第24話 復活祭と旅の終わり

(うぅ……緊張でお腹が痛くなってきた……)


 祭り当日。予定よりも早く起きてしまったイスメトは、気を落ち着けるためにラフラの町を歩いていた。


【クハハッ! まァ難しく考えるな。テメェはただ神獣に跨がって威張ってればいいんだよ】

(簡単に言うなぁ……)


 早朝にもかかわらず、祭りのために仕込みをするパン焼き職人や、屋台を組んだり飾り付けをしたりする人々で通りはすでに賑わい始めている。

 イスメトは人目を避けるように砂漠へ出た。


 なんとはなしに足が向いたのは、砂に半ば埋没した古神殿。

 ラフラの外れにあるタァ=リ遺跡だ。

 イスメトにとっては、この忙しない日々が始まった場所。そして恐らくは、その全てが終わる場所でもある。


【安心しな。神は契約を違えない】


 イスメトの心中を察してか、セトはエストのことに言及した。


【今日の祭りを終えれば、俺たちの認知度と信仰はより高まる。かなりの神力が集まるだろう。そうすればあの娘も、封印から解き放てる】

「……良かった。忘れられてるかと思った」

【万全を整えていただけだ。あのクソ蛇野郎、イヤにしぶとかったからな】


 少女に会うことはまだ叶わない。

 それでもイスメトがここを訪れたのは、単にこの場所が好きだからだ。


 セトに出会った場所というだけではない。

 ここは幼馴染み三人の思い出の場所でもある。


 砂漠に呑まれたこの遺跡は、巨大な砂丘の半ばから四角い屋根を突き出した状態で表出している。その屋根を丘と呼んで、三人の集合場所にしていたのだ。

 三人で夢を語り合った丘。

 あの日は赤い夕陽が見えていたが、今はうっすらと紫がかった雲が薄く伸びている。


 イスメトは昔のように丘に座り、しばらく空を眺めた。


「……イスメト?」


 不意に、聞き覚えのありすぎる声に呼びかけられる。

 それは幼馴染みの声。しかし、少女の声ではない。


「……ジタ」


 振り返ると、黒髪黒瞳の少年が骨付き肉をかじりながら立っていた。

 前髪に半ば隠れた眠たげな目からは、相変わらず感情を読み取りづらい。


「……なんでお前、こんなとこにいんだよ。祭りの準備とかあんだろ」

「ジタだって……えっと、待ち合わせしてたっけ?」


 イスメトの冗談に、ジタの口元が微かに弧を作った。

 一人分ほどの間隔を空け、イスメトの隣に腰を下ろす。


 彼がなぜここに現れたのかは分からない。

 ただ、自分と同じ理由だったらいいなとイスメトはぼんやり思った。


「……ジタ。あの時のこと、だけど――いッ!?」


 言い終わる前に、ジタの手刀がイスメトの頭頂を襲う。


「調子乗んな、この病み上がり野郎。俺だって流石に空気ぐらい読むっての。勝負はしばらく預けといてやる」


 ジタはぶっきらぼうに言って、食べ終わった骨を砂の海に投げ捨てる。

 しばしの沈黙。互いに目は合わせない。

 かといって立ち去るわけでもなく。


「……マジで仇、討っちまうなんてな」


 それは彼なりの称賛の言葉なのだと、イスメトには分かった。

 ゆえに返す言葉に迷う。


「あれは――」


 ――僕だけの力じゃない。


 喉まで出かかった言葉を押し止めるのは、恐怖心。

 自分の成したことを誇りに思わないわけではない。

 ただ、ジタを前にするとどうしても別の感情が首をもたげる。


 ――神の威を借る自分は、親友ともの目にどう映るのか。


「あれは……運が良かったと思うよ」


 くすぶる罪悪感が、最も無難で中身のない言葉を選ばせる。

 当然、ジタは目を細めた。


「……は? 運だけでどうにかなるかよ。嫌味か」

「そ、そうじゃなくて。えっと……、なんて言えばいいか」


 ジタは小さく舌打ちし、語気を強めながら立ち上がる。


「何だよ。言いたいことがあるならハッキリ言え。今さら俺なんかに委縮する理由なんかねークセに」


 イスメトは口を引き結んだ。


 ――お前にだから、言えないんじゃないか。


