第09話 友との誓い、父との約束

 イスメトが寝息を立て始めると、セトはその意識の奥底へ――夢の中へと潜っていった。


 普段の念話は、依代の抱く感情の『表層』を読んでいるに過ぎない。

 強い思いや意識的に念じられた言葉以外は、曖昧に流れ去ってしまう。


 だが夜に見る夢は無意識の領域。

 依代の魂の根本――人格を知るにはうってつけだった。


『ボクはねボクはね! いっぱい勉強して書記になる!』


 早速セトは、一つの鮮やかな記憶に辿り着く。

 その記憶の中にいる少年はまだ幼い子供。切り立った岩場の先に座り、砂漠に沈む夕日を眺めている。

 両隣には、同じ年頃の子供が二人。


『そんでね! 世界中を旅して、色んな神様や英雄のお話を集めて、書物にするんだ!』


 このやたら声のデカい子供には見覚えがある。

 棺の中に封印した、あの娘だ。


『おま……マジで神話オタクだな。親父の仕事は継がなくていいのかよ』


 真ん中の少年を挟み、娘の言にケチをつけたのは黒髪の子供。

 寝不足なのかそういう人相なのか、長い前髪の奥で常に目を細めている。

 とりあえずジト目と呼ぶことにする。


『なんだよー! いいだろー!? そういうキミの夢は何なんだよう!』


 娘に問い詰められ、ジト目は面倒そうに顔を歪めた。


『俺は……』


 やがて意を決したように立ち上がる。どこか影を感じる黒瞳こくとうが、まっすぐに隣の少年を睨みつけた。


『……イスメト、俺はゼッテーお前より強くなる。武術大会で一位になって、〈神の戦士ペセジェト〉の槍を先に手にしてやるからな』


 鼻の上の古傷を掻きながらの、宣戦布告。

 それを受けた少年も勢いよく立ち上がった。


『望むところだ! 僕だって負けないよ! だって僕の夢は――』


 そこで不意に、夢の世界の像が歪む。

 鮮やかな夕日の色も、細く伸びる三つの影も、風に散らされる砂のごとくサラサラと崩れて消えていく。


 ――この先は思い出したくない、ということか。


 神は少年の言葉の先を探るべく、別の記憶へと移動した。


『とーさん、これあげる!』


 そこでも少年は幼い子供。

 かたわらには、父親と思しき男の姿が現れた。


『おおっ! これは……えーと、何だ……? 布巾?』

『違うよ、槍の棒に結ぶの! エストに教わって、家族の名前を入れたんだ!』

『おおっ、本当だ! なんか刺繍が入ってるな!』


 少年は両腕を限界まで伸ばし、赤く染められた亜麻布を広げて見せる。


『はへー。父さんなんか自分の名前すら書けねーってのに……凄いなイスメト! さすが俺の息子!』

『神兵さんの、センショーキガン? なんだって!』

『おーそうか! じゃあ、これがあれば百万人力だ! ありがとな!』


 いつの時代も、人の考えつくことに大差はない。

 似たようなまじないにセトは覚えがあった。

 この層には他にも、とりとめのない家族の記憶が無数に散らばっている。


『また魔獣を退治しに行くの?』


 今度の少年は少し成長している。

 が、恐らく九つにも満たぬ年頃だろう。

 相も変わらず無防備で、世の憂苦など何一つ知らぬ顔だ。


『ああ。今度のはちょっと……長旅かな』

『長いってどれくらい? いつ帰ってくるの? 明日?』

『だはは! 出たよイスメトの「明日?」が』


 一方で父親の顔には影がある。

 それを見せまいと作る笑顔が、どこかよそよそしい。


『あー……、イスメト』


 男は考えるように視線を泳がせた後、息子の前に屈んで肩に手を置いた。


『父さん、あの塔でしばらく暮らすことになるんだ』

『え? オベリスクで? どうして?』

『誰かが塔の番人をしなきゃならない。イスメトや皆が、安心して暮らせるようにな』


 その優しい嘘は、何よりも父親の覚悟を物語っていた。


『だから、もし父さんが戻って来なくて寂しかったら、オベリスクを見ろ。父さんもそこからイスメトを見てるからな!』

『えーっ、やだよ! 番人なんかしなくていいから早く帰って来て!』

『まあまあ怒るな。お土産、持って帰ってやるから』


 そう言うと少年は一時的に機嫌を直す。

 が、いざ父が家を出ようとすると似たようなやり取りが繰り返された。


『ねえ、ぼくが会いに行くのもダメなの……?』

『んー、ダメだなぁ。当分は……』


 泣きべそをかく少年。父親は笑った。


『そうだ! もしイスメトが将来、強い戦士になれたら、そん時は父さんの仕事を手伝いに来てくれ! それでどうだ?』


 不意に、夢の世界が揺らぎを見せる。

 先ほどよりも大きな揺らぎ。依代の意識が覚醒しかけているらしい。


『う~……分かった!』


 涙にはれた顔を擦って、少年も笑う。


『僕、強くなる。村でイチバン強くなって、絶対に父さんの仕事を手伝いに行くから!』


 心拍の上昇。荒くなる寝息。

 少し深入りしすぎたかと、セトは潜在意識への介入を中断した。


「……っ!!」


 間もなくして、現実世界のイスメトが目を覚ます。


「っ、もう、いいのに……っ」


 誰に言うでもなく小さく吐き捨て、彼は立ち上がった。

 目元を執拗に擦りながら、傍らの槍を掴み、寝ている隣人を起こさぬようそっとテントを抜け出していく。


 空は、朝と夜のグラデーションに彩られていた。


 オアシスで顔を洗った少年は、その場で槍を振り回す。

 いくつかの基本の型を汗がしたたり落ちるまで繰り返したら、今度は槍の先に濡らした布を巻き付け、負荷を高めていく。


 慣れた手付きだ。

 日課か、はたまた悪夢を見た際のルーチンか。

 いずれにせよこの鍛錬によってこの男は、神に操られても壊れない最低限の肉体うつわを成すに至ったようである。


「あれ? 早いねー、イスメト君」


 鍛錬は、商人どもが起き出してくるまで続いた。

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