第34話 国王陛下のご決断

「あと、名前は呼んでくれないの?」

「ぶふっ!」


 一区切りついたと思ってハーブティーを口に含んでいたニコロは、私の質問にそれを吹き出してしまう。

 ゲホゲホと、むせてるけど……。私、そんな変なこと聞いてないよね?


「なっ、急にっ……」

「え? だってさっきは呼んでくれたでしょ?」

「あ、れはっ…ケホッ」


 これは背中をさすってあげるべきかな、なんて思って立ち上がろうとした私を、彼は片手で制して。ついでに、吹き出したハーブティーも魔術でキレイにして。

 ようやく収まった咳込みに対してなのか、あるいは別の理由からなのか。はぁーー……と長めのため息のような声を出してから。


「あー……アレは、緊急事態だったからで」

「緊急事態?」

「……もし、君が強制的に連れて行かれるようなことがあれば」

「あれば?」

「攫って、逃げよう、かと……」


 おっとぉ?

 うん。確かにそれは、緊急事態だわ。


「なんでそんな物騒な発想を……」

「君は十分国に尽くしてきた! そんな君を一方的に切り捨てた相手のために、また君が犠牲になる必要はないと思ったんだ!」


 え、ちょっと待って。私の、ため?


(ニコロって……分かってはいたけど、お人よしがすぎない?)


 この人は本当に、今まで一人でなんとかなってきたんだろうか?

 もしかして、周りにかなり助けられてきたんじゃ……?

 こんなに人がよかったら、簡単に利用されるよ? 特に貴族たちには。


 というか。


「……なんでそんなに、私のために一生懸命になってくれるの?」


 犯罪者になる覚悟までして。

 そこまでは口にしなかったけど、あの場で本当に私の意思を無視して王家が取り込もうとしていた場合、そんな人物を連れ去ったら投獄どころじゃ済まない。国家反逆罪という、大罪になる。

 それが分からないような人じゃ、ないはずなのに。


「…………君が……俺に対してなんの興味も、未練も抱いていないことは、言葉の端々から分かってたけど……」

「え?」


 待って。なんだろう、この……体験したことのない不思議な空気感は。

 知らないはず、なのに。


(夢の中のが読んでた、漫画みたいな……)


 そう、例えば。少女漫画、みたいな。


「俺も人のことは言えないけど、君も案外鈍いな」

「え……!?」


 ちょっと待って! それは困る!

 私はそんなに鈍くない、はず。そうじゃないと、何も察することのできない役立たずの令嬢になっちゃってたから。


「政策や腹の探り合いは得意でも、違う分野では発揮できないんだな、その能力」

「え? え?」

「こういうことだよ」


 困惑している私の目の前に、突然現れた淡い色の塊。

 それは、どう見ても……。


「花、束……?」

「俺から、君に。全てが片付いたのなら、今度こそ本当の夫婦になってほしい」

「……え」


 それは、本当に少女漫画のようで。

 知識の中にしかなかったことが、現実に。しかも私の身に起きるなんて、思ってもみなかった。


 だけど。


(はじめて、もらった)


 男性から、私のためだけに用意された、花束なんて。

 家族だった人たちも、婚約者だった人も、誰もくれなかったそれは。こんなにも輝いて見えるんだってことを、今初めて知った。

 目の前で、真剣な表情で私を見つめているアンバーの瞳の中に、嘘は一切見つけられない。


 それもそのはずだった。

 だってニコロには、こんな風に私に嘘をつく理由なんて一つもないんだから。


「どう、しよう……。うれ、しいっ……!」

「よかった」


 浮いている花束をそっと手に取って、腕の中で優しく抱きしめる。

 こんなにも嬉しい贈り物をもらえる日が、私にもくるなんて。


「君の心が俺に向いてないのは、分かってる。ようやく望んだものを手に入れた君を、急かすつもりもない」


 真っ直ぐに見つめてくるその表情は、どこまでも真剣で。

 でも少しだけ、頬と耳が赤い。


「だから、ゆっくりでいい。少しずつ俺のことを知っていって、君のことを教えてほしい」

「それならなおさら、名前で呼んで?」

「ん゛っ……。ぜ、善処する……」

「ふふっ」


 最初はきっと、最悪な出会いだった。彼の中で私の印象は、地の底以下だっただろうから。

 そんなニコロが、いつから私をそんな風に見てくれていたのかは分からない。そういう意味では、確かに私は鈍いのかもしれない。

 でも、それでいい。


(きっと私は、すぐに彼を好きになる)


