第11話 ハガル・オアシス
「はぁ~! やっと着いた~!」
旅に出て三日。
メルカはラクダを止め、その上で大きく伸びをする。
商隊の前方には、荒涼とした山岳の裾に広がる緑地と町が待っていた。
(……着いちゃった)
イスメトもまた、山岳を仰ぐ。
この距離からでもよく見えた。
ひときわ高い岩壁の上にそびえ立ち、天を突きさす巨大な塔。
父が消息を絶った、オベリスクが。
ハガル・オアシスに到着した商隊は、まず水辺に野営地を築いた。
町から人が去り今や閑散としてはいるが、この巨大な湖は今でも周辺の村々の貴重な水源だ。その証拠に、水を汲みに来るロバ連れの農夫と何度かすれ違った。
しかし、このまま魔獣の被害が止まらなければ、彼らもそう遠くない未来に移住を余儀なくされるだろう。湖の端にうち捨てられた畑が哀愁を漂わせている。
「もうあっちは到着してたみたい」
そんな寂れたオアシスには、他にも先客がいた。
メルカいわく、オベリスク攻略のため各地から戦士たちが集っているらしい。商隊はそこへ物資を届けるために旅をしていたのだ。
「正直これ、割の良い仕事じゃないの。でも、魔獣の被害は日に日に増えてるし……アタシらも、できることをやろうって話になったのよ」
テントの準備をしながら、メルカは戦士らに協力する理由を教えてくれた。
「……旧神様が復活するとこ、アタシも見てみたいなあ」
集まった戦士たちの目的は旧神――セトの神器を探すことである。
(……これ、本当のことを伝えたほうがいいんじゃ)
【アホ。オマエが言ったところで誰も信じねェだろが】
と言うのも、オベリスク内に神器は存在しない。
他でもないセトがそう断言したのだ。
しかし彼の言うとおり、その情報の正当性を戦士らに伝えるのは難しいだろう。
(でも、オベリスクは本当に危険なんだ。このままじゃ、また誰かが……)
【むしろ好都合だ】
(え……?)
【オベリスクを攻略して無事に戻れば、オマエは一躍英雄。その上、明確な理由付けもできる。俺がオマエに取り憑いてるっつゥ、正当かつ妥当な理由がな】
セトの作戦はこうだ。
まずメルカから報酬の
次にオベリスクへ乗り込む。
そこで魔獣を掃討し、セトがオベリスクに
あとは最初に持ち込んだ神器を、さもオベリスクで見つけたかのように掲げて凱旋。神器を得た結果として、セトがこの身に宿ったのだと説明する。
疑う者が出た場合、イスメトが神器を使ってその場で神術を披露してやればいい――らしい。
(な、なんかそれ……自作自演みたいじゃないか?)
【あのなァ……この世は馬鹿正直に渡るモンじゃねェぞ。神話はテメェで創るんだ。利用できるモンは何でも利用しろ】
言っていることは分かるし、代替の案を思いつくわけでもない。
ただ、どこか後ろめたい気持ちが腹でとぐろを巻いた。
(そもそも……僕で、いいのかな……)
【ハァ? 今さら何言ってやがる。娘を助けてェんだろ?】
「う、うん……」
思わず声に出た。
【ならやるしかねェだろ。いい加減、腹を決めな。オラ、あの女に報酬をせびるぞ】
(せ、せびっちゃ駄目だよ……?)
早速作戦の第一段階に入る一人と一柱。
しかし、まさかの初手でつまずくことになった。
「へっ!? あ、ああ
報酬の話を切り出すと、メルカは明らかに挙動不審になった。
「ただ、その……ご、ごめんなさい。今すぐには用意できなくて……」
案の定、返ってきたのは謝罪。
イスメトは内心、焦った。
【ほォん……? この女、さては
なぜなら、セトの怒りがふつふつと湧き上がるのを感じたからである。
同時に右手が、勝手に持ち上がっていく。
【良い度胸してやがる……!】
(うわっ、セト! お、落ち着け!)
メルカはビクリと体を震わせる。
【オイ邪魔すんな! 別に殺しゃしねェ! 一、二発ブン殴って立場を分からせてやるだけだ!】
(は!? そ、それも駄目だろ何言ってるんだ!?)
それではただの暴漢だ。
幸いイスメトの抵抗が功を奏し、セトの蛮行は未遂に終わった。
なんでこう、発想がいちいち物騒なのか。
「ご、ごめん! ちょ、ちょっと別件で気が立ってて……!」
「今、やっぱり目が赤く……」
メルカは豹変したイスメトを見て何かを感じたのか、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。
「ね、ねえイスメト君。アナタ、ひょっとして変なものに憑かれてるんじゃない? 一度、神官様に診てもらった方が……」
「えっ!? い、いや違うよ! 本当に気が立ってただけ! 神官様は間に合ってマス!」
こういった戦いの場には大抵、神職も数人来ていたりするものだ。
最悪、また邪神だ何だと騒がれるかもしれない。
苦しまぎれの言い訳を重ね、イスメトはなんとかメルカを丸め込んだ。
「あの……本当にごめんなさい。アナタにあげる約束だった
【ハッ!
