第16話 平民みたいに

「え、っと……」


 出勤してきたベッティーノを捕まえて、研究の続きの前に色々と確認をしておきたくて疑問をぶつける。


「貴族の令嬢ってのは、自分で料理なんてしないもんだと思ってたんだが。……違うのか?」

「うん……?」


 説明を全部すっ飛ばしてる自覚は、ある。

 けど今は、こいつの困惑とかどうでもよくて。


「そもそも貴族は、平民よりも相手との距離感が遠いもんだと思ってた。……俺の認識は、間違ってたのか?」

「えっと……ニコロ?」


 平民みたいに、自分で買い物に行って自分で作って自分で食べる。

 平民みたいに、というかそれ以上に、距離感が近すぎる。なんなら軽々と抱き着いてくる。

 そんな彼女は、本当に元貴族令嬢なのか?


「お前の妻は、元貴族令嬢だろ」

「うん。シャーリーは元侯爵令嬢だね」

「じゃあその元侯爵令嬢は、家で料理なんてするのか?」


 もしこれでベッティーノが頷くのなら、俺の認識が間違ってたことになる。

 けど、そうじゃなかった場合は……。


「ニコロ、これでも僕だって一応貴族出身なんだよ? 子爵家だったとしても、使用人くらいはいるからね?」

「つまり……」

「家から何人か連れて来てるから、僕もシャーリーも料理なんてしたことないよ」


 やっぱりかぁ!!

 おかしいと思ったんだよ! 基本的に貴族は家事なんてしないはずだもんな!


(よかった! 俺は間違ってなかった!)


 いや、よくないだろ!

 一瞬安心しかけたが、よくよく考えたら結局問題ありだった。


「君は確か、使用人を雇っていないんだったよね?」

「あ、あぁ」

「それで……奥方が、家事を?」


 ベッティーノの顔が、信じられないとでも言いたげな表情に変わる。

 だがそこは弁解させてくれ!


「ちょっと待て! 俺はちゃんと食事は用意してた! 家も定期的にキレイになるようにしてる!」

「そうだよね。僕たちの研究テーマである生活魔術を、君ともあろう者が使わないはずないもんね」

「バカにされてるせいで、俺たちしか研究してないけどな」

「分からないよねぇ。こんなにも便利で快適になるのに、どうして改良どころか使おうともしないのか」


 そりゃあ貴族には使用人がいるから、必要ないんだろ。なんて言葉は、口にしないようにして。

 いつもだったらここで議論を交わすこともあるが、今は本当にそれどころじゃないんだ。


「逆に俺は、どうしてここまで便利になってるのに、わざわざ自分で食事を作りたがるのかが分からない……」


 というかむしろ全体的に、彼女の考えていることや扱い方が分からない。

 俺の貴族令嬢の認識と違うし、かといって平民出身でもないし……!


「なるほど。つまり君の奥方は、好きでしているわけだね」

「…………みたいだな」


 納得したくない言葉ではあるが、認めざるを得ない。というか、そうじゃなきゃ説明がつかない。

 毎食分こっちでちゃんと用意していたのに、わざわざ外に出て自分で食材を買い込むところから、なんて。むしろ普通はやりたがらないだろ。


「やっぱり僕のシャーリーの言う通り、ジュリアーナ様は噂とは違うお方だったのかな?」

「……ジュリアーナ、様?」


 わざわざ彼女に敬称をつけているのが気になって、そう聞き返せば。


「僕もシャーリーも、幼い頃に一度ご挨拶させていただいているんだ。その時に、気軽に名前で呼んでくださいって言われててね」


 返ってきた言葉は、なんとも貴族らしい理由で。


「でもほら、さすがに将来王家に入られる方を名前呼びはちょっとってことで、僕はアルベルティーニ公爵令嬢って呼んでたんだけどね」

「あ? でもお前、まるで知らないみたいに言ってなかったか?」

「僕はその時に、少しだけ会話を交わして程度だからね。幼少期の挨拶程度じゃあ、今の人となりなんて分からないからね」


 それは確かに、ほとんど知らないのも同然だ。

 むしろ貴族っていうのは、そういう関係が多いのかもな。こいつの口ぶりからするに、別に珍しくもなさそうだし。


「そうか。今はむしろ、ランディーノ男爵夫人って呼ぶべきだったね」

「っ……」


 ベッティーノの言葉に是も非も口にできなかったのは、その事実は正しいけれど真実ではないから。

 俺と彼女の結婚に関しては、あくまでも形式上。書類上の関係でしかないんだ。

 そこに俺たちの意思は、ない。


「それに、噂とは全く違う人物だとしたら……。そこには何か、理由があるということかな?」

「っ……!」


 探るような瞳に、俺はどこまで本当のことを言っていいのか分からなくて。結局そっと、目を逸らす。

 ジュリアーナが今の暮らしを満喫しているのなら、しかも長年計画してきた上でそれが成り立っているのなら、壊さないでいてあげたい。

 俺では想像もつかないような苦労をしてきて、国を背負う重圧を幼い頃から感じてきたんだろうから。

 そこからようやく抜け出せて、のびのびとしている今の彼女を城に連れ戻させるようなことは、したくなかった。何がそのきっかけになるのかも、俺には判断できない。


「まぁ、うん。深くは追及しないでおくよ」


 そんな俺の反応を見て、何かを察したらしい。ベッティーノはそれだけ言って、大人しく引き下がってくれた。


(自分のことなら、いくらでも話せるんだけどな)


 いくら信頼している相手だからって、ペラペラとなんでも話すべきじゃない。それは俺だって、よく知ってる。

 特に今回は、内容が内容だから。気軽になんて、口にできない。


「……悪い」

「いいよ。僕は君のそういうところが好きだからね」


 俺はどうやら、貴族に比べると色々と顔に出やすいらしい。分かりやすいとは、出会った初期の頃にこいつに言われた言葉だ。

 けどそれが、貴族社会に疲れてたベッティーノにはちょうどよかったらしい。

 そうして色々あって意気投合した俺たちは、今こうやって同じテーマで研究をしているわけだが。


「いつか……話せたら、話す」

「もし奥方の許可が出たら、でいいからね。それにきっと、いい方向にこれから変わっていくだろうから」


 確信めいたことを口にするベッティーノが、ジュリアーナが俺に嫁いできたことでどんな未来を想像したのか、俺には分からない。

 ただ、少しだけ。

 俺よりも彼女を知らないはずなのに、そこに込められた信頼が厚いように聞こえて。

 ほんの少しだけ、胸の中がざわついたような、面白くないような気がした。





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