第41話 継がれ繋がる一つの誇り

 カルフが風を切る。

 だがセトがいないせいだろうか。いつもより速度が出ない。

 いくらホルスが足止めをしているとはいえ、これではいつまでも追いつけない。


(カルフの体はセトの神力で強化される。それなら――)


 イスメトは左手の甲を確認する。

 神力の残数を示す刻印の数は、全部で四つ。

 単純計算で四回ほど神術を使えることになるが――実際はそれほど余裕はない。


(あれだけ変形した肉体……強度もきっと半端じゃないはず)


 ザキールの体が神と一体化したことにより、あの巨体に変貌したと考えると、恐らく槍を刺した程度では殺すことができない。せいぜい表皮が削れるくらいだろう。


(あんなのに通用しそうな手は、あの術しか……)


暴嵐神の豪腕セテフ・グロゥシア》。

 あれを全力で放てば勝機はある――と思いたい。

 そのあと神力を失った上にボロボロになった体で何ができるのかという疑問は残るが、どの道それくらいしか自分に打てる手はないのだ。


(となると、あの砂嵐に潜ってセトに近付くまでに使える神術は……ひとつ)


 全力の〈暴嵐神の豪腕セテフ・グロゥシア〉は他の神術と異なり、刻印三つ分の神力を消費することが分かっている。

 つまり、今自由にできる神力は実質、刻印ひとつ分なのだ。


 それでも、まずは攻撃が届く距離までセトに近付けなければ何にもならない。


「――神獣に命じる! なんじ、我が足となり、槍となり、盾となれ!」


 イスメトはカルフの背に手を当て、力を分け与えるよう念じる。

 呪文はうろ覚えだったが、刻印はその願いに応えて光を放出した。それはカルフの全身を駆け巡っただけでなく、地面にまで赤雷せきらいを走らせる。


(あれ!? し、失敗した――!?)


 セトがやった時には、このような現象は起きなかったはずだが。

 しかし幸い、ろうばいするイスメトをよそにカルフの速度は目に見えて上がった。全速力とはいかずとも、この速度ならばあの砂嵐に追いつけるだろう。


 これで使える神術は、実質ゼロ。


 たったこれだけのことで、すでに崖っぷちだ。

 今までどれほどセトに助けられてきたのかを痛感する。

 それでもイスメトは頭を振り、沸き上がる不安を無理やり追い出す。


 オベリスクでの戦いを思い出せ。最善なんか誰にも分からない。だから全力で考えて、動いて――最期まであらがう。

 それだけだ。


 全身を砂の粒がき始める。

 砂嵐の暴風域に踏み込んだのだ。


 ここまで来ると、もはやセトの全貌は確認することができない。

 頭上に計り知れない圧迫感が居座り続けるだけである。


 さらに、注意すべきは頭上だけではなかった。


「……あれ全部、魔獣か。エスト、準備は?」

「も、もも、もちろんオーケーだよっ!」


 イスメトの背にしがみつくエストの声は、あからさまに震えていた。

 当然だろう。前方には防壁のように連なりうねる、闇の大群が待ち受けている。


 闇は様々な動物の形をしているが、みな一様に赤黒くゆがんだまがまがしい瞳を、飢えた獣のようにギラつかせていた。


「――来る! しっかり縄を巻いて!」


 二人はあらかじめカルフのくらに結びつけておいた縄の輪を足に巻き付け、両手を自由にする。

 イスメトは槍を、エストは護符を握りしめ、闇との衝突に備えた。


 目的はセトの足下まで辿り着くこと。

 魔獣の相手は最低限でいい。


(セト……もう少しだけ力を貸してくれ)


 セトの最後の力を宿す槍を額を当て、イスメトは短く息を吐く。

 心なしか、力が湧いた気がした。


 前方から飛びかかってくる四つ足の獣。

 その形状は魔狼ゼレヴに似ている。


 魔狼と異なるのは、その獣の頭部にセトやカルフに似た長い耳が生え出ていること。そして、自分より大きな相手が全速力で突っ込んでくるのを見ても動じず、自ら飛び込んでくる勇猛さがあることだ。


(こいつらも――〈セトの獣〉ティフォニアンなのか?)


 イスメトは槍の柄をギリギリと握り込む。


 もう二度と塔のヌシのようなわいそうな動物が現れないように――そう自分はオベリスクに願った。

 そしてあいつは、それを『良い願い』だと言った。


 その願いを、思いを、踏みにじられたような最低な気分だ。


 イスメトは神器を振るう。

 飛びかかってくる無数の影を、赤い流線が容赦なく両断していく。

 打ちらしはカルフの牙が突き上げ、あるいは強引に体ではじき飛ばす。


「絶対に止まるなカルフ! 前だけ見て進めぇぇぇ――ッ!!」

「ピギュルァァァ――ッ!!」


 そうしている間にも、体の各所を魔獣の爪がかすめる。

 どれだけ切り払っても前方の闇は晴れない。


 魔獣の数が多すぎる。

 槍の切れ味も鈍ってきた。

 槍そのものに宿る神力が尽きかけているのだ。


(――どうする!? 自分で神力を込めるべきか!?)