 互いに両親を早くに亡くしたジタとは、兄弟同然に育った。

 同じ目標を持ち、同じ道を歩んだ。

 そんな親友ライバルとの決着を、神という名の幸運でうやむやにしていいはずがない。


 ジタはきっとセトの設定を信じている。

 だからこんな風に、昔のように接してくれているに違いない。

 でも真実を話せばきっと激昂する。


 エストを救い、依代の役目を終えれば、その時はすべてを話せばいい。

 でも今日は、まだ駄目だ。


「……皆、もてはやし過ぎなんだよ」


 イスメトはつとめて明るくおどけた調子を演じた。


「実際にすごいのはセトで、僕じゃない。もしあの場所にいたのが僕じゃなくて、たとえばジタだったなら、今ごろ英雄になっていたのはもしかしたら――」


 ジタの腕が伸びる。イスメトの首巻を掴み、強引に立ち上がらせた。

 急接近した友の暗く鋭い眼差し。それは、オベリスク前で見たあの目と全く同じか、あるいはそれ以上の冷たさを宿していた。


「――お前、本気で言ってんのか?」

「……っ」


 イスメトは沈黙しか返せない。

 その反応をどう捉えただろう。ジタは目を伏せると、無言でイスメトを突き飛ばす。


 荒々しく砂を踏み鳴らし、遠ざかっていく友の背。

 イスメトはとっさに手を伸ばそうとして――やめた。


「……じゃあ、なんて言えばよかったんだよ」


 僕は神の力でズルをして、お前を出し抜いて夢を実現したんだ――


 なんて言えるものか。言えるわけがない。

 だからといって嘘もつきたくない。

 その結果の『運がよかった』。


 その言葉が友の神経を逆なでしてしまうことも、痛いほどに分かってはいた。



■ ■ ■



「あァッ、クソ……」


 人気のない通りを曲がったところで、ジタは拳を近くのレンガ壁に叩きつける。


(結局……渡しそびれちまったじゃねーか)


 ジタの背には、布に包まれた一本の槍が装着されている。

 戦士たちはこれを〈神の戦士ペセジェトの槍〉と呼んでいた。


 テセフ村の神前試合において、歴代優勝者たちが受け継いできた優勝槍トロフィー

 その由縁は古く、長老の言葉を信じるならば伝承の英雄にまで遡るという。


(誰が持つべきか、なんて……犬でも分かんだよ)


 イスメトとの勝負を反故にしてやる気はさらさらない。

 だがそれとは別に、不戦勝で勝ち取ってしまったこの槍を、今なお自分が握っている事実に苛立つ。


 自分はまだ、あいつを超えていないのだ。

 だから、あいつが神の依代でいるうちはこの槍を預けて・・・おいてやる。

 それがイスメトの目覚めから今の今まで考え抜いて出した結論。そのはずだった。


 あの場所を訪れたのだって、最終確認のつもりだった。

 未練がましくも槍を手放したがらない幼い自分に別れを告げ、友の成功を心から祝ってやれる男になるための。


 ――それなのに。


「だあぁぁクソっ! 何やってんだよ、俺は――ッ!」



■ ■ ■



 日が昇り切った頃には、ラフラ・オアシスは喧噪に包まれていた。


「よくぞ、この長き苦境を生き残った」


 出発の直前。セトは人身の姿を現して戦士たちに告げる。


「砂漠に生きる全ての戦士は我が兄弟はらから! よってこの祭りの主役はお前たちでもある! 示せ、その武勇を! 讃えろ! お前たちの唯一の神を!」

「オオオオオォォォ――ッ!」


 セトの号令に、戦士たちの雄叫びが続く。

 巨大化したティフォニアンたちも力強くいななき、大地を揺らしながら行進を始めた。


 その様相はさながら、巨獣と戦士らによる大進軍――あるいは、大侵攻である。


「お、おい魔猪カンゼルだぞ!? まずい、街に入ってきたんだ!」

「いやよく見ろ! 戦士たちが乗っている! 神官も並んで歩いてるぞ!」

「それにあのひときわ大きな魔猪カンゼルの上にいるのは、まさか……!」


 群衆たちも最初こそ恐れ慄いていたが、行儀よく隊列を組んで行進するティフォニアンたち、そして何よりカルフの背の上に危なげなく立ち上がる神の姿を見て考えを変えていく。


