第三章

第22話 祝勝の集い

 イスメトは広すぎる寝台の上で上体を起こし、呆然としていた。


(何……この状況……)


 イスメトは野菜の山に包囲されていた。

 野菜――というより茎レタスだ。茎レタスしかない。

 枕元、足下、左右はもちろん、寝台の周りにもさながら城壁のごとく詰まれている。


 何かの儀式か。ただの嫌がらせか。

 なんでレタス。よりにもよってレタス。


 イスメトは周囲に充満する青臭さに耐えかね、体にかけてあった布で口元を覆った。


【よォ、随分とのんびりしてやがったなァ、英雄サマ?】


 気配の方向へ視線をやると、人身のセトが豪奢な椅子に腰掛けていた。


 その手にもまたレタス。バリバリと豪快に貪っている。

 正確にはレタスの形をした光の塊を食べていた。セトがその光を呑み込むと、足下に詰まれたレタスの一つが萎れていき、砂となって朽ちる。


 なんとなく、状況が見えてきた気がした。


「これ……もしかしてセトの仕業?」

「民どもの厚意だよ。厚意はありったけ受け取るのが礼儀ってモンだろう?」

「厚意……?」


 改めて部屋を見渡す。石造りの白い部屋だ。

 広い空間に大きな寝台と、洒落た調度品が最低限並ぶ。

 清潔感はあるが生活感はない。病室だろうか。それにしては贅沢な間取りだが。


「そういえば僕……あの後、動けなくなって……」


 言いながら体を眺めるも、すり傷ひとつ見当たらない。

 痛みもなく、寝台を下りて平然と立ち上がれた。

 槍が突き刺さったはずの肩にも触れてみるが、穴どころかカサブタひとつ無い。


【もう六日も寝てんだ、そりゃ治るだろ】

「い、いや、普通は治らないよ……って、六日!?」

【神力でちっとばかし体の自己再生力を高めてやったんだ。反動で爆睡しちまったみてェだが】


 それはもはや昏睡と言うべきでは。


【腹は減ったか?】

「えっ……? いや、別に……」


 むしろ満腹感すらある。それもおかしな話だが。

 六日も眠っていたなら、その間はほぼ飲まず食わずだったはずだ。


(ひょっとして……)


 イスメトは会話の合間にもレタスを頬張り続ける神をまじまじと見つめる。


 初めて見るセトの食事風景。

 柄にもなくこちらの様子を気にかけるような発言。

 依代が神の肉体だというなら、神がとった現世の食事は一体どこへ吸収されるのか。


 まさか、セトが食べたレタスの行き先は――


「セト様。宜しいでしょうか」


 嫌な想像にイスメトの胃液がせり上がりかけた時。

 部屋に見知った男が入ってきた。


「だっ、大神官様……!?」


 白く上等な貫頭衣の上から、豹の毛皮をまとう初老の男。

 それは紛れもなくエストの父親にして、ウェハアトの大神官その人だった。


 となるとここはラフラ・オアシス。

 それも恐らくはホルス大神殿の中だ。


「イスメト――いや、依代殿。目覚めたのだな」


 大神官はイスメトを見るなり膝を折り、深々と頭を下げる。


「先日のことを謝罪させてほしい。本当にすまなかった」

「えっ……!? そ、そんな……!」

「事情はセト様よりうかがった。あの時は私の早合点だった。許して欲しい」


 オアシスで一番偉いと言っても過言ではない人物にうやうやしく一礼され、イスメトは何が何だかと必死に頭を回転させる。


(あ、ああそうか。大神官様は僕を処刑しようとしたことを謝っているんだ。セトから事情を聞いて……セトから……セトから!?)


 それはまたどういう状況だと、イスメトはセトを振り返る。

 大神官も神へと向き直り、その足下にひざまずいていた。


「セト様も、その節は本当に申し訳ありませんでした」

「それはもう良いと言ったはずだ。同じ話を何度も聞いてやるほど俺は気が長くない。要件を言え」

「はっ、ご無礼を。昨日もお話しした、神殿建設の候補地についてご報告が――」


 会話をしている。大神官とセトが。直接。


 セトの体は相変わらず薄ら透けているし、イスメト以外に直接手を触れることができない点も今まで通りに見える。

 変わったのは人間の方だった。


(大神官様、セトが見えて……!?)