 そうすると刻印が残り二つとなり、全力の大技は使えなくなる。

 かといってこのままでは、セトに辿り着く前にやられるリスクが高まる。


「――主よ。星々の間に住まい、その目で世界を照らす偉大なる王者よ!」


 焦る少年の背をそっと支えるように、温かい光が後ろから広がってくる。

 カルフの体に縛り付けた大量の護符が、少女の詠唱に呼応して琥珀色こはくいろの力場を展開していく。


「今、闇を打ち払い、不浄なる者達から我らの魂を守りたまえ――!」


 それは闇を焼き払う、聖なる浄化の力。


 セトの神力がじゃを薙ぎ払いむさぼり尽くす破壊の炎ならば、ホルスの神力は静謐ながらも鮮烈に闇を焼き払う裁きの光。


 その光に踏み込んだ瞬間、魔獣の体は溶けるように分解され、風の中に消え去っていく。

 気配を察してか、飛びかかってくる魔獣の数も減少を始めた。


(いける――! これなら、力を温存したままアイツの足下まで――!)


 しかし、イスメトは知らなかった。

 普通の人間が護符に込められた神力を最大限に解き放つために必要な集中力と、その代償を。


「エストすごいよ! 君はやっぱり天才だ!!」

「う、ん……」


 返される声は弱々しい。

 イスメトはえも言われぬ不安に駆られ、エストを振り返る。


 少女の目はうつろで、どこか焦点が定まらない。意識がもうろうとしているように見えた。


 神の力は肉体を通してこそ物質世界に大きな影響を与えられる。その本質は、神器であろうと護符であろうと変わらない。


 大きな力を願えば願うほど、神力の経由点となる肉体に負荷がかかる。

 今のエストの体は言わば、神力を使いすぎて寝込むイスメトと似たような状態だった。


 少女の体が、カルフの背からずり落ちる。


「エスト――っ!!」


 落ちる。

 咄嗟に伸ばした手は――わずかに、届かず。


 見開かれた空色の瞳が、後方へと遠ざかっていく。

 世界の時間が急激に遅くなっていくように感じられた。


 だが。

 エストの姿がイスメトの視界から消えることはなかった。


「あァッぶねぇ!?」


 その声は、イスメトのものではない。

 エストを捕まえようと背後を振り返ったイスメトは、さらに思いも寄らなかった状況に気付くことになる。


 今まで眼前の敵ばかりで、ろくに後ろを見ていなかった。

 だからこの瞬間まで、の接近に気付いてすらいなかった。


「ジ、ジタ――ッ!?」

「おまッ、俺がいなかったらどうするつもりだったんだバカ野郎ッ!!」


 カルフと同様に、巨大化した神獣にまたがる黒髪の少年。

 それがいつの間にか、すぐ後ろを追従していたのだ。

 その片腕には、イスメト同様に目を丸くしている少女が、しっかりと抱え込まれていた。


「ジタ! キミも来てくれたんだね!」

「うっせぇ男女おとこおんな! とっととテメェでしがみつけ! 腕が死ぬ!」


 背中での騒動に気付いてか、カルフがわずかに減速する。すぐにジタの繰る神獣が横に並んだ。

 その間にエストはなんとかジタの後ろに回ることができたようである。


「ジタ! おま――体は大丈夫なのか!?」

「はあ!? 何の話だよ! 俺はいつだって絶好調だ!」

「嘘つけよ! なんでここに!?」


 有事とは言え、アポピスに操られていたテセフ村の戦士たちは皆、療養中。

 そのためイスメトはあえて声をかけなかったのだが――


「うっせぇ! お前にばっか良いカッコさせねェってことだよ優等生! 守護神がピンチだって皆が騒いでんのに、〈神の戦士ペセジェト〉の俺たちが出ないでどうすんだ!!」

「俺たち、って……」


 イスメトはさらに後方へと視線を巡らせる。

 ジタだけではない。数十頭の神獣が、同様に戦士を乗せて走っていた。

 その先頭には、体に包帯を巻いたアッサイの姿もある。


「相手が神だろうが、原初の闇だろうが――恐るるに足らず!」


 アッサイは怪我の存在など一切感じさせない気迫で、同胞たちに呼びかける。


「イスメトに続けぇぇッ!! 魔獣どもから、我らが神を取り戻すのだァァァ――ッ!!」

「オオオオォォォ――ッ!!」


 戦士たちのたけびが、イスメトの背中を押す。

 先ほどから魔獣がバラけ、あからさまに密度を減らしていたのは、エストの神術による恩恵だけではなかったのだ。


「なんだか知んねーけど、途中から神獣どもの足が速くなったんだ! これで俺たちも加勢できる! だからテメェは、このまま突っ切りやがれ!!」


 ジタの発言にイスメトははっとする。

 先ほどカルフに神術をかけた際。神力はカルフのみならず、砂を伝って四方へと広がった。


 その理由は――皆が、後ろにいたから。


「……っ! ありがとう!!」

「バーカ! お前のためじゃねぇし!」


 ジタは口を尖らせながら、手綱を操ってイスメトにギリギリまで近付く。


「お前ら二人だけでなんか楽しそうなことしてっから、後ろから刺してやろうと思ったんだよ! そら!」


 言いながら、ジタは突然こちらへ長物を放ってくる。

 とっさに受け取ったイスメトは、目を見開いた。

 それは一条の槍だった。


「ジタ! これ……!!」


 口金くちがねの部分に架空の動物の頭らしき装飾がなされた、風変わりな槍。以前にアッサイがこれを勝ち取った時にも、じっくりと見る機会があった。


 あの時は、なぜこのような形なのかと皆で頭を捻ったものだが――


 今なら分かる。

 これは守護神の姿を象ったものなのだ。

 セトの握る〈支配の杖ウアス〉の意匠にそっくりじゃないか。


 その刀身は白金しろがね色に美しく輝き、まるで月の横顔のよう。降り積もった年月など一切感じさせない、鋭利な輝きだ。


 それは紛れもなく、神前試合の勝者に贈られる槍。

 〈神の戦士ペセジェトの槍〉だった。

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