第06話 布教活動初級編・人命救助

(と、跳ぶっていうか、飛んでる――!?)

【あとは落ちるだけだがな】

「ええッ!?」


 空を矢のごとく滑空するイスメトが思わず声を上げた時。下方にはすでに砂地が広がっていた。


「ぼぶべっ!?」


 墜落と同時に砂がボフンと舞い上がる。

 幸い体は神術で軽くされたままだったらしく、大きなダメージはなかった。

 ただ、顔の穴という穴に砂が入りこみ、イスメトはしばらく悶絶した。


【クッハハ! 初フライトで顔から着地した依代はオマエで二人目だ。こりゃ逸材かもな】


 イスメトは砂を吐き散らしながら、自分の飛んできた方角を見やる。

 神殿の高い壁が小さく視認できる。

 軽く4000キュビト(※約2km)は飛ばされている気がする。


「な、なんとか逃げられたけど……これからどうすれば」


 頼みの大神官には『邪神の遣い』呼ばわり。

 依代を交代してもらうどころか、死刑宣告まで受けてしまった。

 町では今頃、衛兵たちが血眼になって自分を探しているのだろう。


【あァ? んなの決まってんだろ。どうにかしてあの仏頂面に、俺の信仰を認めさせんだよ】


 絶望するイスメトに対し、セトは特に動じた様子もなく人身の姿を現した。


【オラ、なに寝ぼけた顔してやがる。とっとと立て】

「うわっとと!?」


 猫のように首根っこを引っ掴まれ、イスメトは宙ぶらりんにされる。

 神は基本的に物質には触れられないようだが、依代の体にだけは直接触れることができるらしい。


「あ、あの! 認めさせるって、具体的にどうすれば……」

【そうだな、まずは基本からやるか。喜べ。おあつらえ向きのが早速、あっちから転がり込んで来た】

「え……?」


 イスメトはセトの視線の先を追う。

 視界いっぱいに広がるのは、快晴の青と砂漠の琥珀色。

 そして、その壮大な二色の境目を濁すかのように――


(なんだ、あれ……)


