第10話 強くなる体と

 イスメトと商隊の旅は順調に進んだ。

 といっても、イスメトにとっては波瀾万丈の旅だった。


「【そらそらどォしたァ! まとめて来いやこのクソ雑魚どもがァ!!】」


 行く手に現れた犬型の魔獣・魔狼ゼレヴの群れへと突撃しながら高笑いをしている少年。

 もちろん、その正体はセトだ。

 イスメト本人はというと、魂の奥底で悲鳴を上げ続けている。


(死ぬ! 死んじゃう! 今度こそ死んじゃうぅぅ!!)

【アァ!? なに情けねェ思念飛ばしてやがる! 男なら気張れや!】


 この状況は男女関係なく誰でも叫ぶと思う。

 嫌ならもう少し節度というか、落ち着きを持った戦いをしてほしいものだ。


 魔狼ゼレヴは低級の魔獣に分類される。

 体は犬より一回り大きい程度で、動きも狼と大差がない。

 だが、あくまでもというだけだ。


 その実態は、砂漠を行く商人を何人も食い殺してきた獰猛な獣。

 どんなに勇猛な戦士であっても、笑顔でイキイキしながら何十匹と切り伏せていくような相手ではない。絶対に。


「イスメト君って……ホント、槍を握ると人が変わるのね……」

「いやはや、とんでもないなキミは。お陰で助かっているよ」


 守られる側のメルカたちですら、若干引いている。

 よそよそしい視線がとても痛い。


【――これで56匹目、っと。この様子じゃ、まだまだ隠れていやがるな。ハッ! 大して強くもねェ代わりに、子作りだけは早ェ奴らだ】


 一行は山岳地帯に足を踏み入れていた。砂だけで構成された砂漠とは違い、この近辺は硬い土や岩石が目立つ。小規模な緑地も点在しているため哺乳類型の魔物、特に魔狼ゼレヴが多い地域だ。

 農夫たちが騒いでいた先日の食人被害も、この辺りで起きたという話だった。


 しかし、いくら魔獣の多い領域に入ったとは言え、一日で五十匹。あまりに遭遇頻度が高すぎて胸騒ぎがする。


【俺が神力しんりきチラつかせて、魔獣どもをおびき寄せてるからな】

(ああ、それで……って、ええっ!?)


 ここで神がまさかの自白をした。


(なんでわざわざ!?)

【オマエを鍛えるため】


 さらに衝撃的な犯行理由を告げられ、イスメトは軽くめまいを覚える。


(そ、そんなことして商隊に被害が出たらどうする気だよ!)

【ア? ちゃんと倒してんだろ。なに怒ってやがる】


 セトは全く悪びれもしない。

 むしろ善意でやっているのだと言わんばかりである。


【つゥこった。こっからはお前に任せるぜ】

「ええ!? ちょっ、無理――ッ!」


 そう言って体を返されたのは、まさかの戦闘の真っ最中。

 魔狼ゼレヴの牙が眼前に迫った時だった。

 イスメトはとっさに槍の柄でなんとか攻撃をいなす。


【もう十分、手本は示した。無理かどうかはやってから判断するんだな】

「そんな無茶苦茶な……!」


 しかし、意外と何とかなるものだった。

 セトの戦いをしばし体感したことで、イスメトはいつの間にか対魔狼ゼレヴ戦のコツを掴んでいた。


(……あれ? 分かる。次の動きが――見える!)


 自分の体を武術の達人――というより達神――に操られる経験は、想像以上にイスメトの血肉となっていたのである。


 普通、師の動きは目で盗むもの。

 それがセトの場合、純粋な体験として体に叩き込まれる。

 戦いにおいて、これ以上のカンニングは存在しない。


(でも、いつもならとっくに発作が出ていてもおかしくない……)


 技術的な心配はさておき、別の不安が首をもたげる。

 今まではセトが体を操っていた。だから肉体も強化されて、発作もなりを潜めていた――そう考えると納得がいく。


 では、セトに体を返されたらどうなる?

 またあの喘息を発症するに決まっているじゃないか。


【あァ、そういや言い忘れてたな】


 イスメトの恐怖を感知した神は、深刻さのかけらもない声色で口を挟む。


【オマエのその持病、俺の依代でいる限りは発症しねェぞ】

「え」


 思いもよらぬ発言に、一瞬イスメトの集中が途切れる。

 瞬間、視界の端で牙が光った。


「ぁぐ――っ!」


 とっさに牙の間合いからは逃れたものの、鋭い爪が肩口をかすめる。

 体勢を崩したところで、別の一匹が立て続けに飛びかかってきた。


【オイ!】


 そこでセトが文字通りの横槍を入れる。倒れかけの体勢から放たれる振り上げの一閃。それは普通ではあり得ない切れ味を発揮して、魔狼ゼレヴを真っ二つに切り裂いた。


【アホが死にてェのか!】


 そっちが急に体を返したり話しかけたりしてくるから……!