 そんな予感がするから。

 もしかしたらもう、惹かれ始めているのかもしれない。

 だって彼と一緒にいて疲れることなんて、今まで一度もなかったから。


 ね?

 ちょっぴり人付き合いが苦手な、優しくて可愛い旦那様?




 ◇   ◇   ◇




 それから、一か月後。


 第一王子には適性なしと判断し、第二王子が学園を卒業次第、立太子の儀を執り行うと発表された。

 それは対外的にも、第二王子であるプラチド殿下が次の国王となると周知させ、今後はそう心得た上で対応するようにということ。


 なにより。

 国を第一に思う、国王陛下のご決断に他ならなかった。


 それと同時に、私に対するよくない噂が少しずつなくなっていき。

 最終的には、そんな噂は初めからなかったかのような扱いで落ち着いた。


「普通に考えれば、妙だよな」

「そうでもないんじゃない? 私への最終確認の場に陛下がいらっしゃらなかった時点で、ほとんど決定事項だったんだと思うし」


 私の噂の件だけじゃない。第一王子を候補者から完全に外すのも、第二王子を後継者に選ぶのも、たぶんもっと前から決まってた。

 それはきっと、外遊から戻られた国王陛下が真実を知った瞬間に。


「それで噂がなくなるか?」

「第一王子殿下を後継者から外すには、それ相応の理由が必要だからね。王家の醜聞になったとしても、第二王子殿下を後継に据えるべきだというご判断ということ」

「だからって、これは……」

「思い切ったことをしたなーって、私も思うけどね」


 号外として配られたには、第一王子の浮気癖と二度目の破談について、面白おかしく書かれていた。

 私にはもう関係ないこととはいえ、王家の信用を落とすようなことを陛下がよく許したなって思う。


「……君は本当に、この国の最も偉い人物に気に入られていたんだな」

「かもね」


 それはきっと陛下から、もう顔を合わせることすらできなくなってしまった私への、最大限の贖罪の意。そうじゃなければ、こんなこと普通できない。

 おかげで私に対する噂も、悪いものは一切なくなった。

 代わりに時折、同情めいた言葉が聞こえてくることがあるけど。そこはもう、聞かなかったことにして通り過ぎるようにしてる。


「というか、名前」

「う゛……」

「そろそろ呼んでくれてもいいんじゃない?」

「それは、そのっ……」


 号外で顔を隠しても、真っ赤になってるのは分かってるんだからね!


「愛が足りなーい」

「ん゛っ……」

「あーあ。私はいつになったら旦那様のことを愛せるんだろうなー」

「じゅ……ジュリアーナ……!」

「なぁに? ニコロ」


 必死に私の名前を呼んでくれるその姿は、普段の彼を知っている人からしたら想像もつかないであろう可愛さだった。


 でも、それでいいの。

 知っているのは、私だけで。


「約束通り、名前で呼んでくれないなら私も呼ばないからね?」

「そ、それは困る……!」

「あら。私は困らないけど?」


 お休みのキスを頬にしただけで、首から上が真っ赤になっちゃうくらいだから、先は長そうだけど。

 でも、それでもいいの。

 時間はたっぷりあるんだし。

 私たちは私たちなりの歩幅とタイミングで、ね。


(でもまだ、私の気持ちは教えてあげない)


 彼が私の名前を照れずに言えるようになったら。

 名前を呼び合うことが、普通になったら。


 そんな日が来るまで、この気持ちは私の胸の中でそっと温めておこうと思う。

 「愛してる」の言葉と一緒にね。





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