第40話 神話の再演

「フン……どうやら僕の予想の方が正しかったみたいだな、ジェネフ」


 突如として現れた強大なこんとんの気配。

 方角からして予想はついていたが、こうして実際に目にすると気がるものだと、ホルスは嘆息する。


 巨大な砂嵐が都市に接近している。

 というより、この場所へと向かって来ている。


 ここは所用で立ち寄っただけの小さな町だ。防衛の要所でも何でもない。

 恐らく、あのセトは自分を直接狙っている。

 奴の元来の気性からして、十分に有り得る話だった。


【まだ、オベリスクには光がともっているようだが……】

「時間の問題だね。そもそも、あの状態から元に戻す方法がないんだから」


 ホルスは神速の風をまとい、急ぎ砂漠へと飛び立った。

 砂漠は奴の神域テリトリー。苦戦を強いられるだろう。

 だが、町で戦って死者を出すよりは何百倍もマシだ。


「一応、覚悟しときなよ。アレは一筋縄ではいかないから」

【……本当に、可能性はないのだろうか】


 ホルスは顔をしかめる。

 依代は自分と奴との関係をいくらかはき違えているらしい。

 なにかと余計な気をつかってくるのがその証拠だ。


「――そうだね。あのバケモノのナカまで潜って、秩序側アイツの神格をたたき起こすとか? 僕らが混沌にまれること前提だけど」


 無論、そこまでしてセトを助ける義理もメリットもない。

 どのみち奴はどっちつかずの危うい神だ。

 今さらアポピスと奴を完全に切り離すことなど不可能だろう。


 これでも、できる限りのことはしてきたつもりだった。

 当然の報いとはいえ、奴が最後の一線を越えることになった要因は自分にもあるのだから。


 オアシス地帯ウェハアトの神官に圧力をかけて奴の神話と神名を隠し、一方で民間の伝承は残るように計らった。そうすることでセトという神の定義を最も古き形に戻し、混沌から分離させられるのではないか――そんな仮定のもとでの処置だ。


 実際、それは上手くいっているように思われた。

 しかし結局、『破壊神セト』の根強い信奉者が暗躍してこの事態を招いたのだろう。

 人間の願いが絡むなら、もはや神の意志ではどうにもなるまい。


「世界がこんな状況なのに、ここで僕まで混沌に染まるリスクは侵せない」


 こうなってしまえば、戦神として取るべき行動は一つ。


【では……また封印を?】

「――いや。もうそんな余裕はないよ」


 光をらわんとする闇は、打ち倒すのみ。ホルスは弓を引き絞る。

 はくいろに輝く神力の輪が、その射線上に幾重にも現れて幾何学的な紋様を形成していく。


「この先へは通さないよ、セト」


 放たれたいっせんは、神力の輪を通すほどに加速を繰り返す。どれほどの距離があろうとも一瞬にして対象を射抜くその神術は、もはや射撃ではなく『光線』と呼べた。


 巨大な獣頭。

 その額にスパァンと風穴が開く。


【■■■■■■■■■■■――!!】


 ぐらりと揺らぐ巨体は、言葉ともほうこうともつかぬ怒号で大気を震わせた。

 風圧が、数千キュビト先の上空に浮かぶホルスの体すらも押し返す。


 だが、この程度で落ちる天空神ではない。

 ホルスはすぐさま二射目を構えた。


「チッ――倒れもしないか」


 地の果てまで見通す隼神ハヤブサの目は、すでに再生を始めている敵の頭部を捕捉する。


 砂漠で唯一、こちらが圧倒的優位に立てるのは、物理的な距離が開いている今この時のみ。

 しかし、この神術はお世辞にも燃費が良いとは言えない。

 三発撃っても倒れないようなら接近戦に切り替え、一気に勝負をかける。


「……アハッ。何あれ、どんだけいるの?」


 砂漠の特大オベリスクすらも玩具おもちゃに思えてくる、セトの黒い巨体。その周囲を取り巻く砂嵐の中には、おびただしい数の魔獣どもがうごめいているのがうかがえる。


「ちょっとズルくない……?」


 二射目で左胸を、三射目で腹を吹き飛ばしてみたものの、一向に進行が止まる気配は無い。

 肉体の再生速度も変わらずだ。

 荒神に常識など通用しない。元がセトならなおのことだろう。


 想定の範囲内ではあるが、焦りがないと言えば嘘になった。

 あの魔獣が世に解き放たれれば、もはや収拾がつかなくなる。〈砂漠の民〉も〈太陽の民〉も、その多くが餌食になることだろう。


 ホルスは琥珀色の輝きを纏い、翼を羽ばたかせる。

 光となった体は数千の距離を一瞬で縮め、荒神の懐へと潜り込む。


 先ほどの射撃と原理は同じだ。

 今度は全身を光と同一化させ、音速を超える移動を可能とした。


「――は逆賊を穿うがつ王者の威光――」


 光が通り抜ける瞬間。

 大弓の先端が荒神の首をねんと翻る。

 それは硬い外皮にたやすく弾かれた。が――


「――〈勝利を導く十色の銛セヌ・ネス・リアンヴォス〉!!」


 同時に空から降り注いだ光のもりによって、荒神は手足を大地に縫い付けられていく。


「フン……神術を使えなくなったお前など、恐るるに足らず、だ」


勝利を導く十色の銛セヌ・ネス・リアンヴォス〉。


 かの神と演じた長き戦いの中で幾度となく戦果を上げたこの神術は、あまの神話に書き残された。そして今や『砂漠の外敵を封じる』という特効的な能力を得るまでに至っている。


 当然、相手にも同様の対抗手段が生まれたが、荒神と成り果てた今のセトにアレは扱えないだろう。


 セトあいつはもう、同胞かみではない。

 だからこれで本当に最後だ。お前との歴史たたかいは。


「安心しなよセト。お前は国を滅尽めつじんせしめる災禍になどなりはしない。神として、宿敵ともとして――この手でちゃんと殺してやる!!」

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