ぶ評価の一番左、「よくできました」の欄にすべての丸がついていた。一学期も、そして今回の二学期も。
直すところはないと、そういわれていた。問題のない児童。だから私は、先生から目を向けられない。いつだって少し変わった子の相手ばかりする先生は、私をしっかり見ることなく、きっとなんとなくで評価をつけているのだ。
だって、私はそれほど国語が得意じゃないし、図画工作だって怪しい。それなのによくできました。何よりも、当たり障りのない所見が、先生がいかに私のことを見ていないのかを物語っていた。
だから私にとって、通知表はあまり価値の感じられないもの。こんなもので喜ぶ気にも悲しむ気にも、ましてやもっと頑張ろうという気持ちになれるはずがない。
廊下から教室に戻れば、温かな空気が体を包み込む。
心のとげとげは、実は氷でできていたみたいに、その温かさの中に溶かされていく。
心は緩み、体は少しだけ軽くなる。
次に通知表を受け取るために廊下に出るクラスメイトとすれ違い、私はやや軽い足取りで自分の席に戻った。
友だちが一喜一憂している中、私は通知表をランドセルにしまってお手洗いのために教室を出る。評価の話の真っ最中だった先生とクラスメイトが素早く反応する。クラスメイトの男子は、どこか不貞腐れたように唇を尖らせ、あっちにいけと視線で語る。先生の方は、一体何の用かと、いぶかしげに私を見ていた。
二人に何かを言いかけ、けれど特に話すことなんてないことに気づいて。
小さな声で「お手洗いに行ってきます」とだけ告げて、私は二人から離れた。
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