第05話 旧神様は大悪党?

 大神官を頼るべくイスメトが向かったのはラフラ・オアシスの大神殿だ。


 高い外壁に囲われた敷地内は小さな村が収まるほどの広さで、神事を行なう本殿はもちろんのこと、医療施設、学問所、穀物庫など、共同体に必要な様々な施設が集まっている。

 この国における神殿とは、まさに町の中心なのだ。


 特にこのホルス大神殿はウェハアト最大規模を誇る。

 石灰岩で化粧された白い壁には要所に極彩色の幾何学模様が施され、溜息が出るほどに美しい。


「はぁ……」


 もっとも。今イスメトの口から漏れたのは悲嘆の吐息である。


 本気で『旧神様の神器』に期待したわけではない。

 ただエストの前では夢に立ち向かえる人間でありたかったし、それを演じることで少しでも彼女の今後の励みになりたかった。


 それだけだったのに、まさか。

 こんな大事になるなんて。


【ホルス大神殿だァァァ~~ッ!?】


 ただいま、イスメトの中におわす神は大層ご立腹な様子でいらっしゃる。

 いわく、本来ここは彼の神殿で、その名もそのまま『セト大神殿』だったと言うのだ。


 真偽のほどは確かめようがない。

 なにせ旧神様の信仰が廃れて三百年も経っている。

 真実を知る人間などもうこの世にはいない。


【ここはかつての我が信仰拠点――だってのに、並び立つ彫像はすべてハヤブサ! 壁にはヤツを讃える祝詞のりとの嵐! オマケに関連神の護符までぶら下がってやがる! やってくれてんなァ、あのクソ鳥頭ァァァ……!!】


 美しく装飾された拝殿を見回して、セトは発狂せんばかりだった。


【よし小僧、手始めに至聖所までカチコミだ。ホルスの神像ブッ壊してこい!】

「ぶっ──!? いやいや駄目です! そんなの僕が殺されます!」


 至聖所とは、神の写し身とされる特別な像を安置する部屋だ。一般人は立入禁止。ましてや祀られた神像に手を出すなど言語道断である。


「と、とりあえず大神官様を待ちましょう! きっと力になってくれるはずです!」

【ハッ! 俺の神官ならいざ知らず、ホルスの神官だろう? あてになるモンか】

「そ、そう言わずに! 一応、知り合いなので……!」


 イスメトは世話になっている医療神官を通して大神官になんとか面会を取り付け、今は拝殿横の一室で待機しているところだ。

 その一室へ案内されるまでの道中のすべてが国神カラーに染まっていたがために、セトは騒いでいる。


(仲悪いのかな……同じ神様なのに)

【ハァッ!? 神様なのにってなんだブッ殺されてェか!】

「うわぁ!?」


 思考がそのまま伝わるというのは実に厄介だ。

 もう何度、ただの独白に口を挟まれて飛び上がったか知れない。


【んじゃテメェはナニか!? 男って生きモンだから全ての女を抱けるってことか! 醜女でも? 老婆でも? キレて刃物ブン回す女でもイケるってか! そいつァすげえな尊敬するぜ】

「う……そんなことない、です。ゴメンナサイ……」


 この神、とにかく口が汚い。

 そして短気だ。ものすごく。


「お待たせしました、イスメト君」


 理不尽な難癖をつけられる神罰(?)を受け続けていたイスメトのもとへ、ようやく救いの手が差し伸べられる。

 馴染みの医療神官、ザキールだ。

 彼の案内で別室へ通され、イスメトはようやくエストの父親である大神官に現状を伝えることができた。


「――何だと? セト……今、そう言ったのか?」

「え? はい。そうです、けど……」


 何か様子がおかしい。

 そう感じたのは、事のあらましをおおかた話し終えた後。

 歴史に葬り去られた旧神の名をイスメトが口にした時だった。


「ああ、なんということだ……」


 大神官は目を伏せ、何かを考えるように眉間をもみほぐす。


「旧神様が、あのセト神だった……? ああ、なんと皮肉なことか!」

「あ、あの大神官様……? 早く、エストを助けないと――」

「っ、近寄るな! 邪神の遣いめ!」


 イスメトは大神官に突き飛ばされ、美しく磨かれた石の床に尻餅をつく。

 痛みよりも、困惑の方が強かった。


 邪神の遣い?

 それは一体、どういうことだ。


「セトは神殺しの神……はるか昔、楽園アアルを崩壊へと導き、世界に混沌と魔獣を解き放った破壊神の名だ!」

「え……ええっ!?」


 本当に、どういうことだ。


【あァー……破壊神。そう来たか】


 目を白黒させるイスメトに対し、セトは落ち着き払った声色で呟いた。

 その声も姿も、なぜかイスメト以外には感知できないらしく、彼は大神官の背後にそびえる豪華な祭壇の上に寝そべって話を聞いていた。


【やはり、神話がだいぶ脚色されてやがるな。確かに楽園はぶっ壊したが……】

(ぶっ壊した……!?)


