第07話 商隊との出会い

 次に目が覚めた時、視界には布で出来た天井が映った。


「う……んん……?」


 ぴちゃぴちゃと。

 頬をくすぐる湿った感触でイスメトは体の感覚を取り戻す。

 顔のすぐ横で、赤毛の猫がみゃるると鳴いた。


(あれ……僕、どうしたんだ?)

【ぶっ倒れて介抱されてたな】


 セトによると、気絶して三時間ほど経ったらしい。

 となるともう夕方。どうりで空気が涼しいわけだ。

 のっそりと上体を起こす。額から湿った布が落ちた。


「あ、起きた!」


 走り去っていく細身の猫を目で追うと、そこには少女が立っていた。


 長い髪を右サイドでくるりと束ねている。

 猫と同じく赤毛。〈砂漠の民〉としてはごく一般的な髪色だ。

 オアシスではむしろ、イスメトの砂色の髪の方が珍しい。


「あれ? 紫だ」


 しかし、少女はイスメトの髪よりも、瞳の色を見て目を丸くした。

 長い睫毛の奥から、気の強そうなみどりが見つめてくる。


「えっ、あ、あの……っ!?」


 少女の顔が急接近し、イスメトは思わず目をそらした。

 同時に、柱と布で構成された簡素な室内が目に入る。

 恐らくここは〈砂漠の民〉が長旅をする際に持ち歩く、簡易テントの中だ。


「アハッ、ごめんね。ただの見間違い! 気にしないで」

「あ、あの……ありがとうございます。介抱、してくれたんですよね?」

「いいって! アタシこそ感謝だよ! マジで死ぬと思ってたから」


 少女は猫を抱き上げながら、快活な笑顔で答える。


「タメ口でいいよ。たぶん同世代でしょ? あたしメルカ」

「イスメト、です……あ、いや。イスメト、だよ」


 安定しない口調に、メルカはまた笑った。


「意外と大人しいタイプでビックリ。てっきり戦闘狂のヤバイ人かと思っちゃった」

「あ、はは……」


 イスメトは笑ってごまかす。

 神殿での一件もある。

 セトのことを不用意に話すのは避けるべきだろう。


【賢明だな】


 セトも同意見のようだった。


「ところで、ここは……?」

「ああ、ごめんごめん。ここはラフラの外れ。無人の小さなオアシスだよ。宿代浮かせたくて、いつも皆ここに泊まるの。やっぱ、町に送った方が良かった?」

「あ、いや……大丈夫」


 ラフラ・オアシスでは神殿兵がイスメトを探し回っている。

 むしろ幸いだった。


「さてっと。それじゃ、さっそくお礼をしなくちゃ」


 メルカはテントの幕を上げる。

 遠目に草をむラクダが見えた。

 その背から降ろされたのであろう大量の袋や鞄を、メルカはテント内に運び入れていく。どうやら彼女の商売道具らしい。


「あ、いや。お礼なんて別に――ィィッ!?」


 言いかけたイスメトの頬を、イスメト自身の指がつまんで捻りあげる。


【ア・ホ・か、オマエは!】

「いででで……っ!」


 セトの仕業だった。


【勘違いすんな。これは厚意じゃねェ。命を救った当然の対価だ。対価は取れるだけ絞り取れって親に習わなかったか?】

「ど、どんな親ですか……!」


 イスメトはヒリヒリと痛む頬をさする。

 幸い、メルカがこちらの一人珍問答に気付いた様子はなかった。


「よいしょっと! ウチにあるのはこのくらいなんだけど……」

「な、なんか悪いな……」

「アハッ、何言ってるの! 命救っといてお代はタダとか、そっちの方が怖いから!」


 さすがは常に危険と隣り合わせの行商人。

 畑を耕すだけの小作人とは生きる心構えが違う。


【ソラ見ろ。これが普通の感性だ】


 最初から報酬目当てだったセトに言われると、少しモヤっとするが。


(それで……何か欲しいものがあるんですか、セト様)

【敬語も敬称もやめろ。俺を讃えたい気持ちは分かるが、依代と神は対等な関係であるべきだ】

(そ、そう……なの?)


 神と自分が対等などとは到底思えないが、他でもない神のおぼしだ。素直に従っておく。


「【これがいい】」

「え……? こ、こんなのでいいの?」


 セトがイスメトの指で差したのは、壊れたシストルムだった。

 U字型の枠に横棒を刺し、金属製の輪を複数ぶら下げた、振って音を鳴らすタイプの楽器である。

 どうやらこれには柄と枠の部分しか残っていないようだが。


「こ、こんなの、蒐集趣味の偏屈ジジイくらいしか買わないわよ? 他のにしといたら? ほら、こっちにちゃんと音が出るやつが――」

「【いや、これがいい】」

「そ、そう……」


 メルカは明らかにソワソワしていた。


(これは……?)

【〈神鉱石ネレクトラム〉。希少な天然合金だ。神器の素材に使える】

(えっ、神器!?)


 イスメトは声をなんとか飲み込んだ。


【いずれ必要になる。これだけでは心許ないが】

(そ、そんな簡単に作れるの……?)

【良い職人を雇うのが最善ではあるが、モノさえあれば神力しんりきを宿すだけでそれは神器となる】


 皆が血眼になって探す旧神様の神器は、どうやら一点物ではなかったらしい。


(なら、セトが使ってるあれは……?)

【〈支配の杖ウアス〉か? アレは神力を扱いやすく集めたものだ。俺にしか振るえんし、物質的な攻撃力は無きに等しい。だが神器なら、対象を選ばず敵をぶっ叩ける。無論、ニンゲンでも扱える】


 神殿で襲われた時、セトがわざわざ兵から武器を奪っていたのはこれが理由らしい。


(人間でも、って……もしかして、僕?)

【他に誰がいる。今のやり方じゃ、いずれ限界がくる。オマエには早いとこ自立してもらうぞ】


 最後の言葉にはどこか圧を感じた。

 今のお前はただのお荷物。そう言われているような。


「はぁ……君、いったい何者? それ、高価だって知ってたの?」

「えっ、えっと……まあ」


 思ったより高く付いた――とメルカの顔には書いてあった。

 なんだか自分ががめつい人間に見られているようで、イスメトは胃を痛める。

 が、そんな依代の心情などお構いなしにセトは畳み掛ける。


「【同じ材質で、もっとちゃんとした品はないか? できれば武器がいい】」

「え、うぅーん……武器は~……」


 メルカはしばらく荷物をごそごそと漁っていたが、やがて何かを思い出したかのようにバッと顔を上げた。


「そうだ! 神鉱石ネレクトラム製のナイフなら仲間が持ってたはず。それなら、条件付きで横流ししてあげてもいいわよ」

「【条件……?】」


 続いてメルカから提示された条件を、セトは快諾することになる。

 そのせいで、イスメトはさらに胃を痛める結果となった。


「ね、イスメト君。アタシらに雇われない?」

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