「旧神様だ! 旧神様が砂漠の魔獣を従えたんだ!」

「おお神よ! 我らが神よ!」


 セトの思惑がうまく作用したらしい。

 人々は死地より戻りし神と戦士たちを、大熱狂のもとに迎え入れた。


「じゃあ、後ろに座ってるのは依代様か! オベリスクの主を倒したっていう!」

「あんな年若い青年が……!」


 イスメトもまた、セトの後ろで縮こまりながら大声援を浴びる。

 人々に呼びかけられる度に顔が熱くなった。

 だが、それと同時に厚くなるのは、胸中の暗雲だ。


【呼ばれてんぞォ、依代サマ……?】


 セトがからかうような思念を飛ばしてくる。

 応える余裕などない。

 目に入ったゴミを取ろうと手を動かしただけで声援が返ってくる状況に、イスメトは完全に萎縮してしまった。


 頭に浮かぶのは、今朝のジタとのやりとりばかり。


【――チッ。ナニいつまでもウジウジしてやがる、このクソウジ虫が!】

(う、うじむし……)

【そう呼ばれたくなけりゃァ、顔上げろ! そんで群衆の顔を一つ一つ見てみやがれ!】


 セトに叱責され、イスメトはおずおずと背筋を伸ばす。


 ――圧巻。そう表現してもあまりある光景だった。


 弾けんばかりの笑顔と涙。そして、魂からの叫び。

 この数年間、魔獣への恐怖と不安に締め上げられ、もはや窒息寸前だった希望。それが今この瞬間に一気に吹き出したかのようだ。


 きっとここにいるほぼ全ての人間が、魔獣に大切なものを奪われた。

 いくら願っても救いを与えない神を恨み、呪った。

 旧神の神器なんて眉唾ものだと、先祖たちが守り尊んできたはずの古き伝承にさえも唾を吐いた。


 ――かつての自分と、同じように。


【だが、それら全てが今、塗り変わった。いいか、俺たちで・・・・塗り替えたんだ】


 セトの長髪が、導くように風になびく。

 その燃えるような赤を目で追えば、砂漠に遠くそびえるオベリスクの光が見えた。


【よってこれはオマエの手柄でもある。堂々と誇るがいい――我が依代、イスメトよ】

「……!」


 心臓が大きく脈打つ。イスメトはとっさに神の背を見上げた。


 初めてセトに名を呼ばれた。

 ただそれだけのことなのに、なぜなのか。

 魂が震えた気がした。


「……はい!」


 こうして復活祭は、大盛況のうちに幕を下ろした。

 より光を強めたオベリスクを眺め、セトは満足げに笑い。

 イスメトは、己の幸運も含めてすべてを受け入れることにした。


 そうして翌朝。

 一人と一柱は、契約遂行のために再び『始まりの地』を訪れた。


「ありがとう、セト」


 タァ=リ遺跡の最深部に続く緩やかな石段を下りながら、イスメトは神に呼びかける。


【ア? なんだ急に】

「まだちゃんとお礼言ってなかっただろ」


 セトは【ハッ】と馬鹿にしたように笑う。


【気の早ェやつだ。どうせなら、お姫サマを助けてからにしたらどうだ?】

「それは、そうかもしれないけど……でも、それが終わったら、もう――」


 イスメトは続きを言葉にすることを一瞬だけためらう。

 が、すぐに無駄な抵抗だと思い直した。

 セトに心を探られる前に、意を決して自分の口で続けることにする。


「――もう、お前との契約はおしまいなんだろ?」


 静かな古神殿には、一人の足音と炬火たいまつの炎の音だけが響いていた。

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