 その事実だけでも、彼を破壊神と断ずるに十分すぎる気がするのだが。

 セトは面倒くさそうに頭を掻く。


【相応の事情があったんだよ――っつか、後ろ見た方がいいぞ】

「え……っ!?」


 言われて振り向くと、部屋の出入り口を塞ぐように警護兵が集っていた。

 その数、十余名。


「だ、大神官様? こ、これは……」

「イスメト……テセフ村では娘がよく世話になったと聞いている。だがすまない。こうなった以上、生かしておくことはできんのだ。邪神に取り憑かれた人間は、やがて他の人間の魂を喰らい、魔獣に変えてしまう」

【やれやれ。そりゃまんま、アポピスのことだろうが】


 セトが訂正するも、当然、大神官には聞こえていない。

 仮に聞こえたとしても、どのみち神殿に古くから伝わる神話の方を真実と捉えるのが神職のさがだ。


「衛兵よ、この者を処刑せよ! なるべく、苦しませずにな」

「――っ!?」


 思わぬ事態に、イスメトの顔から血の気が引いた。


 皆の探し求める旧神様が、実は神話に名を残す破壊神だった?

 つまり僕らの先祖は、世界を滅ぼす〈厄災の神〉を崇めていたということになる。

 しかし、戦士の村に伝わる旧神様の伝承は英雄譚ばかりだ。


 なんだか辻褄が合わない。


【考えるのは後だ】


 セトは呆れ顔で起き上がると、蜃気楼のように姿を消してイスメトのなかへと戻ってくる。


【とりあえず逃げる。出口へ走れ】

(ええ!? む、無理です! 兵士があんなに……!)

【俺が何とかする。オマエはとにかく突っ走るだけでいい】

(そ、そんな無茶な……!)


 神殿の衛兵と言えば、オアシス中から選りすぐられた精鋭だ。

 その実力は折り紙付き。一対一でもイスメトには厳しい相手である。


【いいか、コイツらは勘違いしてやがる。このままオマエごと俺が処刑でもされてみろ。棺の封印が解けて、あの娘こそ邪神の遣いとやらになっちまうぞ?】

(……! エストが!?)

【そうなりゃ、いま神官が言った通りのことが起きる。オマエはそれを望むのか?】


 エストが邪神に操られて人々を襲う――

 そんな未来、想像することすらおぞましい。


「ぅ、ぅわああああーーっ!!」


 イスメトは出口へ向かって飛び出した。

 後先など考えず、ただセトの言葉に従って。

 衛兵たちは退路を与えぬよう横長の陣形を組み、各々に武器を構えている。


【そうだ、それでいい。お前は出口だけ見てろ】


 セトはイスメトを操り、立ち塞がる兵が繰り出す槍の切っ先を避けつつ、その柄を蹴り上げる。敵の手を離れた槍はくるりと頭上を舞った後、あらかじめ決まっていたかのようにスッポリとイスメトの右手に収まった。

 そして――


「へぶ!?」

「ぐおっ!」


 武器を得たセトは群がる兵を一人また一人と槍の石突きで殴り飛ばしていく。

 イスメトはただ我武者羅に走るだけ。

 それでもセトは華麗に攻撃をかわし、衛兵が見せる僅かな隙を突いて適切な打撃を与えていく。


 一つ一つの動作に伴う感覚はあるのに、その大半が自分の意志ではない。

 なんとも表現しがたい不思議な感触だった。


「出口を固めろ! 絶対に逃がすな!」


 衛兵のリーダーと思しき男が叫んだ。

 すると兵の半数が中庭に先回りして陣形を組み直す。

 さらにセトは、周囲から別の足音が近づいていることにも気付いた。


【増援か。小僧、作戦変更だ。合図したら跳べ!】

「は、はい! ……え!?」


 跳ぶって、どういうこと?


【――は炎天。奪い与える熱砂の血風けっぷう


 セトが神術を唱え始める。

 イスメトは自分の体が段々と熱く、そして軽くなっていくのを感じていた。


【今だ、跳べ――〈上昇気流アク・アエリオ〉!】

「――っ!!」


 もはや聞き返す時間もない。

 イスメトは幅跳びの要領で思い切り床を蹴った。


「え」


 直後、目の前には神殿の天井があった。

 待ち構えていたはずの衛兵らは遙か下。


 ――バゴォッ!


 右手セトの繰り出した刺突が石の天井を粉砕する。

 その残骸をくぐり抜けながら、イスメトの体はその勢いのままに砂漠の方角へと吹っ飛んでいった。


「な……なんだよ今の……」


 神殿内に残された衛兵たちは、ただ呆然と立ち尽くす。

 空から岩でも降ってきたのではと疑う者すらいた。

 なにせ彼らは、少年が飛び上がった瞬間に突風で吹き飛ばされ、気付けば天井に開いた大穴を見上げていたのだから。


「風を操る力……やはりあれは、まぎれもなくセトの……」


 大神官は慄き、天井の穴を見つめながら国神に祈りを捧げる。

 神話に名を残す最悪にして災厄の神が、どうかこの国に災いをもたらさぬようにと。

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