 ――とは声に出さなかったものの、気持ちは伝わってしまっただろう。

 そこからのセトは一段と荒々しく体を操り、後にイスメトを疲労で寝込ませた。


「さっきの話、だけど……」


 夕刻。夕食の支度をする商人たちをよそに一人テントで休養するイスメトは、自分の体について神に話すことにした。

 もっとも、詳しい病状を説明するまでもなく、神はイスメトの求める答えを知っていた。


【テメェが病気だと思ってるソレは、混沌に対する過敏反応みたいなモンだ】

「過敏反応……?」

【昔からいるんだよ。魔獣のまとう混沌を感じ取っただけで体調を崩すヤツ。ま、生まれつきの体質だな。オマエがすんなり俺の声を聞けたのも、その敏感な体質のお陰だろうぜ】


 医師が語っていた『魔獣の毒気』というのは、どうやら混沌のことを指していたらしい。


【魔獣は本来ただの動物だ。が、神界に存在する〈原初の闇〉――混沌に影響を受けることで、魂を狂わされて魔獣と化す。要するに、奴らはアポピスに魂を喰われて魔獣になった生き物の成れの果てってことだ】


 そこまで聞いて、イスメトは首を捻った。


「ちょ、ちょっと待って。アポピスはエストに取り憑いたんじゃ……?」


 セトは【そこからかよ……】と面倒そうに独りごちながら補足する。


【アポピスってのは別に、アレ単体を指す固有名詞じゃねェ。ヤツは個にして全。世界に同時多発的に存在できる。一種の現象、概念と言ってもいい】

「えっ!? それじゃあ、世界にはあんなのがウヨウヨいるってこと……!?」

【なに今さら驚いてんだ。それが分かりやすく物質的に現れてんのが魔獣だって言ってんだよ】


 セトいわく、混沌が湧き出す場所は世界中に存在しており、その混沌の影響を受けて動物は魔獣に変貌するということだ。


【ニンゲンの魂は他の動物ほど単純じゃねェから、そう簡単には魔獣化しねェ。ただ、オマエみたいに影響を受けるヤツもいるって話さ】

「それがどうして、セトといると平気に……?」

【神力が混沌を自然に浄化してんだよ。混沌が闇なら、神は光みてえなモンだからな。おありがてェ話だろ?】

「そう、なんだ……」

【良かったな。これでオマエは心置きなく英雄を目指せるってワケだ】


 セトの言う通りなはずなのに、胸のモヤモヤはなぜだか悪化した気がした。


 細かな仕組みがどうあれ。

 結局のところ自分は、セトがいなければただの病人。

 生まれつき戦士にはなれない運命の『能無し』だったと、神にまでお墨付きをいただけたわけである。


【んじゃま、明日以降の護衛は全部オマエに任せたということで】

「えっ!? いやいや! また屍転蟲アス・ワウトとか出てきたらどうする気――」

【まァ何とかなるだろ。死にかけたら教えてくれ】

「ちょっ、セト――!?」


 グースカといびきのような音が響き始めた。

 正確には音ではないのだろうが。


 そもそも神は寝るのか? セトはいつどんな時でも疲れた素振りひとつ見せず、イスメトの思考に茶々を入れてくる。朝起きてから寝るまで、ずっとだ。なんなら夢の中にも出てきている気がする。


(も、もしかして寝たフリ……)


 疑惑はあったが、神に二言はなさそうだった。


 翌日からも商隊は魔獣に遭遇した。

 数匹ではあったが、あのおぞましい甲虫とも戦うはめに。しかし、全く苦戦はしなかった。


(この感じ……これならもしかして、本当にオベリスクも……)


 自分の能力が飛躍的に向上していることを実感し、イスメトの心は少なからず上向く。


 だが、自信が付きそうになるたびに、過去から誰かの声が聞こえてくる気がした。


(――馬鹿か、僕は。これはあくまでセトの力。うぬれすぎだ)

【……】


 少年が内心で己を否定するたびに、神は人知れず何事かを思案していた。

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