【誰もが守護神の復活を信じて疑わなくなった。なら、誰もにその姿が見え、声が聞こえたとしても、なんら不思議はあるまい?】


 セトは当然のように思念を返してくる。大神官との会話も並行して続けながら。

 セトは信仰を得ると同時に『声』を手に入れたらしかった。

 一方で今まで通り、思念でイスメトにのみ語りかけることもできるらしい。


「――では、そのように」


 相談事が一段落したのか、大神官は再びイスメトに向き直り頭を下げる。


「君の担当医官を連れてこよう。私がいては気が休まるまい」

「い、いえ、そんな……!」

「それに――」


 立ち上がった大神官は部屋の出入り口に視線を移す。

 小間使いと思しき少女が、チラチラと視線を送っていた。


「客人のようだ」


 大神官は少女に何事かを耳打ちして、そのまま部屋を出て行った。


 寝て起きただけなのに、随分と世界が変わっている。

 オベリスクにセトが光を灯したことで、セトが他の人々にも見えるようになり、色々あってイスメトごと大神殿に迎え入れられた――きっとそういうことなのだろう。


 レタスの山の謎だけは一向に解けないが。


【レタスは俺の好物だ。供物として要求した】


 解けた。大した謎でもなかった。

 神にも好物があるのか。しかも草食なのか、こいつ。


「イスメト君!」


 ようやくセトに状況の子細を尋ねられると思った矢先。

 大神官と入れ替わるようにして顔を出したのは、目を真っ赤に腫らした赤毛の少女だった。


「……メルカ?」


 確かめるように名を呼ぶと、彼女は走ってイスメトに飛びついてくる。


「良かったぁ! 本当に、良かったぁぁ……!!」

「メルカ……ごめん、心配かけて」

「アタシが変なこと言ったせいで、イスメトくん、オベリスクに行っちゃったんじゃないかって……っ!!」

「違うよ。自分で決めたんだ。メルカには、むしろ感謝してる」


 自分の胸で泣きじゃくる少女。

 イスメトはそっとその肩に手を置き、そして固まった。

 女子に抱きつかれてドギマギしたというのも正直あるが、最大の理由は訪問者がメルカ一人ではないことに気付いたからだ。


「まったく、お前ってヤツは……ッ!」


 腹の底まで響く怒声。

 イスメトは肩を跳ねさせ、メルカははっとしたようにイスメトから離れる。


 大股で歩み寄ってくるのは黒髪の屈強な男だった。

 右頬には戦士の入墨。セトと同じ入墨だ。

 イスメトの師にして親代わりでもあった男、アッサイである。


 ――これは殴られる。


 瞬時に悟り、イスメトは歯を食いしばって目を閉じた。


 村の神前試合は無断欠場し。

 そのまま彼にも黙って村からもとんずら。

 オベリスクでは戦士たちの都合を無視し、一人で抜け駆けしたようなものだ。


 これまでの恩義をすべて仇で返す愚行。

 ゲンコツの一発や二発、甘んじて受けるつもりだった。


 が。


「いてっ」


 随分と軽いゲンコツだった。

 殴るというより、指の骨をゴツンと額に当てられただけ。

 恐る恐る目を開けると、師は困ったような微笑を浮かべていた。


「――本当に、大したヤツだ。お前は村の誇りだと、イルニスさんなら言うだろうよ」

「アッサイ……」


 その瞬間、すべての重荷からようやく解放されたような心地がして、イスメトは幼い子供のように破顔していた。


 それから詳しく話を聞いたところ、オベリスクでイスメトを保護したのはアッサイら同郷の戦士たちだったという。


 塔の頂上にて、赤い髪を炎のように揺らめかせながら佇む神と初めて邂逅かいこうしたのも彼らだった。


 神は戦士らに言ったという。

 その者は塔のヌシを倒し、我を長き眠りより解き放った〈神の戦士ペセジェト〉である――と。


「ペセ、ジェト……」


 それは村の戦士たちにとっては特別すぎる称号だった。

 二年に一度、旧神に捧げるために行なわれる神前試合。その優勝者に与えられる称号なのだ。

 それを旧神本人が宣言したとあっては、戦士たちも高揚せざるを得なかっただろう。その熱意が民衆に伝播し、最後には大神官の考えをもねじ伏せた。


 そうして今の、この好待遇に至るというわけである。


「イスメト君! 目が覚めたのですね!」


 メルカたちが退室してしばらくすると、担当医のザキールがこれまた慌ただしく駆けてきて、似たようなやり取りを繰り返した。

 しばらくは知人に会うたびにこうなるのだろう。


 イスメトは有り難いとは思いながらも、再び襲い来る眠気にまどろみかけていた。

 あれだけ寝たというのに。

 よほどセトは荒療治をしたようだ。


「これで皆さんにも、旧神様と依代様のお披露目ができますね」

「え? お披露目? 誰にですか……?」

「もちろんオアシス中の人々に、ですよ! もう大神官様まで通ってる話なので、この際言っちゃいますけど――」


 次のザキールの一言で、イスメトの眠気は一気に吹き飛ぶことになった。

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