第21話 蘇る旧神伝説

【タタカウ……ニンゲン……タタカ、ウ……】


 ふと消え入りそうな声が、イスメトの頭の隅をひっかく。

 セトの声ではない。これは、あの魔獣の声だ。


【立てるか小僧】

「……っ、なんとか」

【なら、お前がとどめを刺せ。額にぶち込みゃ、さすがに死ぬだろう】


 驚くことに魔獣はまだ息絶えていなかった。

 イスメトはセトに手渡された神器を杖にして魔獣に近づく。


 混沌を吐き出したその体は、随分と小さくなっていた。

 姿形も変わっている。

 長い鼻はそのままに口元の牙はなくなり、耳はうさぎのように長く末広がりの形状だ。


 猪には見えない。

 見たことがない動物だった。

 これが混沌に取り憑かれる前の、本来の姿ということだろう。


 しかし、その小さな頭部にだけはまだ、闇のモヤが小火ぼやのようにチロチロと揺れている。


「これで……終わり――ッ!!」


 イスメトは一切の躊躇ちゅうちょなく、その額に神器の切っ先を叩き込んだ。


 闇を浄化すべく、神器は赤く光を放つ。

 その瞬間。イスメトは神器を介して魔獣の魂と一時的に繋がった。


「――っ!?」


 まるで白昼夢を見るように。

 頭に次々と浮かび上がる、不思議な情景の数々。


 それは、かつて『聖なる獣』と呼ばれた彼らの、古き戦いの記憶だった。



■ ■ ■



 昔。ぼくらは神様に救われた。

 それ以降、ぼくらはその神様に忠義を捧げたんだ。


『今日この時より、オマエら一族を我が神獣とする。この世に我が魂のある限り、オマエたちは生き続ける』


 ある日、神様はぼくらの働きを認めて、その血を、力を、分け与えてくださった。


『その長き命を用いて、この地のニンゲンと絆を結べ。彼らの誇りを学び、魂に刻んで生きよ』


 それからぼくらは、ニンゲンと一緒に戦うようになった。

 最初は神様の言っている意味なんて分からなかったけど。

 たくさんの戦いを乗り越えて、泣いたり笑ったりするニンゲンたちが、ぼくはだんだんと好きになっていった。


 でも、あの日。

 空が真っ暗になって。

 そこから少しずつ、何かがおかしくなって。


『いたぞ! セトの魔獣だ! 一匹残らず駆逐しろォォ――ッ!!』


 この土地のニンゲンは殺しちゃいけない。

 神様との約束を、ぼくらは破らない。

 魂に刻んだ誇りが、絆が、消えてしまうのは嫌だから。


 絶対に、嫌だから。


 そうしていたら、いつの間にか体が動かなくなった。

 でも、ぼくは死ななかった。

 きっと神様がどこかでまだ生きていらっしゃるからだ。


 長い長い時の中で、ぼくは神様を待つことにした。

 神様が帰ってきたら、きっとまた戦える。

 守り抜いた誇りを胸に、また彼らと生きていける。


 やがて神様がやって来た。

 なんだか前よりも真っ黒で、怖い感じがするけれど、きっと気のせいだろう。

 だって神様は言ってくださった。


 ――サァ、一緒ニ、イコウ。

 ――ヒトツニ、ナロウ。

 ――ソシテ、ニンゲンヲ、滅ボソウ……


 神様のお陰で、またたくさんのヒトと戦えるようになった。

 でも、みんな怒ったり憎んだりするばかりで、なんかちがってた。


 ねえ、そんな顔しないでさ。

 また笑ってくれないかな。

 笑って頭を、でて。


 撫でて――



■ ■ ■



「頭……を……?」


 イスメトは現実に引き戻される。

 目の前に横たわる獣の額には、今しがた自分の手によって突き立てた槍が刺さっていた。


「セト、今のって……」

【コイツの記憶だな】


 そして沈黙。セトは獣に背を向けている。

 説明も、感想も、何もなく。


「こいつは……! お前が来るのをずっと待って――!」

【んなこと分かってる】


 セトの声には、一切の温度を感じなかった。


【そいつらは大昔、俺がこの血を分けて生み出した神獣だ。大方、俺が眠りについた後、かすかに残る俺の神力を頼りにオベリスクへと身を寄せたのだろう。それがいつしか混沌にち、魔獣と化したらしいな】

