第33話 国のため

 長い長い城内の廊下を歩くのは、きっとこれが最後になるだろう。

 でも正直寂しさよりも安堵のほうが上回るのは、私がこの結果をずっと追い求めていたからに他ならない。


(ここで意中の人が迎えに来てくれたりすれば、物語みたいで最高なんだけど)


 残念ながら、私にはそんな人は存在していない。

 念のため、とつけられた護衛二人を後ろに引き連れて、ただまっすぐ車留めへと向かうだけ。

 王妃様が準備してくださった馬車へ乗り込んで、ランディーノ男爵家へと帰る。そうすれば私は、二度とこの場所へ来る必要もなくなる。


(ようやく、全てから解放された)


 必要なことを学ばない、愚かな第一王子のお世話からも。そんな愚か者を支えるために、必死で学ばなければいけない日々からも。

 自国内の貴族たちや、他国の使者たちとの腹の探り合いも、私はもうしなくていい。


(ようやく、自由だ)


 あとは巻き込んでしまったニコロと話し合って、今後どうするのかを――。


「ジュリアーナ!」


 その時聞こえてきたのは、私を呼ぶ声。

 反射で振り返ったけれど、聞き覚えがあり過ぎるその声で呼ばれた私の名前には、違和感しかない。

 だって。


「どうして、ここに?」


 今初めて、名前を呼ばれたんだから。

 全身黒の出で立ちに魔術師のローブを羽織った、書類上の私の旦那様に。


「プラチド殿下から聞いた」

「あら」


 確かにあの方ならば、今日私が王妃様に呼び出されたことを知っていてもおかしくはない。

 けど、それをわざわざニコロに伝えたのは、どうして?


「ひとまず一緒に帰ろう。許可は出てる」


 そういうことならば、問題はないはず。

 私は素直に頷いて、ニコロと二人並んで歩く。その後ろを、護衛の騎士たちがついてくるという、なんとも不思議な光景だけれど。


「色々と聞きたいことも話したいこともあるが、君が誰の馬車に乗って城に来たのかを知っている人物がいる以上、帰りも同じでないと問題になるらしいな」

「えぇ、そうね」


 小さく舌打ちしたのが聞こえたのは、今すぐにでも魔術で家に帰りたいから?

 ニコロにならそれができるのに、わざわざ時間がかかる馬車に乗らなきゃいけないのが面倒なのかも。


(でもね、貴族っていうのはそういうものなのよ)


 特に今回は王族が関係している以上、下手なことはできない。

 帰る時は馬車を用意してもらえなかった、なんて噂が立てば、私は完全に見放されたと思われる。それは、王妃様も望んでいないはず。

 それに、あの愚かな第一王子の言を信じた、なんて思われては、王家としても今後に差し支えるだろうから。


(ここは王妃様の顔を立てておくところ。ついでに、王家に恩を売るところ)