 砂煙が雲のようにたなびいていた。

 その先端には十数頭のラクダの群れがいる。

 商隊キャラバンだ。

 大事な商品を時に投げ捨てながら、彼らは走っていた。

 まるで何かから必死に逃れるように。


 やがてモクモクと立ちこめる砂の中に、黒光りする生物が見えてくる。


「! あ、あれって……まさかっ!」


 イスメトの顔からサッと血の気が引いた。


 中級魔獣・屍転蟲アス・ワウト

 その姿は砂漠のスカラベそっくりだが、大きさは人間の頭ほどもある。

 動物の排泄物を転がす人畜無害な甲虫とは似て非なる存在である。


 彼らは狩りをする。

 砂の中に身を潜め、近くを通った獲物に飛びつく。


 厄介なのは、その時にはねから毒液をまき散らすことだ。

 毒液を浴びれば最後、獲物はドロドロの肉塊へと変貌する。

 そして、太く発達した後ろ足で丸められ、砂漠を転がり続けることになるのだ。


 彼らの携帯食として。


「あっ、危ない――!!」


 まさに今、そんな惨劇が目の前で起きようとしていた。


 商隊の進行方向に新手の屍転蟲アス・ワウトが数体、飛び出す。

 前方の数頭はそれにより転倒し、挟み撃ちにされて身動きが取れなくなってしまった。

 一方で、それ以外のラクダは難を逃れてこちらへ向かってくる。


「そこの! 早く逃げろッ!」


 その内の一頭を繰る商人が、すれ違いざまに警告をくれた。

 もちろん、イスメトも逃げたい気持ちは山々だったが――


【ククク――助けたい、って顔だな】

「えっ、そ、そりゃ……でも、あんなの僕じゃ無理だし……」


 セトは何かを企むようにニタリと笑う。

 なぜだろう。凄く、嫌な予感がする。


【なァら決まりだ! 全力で恩を売って、謝礼の巻き上げと行こうぜ!】

「ま、巻き上げ!?」


 まるで神らしからぬ言動が聞こえた気がしたが、聞き返す暇もなかった。


【布教活動の基本。それは――人命救助だ!】


 そしてイスメトの体は、再び空中へと射出された。



■ ■ ■



「ぁ……あ、ぁ……」


 少女は死を覚悟した。


 毒液の直撃は免れたものの足に力が入らない。

 ラクダは彼女を振り落とし、とうに逃げ去ってしまった。

 両手に握りしめた手製の護符は、胸の前でぷるぷると震えるだけ。


 ――バカだ、アタシ。


 オアシスの危機にすら駆けつけてくれない国神ホルスに祈って何になる。

 こんなことならナイフを取り出すべきだった。

 それで自分の首を切り、ラフラの砂に血を捧げるべきだった。

 そうすればもしかしたら〈砂漠の民〉を守護するふるき神が、最期の願いを聞いてくれたかもしれないのに。


 いや、それもまた希望的観測の過ぎる話か。


「うぅ……っ、おにぃ……っ!」


 昨年死んだ唯一の肉親の顔を思い浮かべ、少女は涙の滲む目を固く閉じた。


「ぅわああああぁぁぁぁ――っ!!」


 その時だった。空から妙な声が降ってきたのは。

 神の声――なわけがない。それにしては間抜けな悲鳴だ。

 屍転蟲アス・ワウトと少女の間に、その悲鳴の主はズドンと落ちてきた。


 立ちこめる砂煙の中に薄らと、少女は立ち上がる人影を見る。

 少年、だろうか。

 手には槍らしきものを持っている。


「クハハッ! 今度はちゃんと足で着地できたなァ! 飲み込みが早いのは良いことだ」


 少年はドスの利いた声で一人、笑っている。

 彼の言葉の意味も、空から落ちてきた理由も分からない。

 ただ一つ、理解できたことは――


「安心しろ。こっからは俺の仕事――だッ!」


 奇跡が、起きたことだけだった。


 少年は自身に群がる屍転蟲アス・ワウトを槍で殴り飛ばし、切り刻み、叩き伏せていく。

 飛び散る毒を紙一重で避け、むしの翅を切り落とし、腹を突き破る。


 赤くギラつく眼光。

 戦いを楽しむような凶悪な笑み。

 豪快なのに洗練されたたいさばき。


 恐ろしい。でもどこか、美しい。


 少年の動きに従って風と砂が舞い、時折、青黒い毒液と緑色の体液とが絵の具のように宙に散る。

 まるで極彩色の宗教画。

 その中で、彼は踊っていた。



■ ■ ■



「じ……ぬがど思っだ……」


 セトの支配から解放されたイスメトは、力無く砂漠に伏す。

 この時間、砂は恐ろしく熱いはずだが、不思議と頬に触れても気にならない。


【ハッ、情けねェ奴だなァ。毒も攻撃も受けてねェはずだが?】


 そういう問題ではない。

 自分の体が意志に反する動きをする上に、視界の端から端まで恐ろしい蟲の大群で埋め尽くされていたのだ。平静を保てるわけがない。


 しかもセトの動きは良くも悪くも大胆。

 毒液こそ上手く避けるものの、無害な体液に関してはお構いなしだ。

 結果、イスメトの全身は虫の臓物でベトベトである。


 おまけに戦っている最中は、それが毒液なのか何なのかすら分からない。

 肌がねっとりと嫌な感触を伝えてくるたび、いつ体が溶け始めるかと気が気ではなかった。


「も……、動けな、ぃ……」


 さらに体の主導権が戻った途端、この吐くほどの疲労感である。

 実際、つい先ほど胃の中身をその辺にぶちまけた。


【やれやれ。こりゃ、ちっとばかし鍛えてやる必要があるな】

(水……水が飲みたい。むしろ水に飛び込みたい……)


 意識が朦朧とし、セトとの念話すら成立しなくなってきた頃――


「ちょ、ちょっと……! 大丈夫!?」


 パサパサと砂を踏む音が近づいてくる。

 それを聞きながら、イスメトは意識を手放した。

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