「お前、まさか……最初から知って……」


 セトはまた何も返さない。

 その横顔は、悲しいほどに無表情だった。


「なんで……っ! 言ってくれたら――!」

【とどめを刺さず、見逃してやったとでも? ハッ! ソイツはテメェの親父を食い殺した、ただのバケモンだろが】

「そんな言い方――ぐッ!!」


 思わず踏み込んだ足から、全身へ痛みが駆け上がる。

 イスメトはその場に膝をついた。

 体の節々が悲鳴を上げていた。


【感傷に浸るのは後にしろ。まだ終わりじゃない】


 セトはイスメトをその肩に担ぎ上げ、塔の最上階を目指して跳び上がる。


【とっとと奇跡を起こしに行くぞ】


 オベリスクの頂上は展望台になっていた。

 そこから見える景色は、まさに絶景だ。


 砂漠地帯の生命線である二つの大きな湖――ラフラとハガルのオアシス。

 そして、その周りに点在する小さな湖たち。

 それがこの地に生きる〈砂漠の民〉の暮らしの全てだ。


 さらに地平線近くには、大河ナイル流域に栄える中央都市群が薄っすらと見えた。

 だがセトはそんな景色には見向きもせず、オベリスクの中央に鎮座する台座へと歩み寄る。


【これは〈三角神石ピラミディオン〉。神力を集め、あるいは拡散させるための神造物アーティファクトだ。詳しい原理は――まァ、知恵の神にでも聞いてくれや】


 台座の上には宝石のように透き通る巨大な四角錐しかくすいが浮かび、ゆっくりと回転していた。


「これで……魔獣を追い払えるのか?」

【それはオマエの考え次第だな】


 セトは肯定とも否定ともつかぬ答えを返す。


【奇跡を起こすには『願い』がいる。ニンゲンの願いがなければ、神の力もただの持ち腐れだ】


 台座の前に降ろされたイスメトは、台座を支えに立ち、そっとその錐体すいたいに触れてみる。

 感触はない。掴むこともできない。

 これもまた神の次元に存在する何かということらしい。


【コレに願いを込めろ。この国の――〈砂漠の民〉のための願いだ】

「僕、が……?」


 セトは〈三角神石ピラミディオン〉の上に手をかざす。

 すると無色透明だったそれが赤く輝き始めた。

 イスメトはしばし思案した後、ゆっくりと願いを言葉に変えていく。


「オアシスから魔獣を、追い払いたい。それで、もう二度と父さんみたいな……」


 また熱いものが込み上げて、言葉に詰まる。

 だが、嗚咽おえつはなんとか胸に押しとどめた。


「魔獣に殺される人も、魔獣になって苦しむ可哀想かわいそうな動物も、いなくなって欲しい。それが……僕の願いだ」

【ハッ】


 セトは小さく笑った。

 〈三角神石ピラミディオン〉がひときわまばゆく光を放ち、イスメトは思わず目を閉じる。

 だからその時、セトの顔は見ていない。

 だが、声色でなんとなく分かった。


【――良い願いだ】


 セトは今までで一番、柔らかい笑みを浮かべていた。




 神造物アーティファクトにより拡散された赤い光が、オアシス一帯を包み込む。

 それに気付いた人々は、光の発生源を追ってオベリスクに視線を集めた。

 高く高くそびえ立つその塔は、全てのオアシスから見ることができた。


 ある者はその美しさにこうべを垂れる。

 ある者はその神々しさに祈りを捧げる。

 あの光は聖なる力の結晶だと、〈砂漠の民〉の誰もが直感的に知っていた。


「旧神、様……?」


 誰かが呟いた。


「かつて旧神様は、高き塔に人々の祈りを集め、奇跡の光をもってこの不毛の大地に文明を築かれたという――」


 別の誰かが、古き伝承を口にした。


「旧神様だ! 旧神様が復活なされた!」


 やがてその声はオアシス全土に広がっていく。

 確かな希望を携えて。


 砂の上の足跡は、時代の風に容易にき消されてしまう。

 それでも風は知っていた。

 この地から人が絶えぬ限り、何度でもその砂の上に足跡は刻まれることを。


【我を求むる民のある限り、我は永遠にして不滅なり】


 オアシス全土を包む光は巨大な結界を形成する。

 その結界は、魔獣を操る邪悪な力を押さえつけると同時に、人々に神の声をとどろき聞かせた。


【我は吹き荒れる砂漠の一陣。力偉大なる者にして、嵐と暴風の領主――】


 そして人々は、失われた神の名を思い出す。


【斉唱せよ! 我が名はセト! この砂漠の大地を統べる、絶対王者なり!】


 イスメトは石の台座に背を預けながら、弾けんばかりの歓声を聞いた。

 それはオベリスクの力によって、オアシス中から神の元へと届いた人々の声だった。


「あ、はは……」


 今さらながらに実感が追いつく。


「お前って本当に……神様だったんだな」


 人々の声は神の力となり、神の力はイスメトの全身から痛みを溶かした。

 体がほぐれていく。

 まるで砂漠に身をうずめた時のようだ。


 その心地よさに意識を委ねて、イスメトはゆっくりとまぶたを下ろした。

 

 

■ ■ ■

 

 

 この日、西の砂漠を包み込んだ聖なる光。

 それは微かにだが、砂漠を挟んで東に広がる大河ナイル流域都市――ナイルシアの首都からも確認することができた。


「これは……」


 風に揺れる薄いカーテン越しに、男はその光に気付いた。

 視認したのではない。肌で感じ取っていた。

 すぐさま寝台から身を起こし、カーテンをめくる。


 赤い光柱は、遠い西の砂漠地帯から細く天へと伸び、やがて消えた。


「……瑞兆ずいちょうかもしれないね」


 誰もいない広い寝室で、男は一人呟いた。


【正気? どう見ても凶兆なんだけど】


 それに返すのは、男にしか聞こえない友の声である。


「そうやって、何でも確かめる前から決めつける癖は是非とも改めることを推奨しよう」

【やかましいな】


 男の中に響くのは少年のような、若々しくて少しトゲのある声である。


「やれ……老体にむちを打つとしようか。確かめに行くのだろう?」

【まあ、致し方ないか】


 男は寝台から足を降ろし、肩まで伸びた猫っ毛をかき上げる。

 それを後ろで一つに結び終わる頃には、落ち着きのある空色の双眸そうぼうが青と金の二色に分かれていた。

 体の横に下ろした手からはしわが消え、とうに色素の抜け落ちた髪にも美しい金色こんじきの光が宿っていく。


「はあ~ぁ。なんでよりにもよってアレが目覚めちゃうかな。こんな時に」


 そうして彼らは、バルコニーへと歩を進めた。

 下方に広がるのは、果ての見えぬ大河ナイルの流れと、民草たみくさの営み。


【ため息をくと運気が逃げると言うが】

「ホントやかましいよな。君はいちいち」


 白い欄干らんかんへ軽やかに飛び乗ったは、その背に一対の美しい翼を広げる。


「神様が運気とか、気にする必要ないから」


 そして、その身を重力から解き放った。

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