セトは悪態をつくが、メルカは心底申し訳なさそうに目を伏せている。
恐らく嘘ではない。
実際、メルカが他の商人と何やら揉めている現場をイスメトは何度か見ている。大方、目的地に着くまで上手くごまかせと指示を受けていたのだろう。
彼らも、生き残るために必死なのだ。
「必ず! 別の形でお礼はするから! ひとまずこれで……ごめん!」
【このクソ■■■が!】
「そっか。それなら仕方ないよ」
今、ひどく下劣な単語が割って入った気がしたが、気のせいということにしておく。
イスメトはメルカが差し出した小袋を受け取った。
中には細々とした貴金属が入っている。
報酬としては十分な品である。
【ったく、お人好しだなテメェは!】
セトは罵倒の標的をこちらに移してきた。
イスメトは今さらながらにムッとする。
セトがメルカを疑うのは勝手だ。
罵倒したくなる気持ちも分からなくはない。
だが、この程度で女性に乱暴を働こうとしたことだけは見過ごせない。
(……嘘って証拠あるの? 心が読めるとか?)
【アホ! それができたら苦労しねェわ!】
セトの読心術はどうやら、体を共有する依代に対してのみ有効らしい。
(じゃあ証拠不十分だな)
【ハッ! 疑わしきは罰しろ、だ。親に習わなかったか?】
(疑わしきは罰せず、だよ!)
セトは確かに頼りになる。
だがそれは戦闘に限ってのことだ。
交渉や交流はこんな調子だし、人格(神格?)を尊敬できるとも言いがたい。
(……なあセト。勝手に体を操るの、やめてくれないか?)
セトの時代がどうだったかは知らないが、あんなやり方では信仰を広めるどころか敵を作るだけだ。
神と言えど、人間の世界でやって良いことと悪いことの分別は付けてもらわなければ困る。
【ハッ! そりゃオマエの心掛け次第よ。嫌ならさっきみたく力尽くで止めることだな】
イスメトは肩を落とした。
セトが頼んでやめてくれるような神なら苦労はしない。
期待した自分がバカだった。
「【オイ、
「えっ? あ、あるけど……」
セトは何を思ったかメルカに尋ねる。
瞳の色を見咎められたことを気にしてか、顔はそっぽを向いていた。
「はい、これ」
「【ん】」
ひったくるようにしてメルカから鎚を受け取ると、セトはテントを出て岩陰に移動する。
(ちょ、操るなって言ったそばから――!)
【うるせェ! 他に手がねェんだよ!!】
(な、何する気だよ!?)
直後。
セトは猛烈な勢いで、以前メルカにもらった
ガンギャンガギンガゴン――!
金属を叩く音が気でも触れたかのように超高速で鳴り響く。
もちろん、実際に腕を動かしているのはイスメトだ。
「ィィでででででで――ッ!? う、腕! セト! 腕っ、腕が――っ!!」
【るッせェ舌噛むぞ黙ってろォォォッ!!】
セトの発狂――もとい乱暴な鍛冶仕事は、小一時間続いた。
「ぜったい悪霊だわ、アレ……」
一部始終を覗き見たメルカが恐れ慄いていたが、もはやお構いなしである。
イスメトはおびただしい量の汗をかいた。
激しく体を動かすせいもあるが、気のせいでなければ周囲の気温自体が暑くなっていくように感じる。その熱によって多少、金属を叩く感触が柔らかくなったような――そうでもないような。
結局セトは、持ち前の豪腕だけで
【フン……ま、無いよりマシか】
完成したのは、かろうじて槍の穂先に見えなくもない
神が手ずから創った神器――と呼ぶにはあまりにお粗末な代物だった。
炉も使わずにここまで変形させたことについては、素直に
「……神様にも、上手くできないことってあるんだな」
【うるせェ、しみじみ言うな殺すぞ】
イスメトは痛む腕をもみほぐしながら、しばし呆然とその塊を見つめた。
セトも自覚はあるらしく、反論の声が心なしか小さい。
【大体、俺の
「権能……?」
【神の特色みてェなモンだ! 己の権能から外れたことは、さほど得意じゃねェんだよ……!】
イスメトの脳裏に、これまでの戦いがよぎった。
風をまとい、砂を操り、稲妻をも発生させる力――
セトのそういった能力はすべて、砂漠に由来するものだったということか。
【砂漠の全てを飲み込み、生命をかっさらう強大な砂嵐。それが俺のオリジン――神と認識されるに至った最初の
「砂嵐、か……」
砂嵐から生まれた神なら、この気性の荒さにも頷ける気がする。
【ともかくこれで、神器は一応手に入った】
「こ、こんなのでいいの……?」
この金属塊に適当な柄を付けたところで、皆があっと驚くような神器になるとは思えない。が、セトは例の策を続行するつもりのようである。
【ッ、仕方ねェだろ! 凱旋の時は、なんか適当にそれっぽいの使うんだよ!】
その策がどんどん雑になってきているのは、きっと気のせいではない。
【来い! 神器の使い方を叩き込んでやる!】
不意に小さな風が巻き起こったかと思うと、目の前に人身のセトが現れる。
いつにも増してギンギンと赤い目が光っていた。
「い、今から……!?」
【オベリスクで死にたくなきゃ一晩で覚えろ! 俺の気が短くならねェうちになッ!】
もう既に怒ってるじゃないか――
と反論する間もなく、イスメトは首根っこを掴まれた。
誰かこの神に教えてあげてほしい。
短気は損気という言葉の存在を。
【ハッ! 俺の親は砂漠だからなァ!? んな言葉、習わなかったなァッ!】
その砂漠へと連行されながら、イスメトは深々とため息を漏らした。
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