第8話 個人的な手紙

「……はい?」

「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」


 俺の、疑問を持って聞き返した言葉を、返事と勘違いしたのか。はたまた、都合よく捉えたのかは、分からないが。

 大勢の護衛を引き連れながら、悠々と去っていく後ろ姿を見ても。まだ、実感は湧いてこない。


(いや、むしろ)


 今のは、本物か?

 いや、本物のはずだ。そうじゃなければ、魔導士が管理している場所に入ってくることすら不可能なんだから。

 そう、だから、本物…………。


「ニコロ、プラチド殿下はお帰りになられたよ?」

「…………はああぁぁ!?」


 研究室から顔を出したベッティーノの声で、停止していた思考の中からようやく現実に戻ってきた俺は。あまりにも非現実的な事実に、頭が追い付いてなかった。

 というか、なんで俺はこの国の第二王子殿下から、個人的な手紙を託されてるんだ!?

 しかもこれ、あて名が【ジュリアーナ・ランディーノ男爵夫人】ってなってるぞ!?


「意味が分からん!!」

「う~ん……。僕もよく分からないけれど、とりあえず君は先にそれを届けてくるべきじゃないかな?」


 そう言ってベッティーノが指さした先は、俺の手元。

 渡された時に両手で受け取って、そのままだった手紙。

 おそらく。たぶん。この形式は、手紙の、はず。


「……もしかして君、中身を盗み読みするつもりなんじゃ」

「そんなわけあるか!!」


 いくら俺でも、王族から渡された手紙の内容を知ろうとは思わない。

 そういう魔術はあるが、こういう時に使うべきものでもない。


「それなら見つめていても仕方がないよ。ほら、行っておいで」

「……チッ」


 その通りなのが、どこか悔しい。

 これじゃあ俺が、ベッティーノに諭されたみたいじゃないか。子供じゃねぇんだよ。

 とはいえ、後回しになんてできるはずがない。


(なんで俺に預けにきたのか、そこが若干気になるけどな)


 そもそも王族なら、すぐにでも相手に届ける手段はいくらでもあるだろうに。

 それなのに、わざわざ研究室にまで来て直接手渡しってのが、な。引っかかるよな。

 ぶっちゃけ使用人とかに預けて、筆頭のジジイにでも頼んでおけばいいのに。


「すぐに戻ってくる予定なら、先に実験の準備を始めておくよ?」

「あぁ。頼んだ」


 とにかく、ウダウダ考えてても仕方がない。むしろ渡してきた本人がここにはもういない以上、真意を俺が知ることはできないんだし。

 だったらサッサと用事を済ませて、今日の実験に早く取り掛かりたい。

 ベッティーノが研究室の中に戻っていく後ろ姿を眺めながら、俺も魔術式を発動して自宅へと飛んだ。


 のは、いいが。


「一応、本人に渡すべきだよな」


 この家の中にある限り、盗まれることもなくなることもない。

 が。

 万が一受け取ってないだのと言われたら、それこそ困る。

 王族が直接足を運んだ事実は、きっと大勢が知ってるからな。内容がなんであろうと渡したという事実さえあれば、俺の行動に非は認められないだろう。


(とはいえ、第二王子殿下から性悪女へ手紙、か)


 このことを口外するつもりはないが、それでも気にはなる。

 どちらかというと、あの女に利用されてるんじゃないかという意味で。


(ま、そこは俺が気にするようなもんじゃないよな)


 ヤバそうなら、周りが止めるだろ。

 なんて考えながら、家の中を歩いてたら。何も入っていないはずの、物置部屋の扉を開こうとしている人物の姿が、目に入って。


「なにか企んでいるのか?」


 思わず、そう声をかけた。

 必要ないはずの場所を探ろうとしているように見えたら、警戒したくもなるだろ。

 こんな、よく分からない手紙を渡された直後なら、なおさら。


 なのに、だ。


「あら旦那様。お帰りなさいませ」


 なにもなかったかのように振り向いて、笑顔で挨拶をしてくる書類上の妻。

 本当になにもなかったのか、それともそう振舞ってるだけなのか。俺には見分けられない。

 ただ、いきなり声をかけられた場合普通の反応としては、驚きや動揺が見えてもいいはずだろうに。

 冷静さを失わず、平然と笑顔で挨拶できるのは、演技力が凄いのか貴族教育の賜物か。


(本当に、読めない女だ)


 これでなにも考えてない、なんてことはあり得ないだろうな。

 というか、そもそも。


「別に帰ってくる予定はなかった。預かりものを届けにきただけだ」


 第二王子殿下からの、手紙であろうものを差し出す。

 これさえなければ、今頃は実験を始めていたはずなんだ。

 むしろ、早く帰って実験したい。


「まぁ! わざわざ届けに戻ってきてくださったのですか? ありがとうございます」

「君のためじゃないからな」


 そこを勘違いされたら困る。

 今回は殿下からの直々の頼みだったから、急いで渡しに来ただけだ。


「ちなみに、こちらはどなたからでしょうか?」

「開ければ分かる。じゃあな」


 俺が下手なことを言わなくても、おそらく貴族同士ならそれで分かるんだろう。

 というか、過去にベッティーノがそう言ってた。


(面倒だな)


 だがこれで、やっと実験に戻れる。

 これで終わりとばかりに研究室に戻ったこの時の俺は、まだ気づいていなかった。

 返事の手紙を第二王子殿下に届けるという、さらに面倒なことがこの先待ち受けていることに。





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