 打算的と言われようが、関係ない。それが貴族の生き方だから。

 ニコロはそういう面倒なこと、嫌いだと思うけどね。

 とはいえ理解はしてくれているから、ちゃんと一緒に馬車に乗ってくれたし、家に着くまで核心には触れないでいてくれた。

 その代わり、同僚たちが大騒ぎしていて大変だったと教えてくれたけど。



「で?」


 さすがにドレスのままだと疲れるからと、先に着替えさせてもらって。

 いつの間にか用意されていたハーブティーは、私が席に着くのと同時に触れてもいないのにカップに注がれた。


「全部、魔術で準備したの?」

「そうだ」

「便利すぎない?」

「……今はその話じゃないだろ」


 ちょっとムスッとした顔でニコロはそう言うけど、私としてはむしろ質問してもらったほうが楽だったりする。

 だって何を聞きたいのかとか、分からないし。

 あ、でも。


「とりあえず、計画は上手くいったっぽい?」

「なんで疑問形なんだ」

「発表があるのは、まだ少し先だから?」

「なるほど、理解はした」


 今日明日で発表できるほど、準備は終わっていないはずだし。

 議案としては、ほとんどの貴族が賛成するはず。そのための土台作りもしてきたんだから。


「それで、君の望みは叶いそうなのか?」

「おそらくは。きっと両陛下は、国のために動いてくださる」

「国のため、か」


 その言葉の意味するところを完全に理解して、ニコロはどこか複雑そうな表情を浮かべる。

 それは、私情よりも優先しなければならないことがある王族に対してなのか。それとも、その大義名分のために振り回された人々全てに対してなのか。

 あるいは……。


「お偉方のやり取りなんて、国民にとってはどうでもいい」

「でしょうね」

「だからこそ噂にも惑わされるし、身勝手な想像と感情で動く」


 どちらかと言えば、ニコロは平民寄りの立場だと思ってた。彼自身の出自もそうだし、魔導士という存在もあまり貴族のアレコレには興味がなさそうだったから。

 けど、今はむしろ。


「俺は正直、納得がいかない。結局君は、国のために犠牲になってる」

「私のために、怒ってくれてるの?」

「当然だろ。俺と君は夫婦だ。妻が悪し様に言われているのを許せる夫が、どこにいるんだ」

「え、っと……。私との夫婦生活、続ける……?」

「…………は?」


 私のためを思ってくれているのは、とっても嬉しいんだけどね?


「計画がほとんど成功したから、正式な発表後なら夫婦関係を解消することも可能だと思う」


 プラチド殿下が立太子されれば、この国の私に対する拘束力はかなり弱まる。

 受けてきた教育の関係上、他国に完全に渡すわけにはいかないだろうけど。代わりに簡単な旅行とかなら、問題なくなると思うんだよね。

 むしろ今までの色々がある分、かなり自由にさせてもらえるはず。

 そうなったら、嫌がらせの一環として強要されたこの結婚自体も、なかったことにできるんじゃないかな。


「君は……俺と、離婚したいのか……?」

「離婚というか、そもそも結婚していた事実そのものをなくせるというか……」


 乙女ではない可能性を疑われることはあるかもしれないけど、別に私は今後平民として生きていくつもりだったし。そうなると、貴族からの目なんて関係ない。

 そもそも子供なんて生まれる予定もないんだから、一年経てば全員納得するでしょ。


「あ、もちろんニコロの研究の自由は保証してもらうよ?」

「いや……。そうじゃ、なくて」

「騒動の被害者なんですって言っておけば、体裁を気にする人たちは文句言わないと思うし」

「いや、だから……」

「ニコロが望むのなら、今からでも準備を始めておけるよ!」

「だから! 俺じゃなくて、君がどうしたいかのほうが大事だろうが!」


 いきなりの主張に、私は思わずキョトンとしてしまう。

 いや、だって……。


「……私?」

「君が立てた計画だ! 君が望んだ結果を得られなければ、君だけが損するじゃないか!」

「そんなことないと思うけど?」


 だってそもそも、この状況がイレギュラーなわけで。

 本当なら誰かを巻き込むことなく、私一人平民として暮らしつつ国を出ていたはずだったから。


「君は国に人生を捧げすぎだ!」

「そんなつもりは……」

「君にはなくても、俺から見ればそうとしか思えない!」


 そ、っか。そんな風に見えてたんだ。

 だからさっきも、あんなに怒ってくれてたんだ。

 私の、ために。


「……君はもう、未来の王妃でも国母でもない」

「……うん」

「だったらもう、国のことは切り離して考えていいはずだろ? 君の人生は、君だけのもののはずだ」


 私の人生は、私だけのもの。

 その言葉は不思議なくらい、私の心の中にストンと素直に落ちてきて。

 そうしてようやく、理解する。


「そっか。本当の、自由って……」


 国のためを考えて、策を練るのでもなく。

 民のためを考えて、未来を描くのでもなく。



 ただ私自身の人生を、自分の責任で生きることなのか。



 だから私はもう、国のための施策を考える必要はない。政治の心配をする必要はない。

 それは他の人たちが、これからやるべきこと。


 私はちゃんと、あの場所での役目を終えてたんだ。


「国のためじゃなく、自分のためだけに生きていいんだね」

「そうだ」


 そっか。それが、自由か。

 それなら……。


「ねぇ、ニコロ」

「なんだ?」


 最初のわがまま、聞いてもらえるかな?


「……もう少しこの生活、続けてもいい?」

「当然だ」


 そう答えてくれた彼の耳は、ほんの少しだけ赤かった。





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