第一話 狼男の密室殺人(2)不審な男
「失敗した……」
ウィリアムは肩を落としながら階段を下っていた。
深々としたため息を吐けば、手に持ったスープの載ったトレイが、カタカタと音を立てた。
(何がいけなかったんだろう?)
目立ちたい、一目置かれたい、という下心は確かにあったが、大変そうだからお手伝いをしたいというのも、紛れもない本心だった。
鬱々と悩んでいるうちに、階段の一番下までたどり着いた。ウィリアムは再度大きなため息を吐くと、牢屋へ続く廊下に足を踏み入れた。
***
じめじめとした石の床と壁。頑丈な鉄の格子で蓋をされた小部屋が六つ。
一番手前の牢をのぞき込むと、痩せた男が背を向けて立っていた。
「きっさま……ごほん、貴様、なにをしている」
緊張で声がうわずった。気恥ずかしさを誤魔化すように、咳払いをひとつ。そして、できるだけいかめしく聞こえるように声を張る。
「見てわからないのか? 蝋燭を見ているんだ」
男が囚人らしからぬ、堂々とした様子で言葉を返す。
「ふむ、これは獣脂蝋燭というやつか。なるほど。本当に独特の臭いがするんだな」
男は、壁に設置されている灯り用の蝋燭から溶けた蝋を指で救いとると、擦って臭いを嗅ぎ、感心した様子で呟いた。
「アンタ、蝋燭を知らないのか?」
「私の国の伝統的な蝋燭は、植物の油から作られていてね。もっとも、今は蝋燭を使うこと自体あまりないんだが」
「他国の者か?」
「まぁ、そうだ」
「どこから来たんだ?」
「日本」
「……えーっと、領主の名前か、村の守護神を教えてくれないか?」
「言ってもいいがわからんだろうよ。遠くの、それはもう遠くの国だ」
男がめんどくさそうに言う。イラッとしたが、男が言うように、ニホンがどこら辺にある国かすらわからなかったので、反論の言葉を飲み込む。
(変な奴だ)
ウィリアムは男を観察する。
黒い髪に黒い眼。彫りの浅いのっぺりとした顔。ひょろりとした身体。身長は同じぐらいか。年齢はよくわからない。同年代にも年上にも見える。
好奇心を隠さず眺め回していれば、男の方もウィルの頭の天辺からブーツの先まで、じろじろと値踏みするように見る。物珍しそうな目が、騎士団の象徴である真っ赤なコートの上で止まると、突然フンと鼻で笑った。
「サンタクロースにしてはいささか若すぎるようだが、どんなプレゼントを持って来てくれたんだ?」
「サンタ……? ええっと、食事を持ってきたんだけど……」
「ほう、食事か」
男は途端に嬉しそうな顔をする。
ウィリアムは牢内に食事を運び込む。扉の鍵を開けたとき、逃げだそうとするのではないかと身構えたが、男は食事を置くウィリアムのことをおとなしく眺めるだけだった。つくづく変な男だ。
スープの入った木椀を男の前に置くと、男が不満そうな声を上げた。
「これだけか? 肉や魚はないのか?」
「ない」
あるわけねーよ。あっても
「ひょっとして、ここは貧しい国なのか? それとも、今は断食期間とかか? 祭りと聞いていたんだが、それは断食祭のことだったのか?」
「はいはい。断食の月はとっくに終わってますよ。アンタ嫌味な人だな」
「今のは嫌味じゃなくて、純粋な疑問だったんだが……まぁいい。いただきます」
男はスプーンを手に取ると、両手を顔の前に合わせる不思議な形のお祈りをして、スープに口を付ける。
「豆のスープか。……うん、悪くない。できればもうちょっと塩気が欲しいが。しかし味は良いが、このオレンジ色をしたぼろ布のような菜っ葉はなんだ?」
「キャベツだよ!」
びっくりして大きな声が出た。男はウィリアムの返答がよほど気にくわなかったのか、ブツブツ文句を言っている。
「これがキャベツねぇ。まったく、サンタは訳されないのに、キャベツは訳されるのか。随分と基準が曖昧というか、杜撰というか……」
言っていることの九割方は理解できなかったが、どうもキャベツがお気に召さないらしい。なんとも贅沢な囚人だと呆れていたが、ふと男の手に目がいく。
(随分と綺麗な手をしているな)
傷のない白い手。騎士や傭兵など戦う者の手でもなければ、職人でも農民の手でもない。労働階級じゃないのだろうか?
もう一度頭の先から爪先まで視線を巡らす。
(遍歴学生か? いや、もしかしてどこぞの貴族……それはないか)
貴族なら真っ先に家の名前を出して釈放を訴えているはずだ。それをしないということは、おおかたちょっと裕福な遊び人かなにかだろう。
そんなことを考えていると、男は食べ終わったらしく、あの両手を合わせる不思議な挨拶を再度行い、スプーンを置いた。
「それで、私の釈放はいつになる? 用事があるから早く帰りたいんだが」
男のあまりにものんきな台詞に、しばし言葉を失う。
「……それはちょっと難しいんじゃないかな」
「どうしてだ?」
ウィリアムは少し言い淀んだが、意を決して告げる。
「アンタ、娼婦殺しの罪で、明日の朝処刑されるよ」
男があんぐりと口を開けるのが、視界に入った。
「ショウフゴロシ?」
そう何度か呟いて
「それは……私が人を殺したと言いたいのか?」
絞り出すような声で、男が尋ねる。
「そうだ」
「雪国ジョークとかではなく?」
「雪国の人、そんな悪趣味じゃないと思うぞ」
淡々と返答していると、ついに男がうつむいて黙り込んだ。
「おい――」
大丈夫かと問うより先に、男が顔を上げた。
「ふざけるな!」
カッと目を見開き、男が叫ぶ。
ウィリアムは、唾を飛ばし怒りに震える男を見ながら、困惑とともに、男が初めて見せる常人らしい反応に、少しだけ安堵を感じていた。
「まぁ、落ち着きなよ」
「アンタが逮捕された理由だけどさ。警邏中の団員が質問したら、アンタ旅人だって答えたんだって? でも、あれこれ質問しても、のらりくらりと曖昧な返答しかしない。詰所に確認したら入国記録なし。不審に思わない方がどうかしてる」
「ぐうの音も出ないほど、正論だな!」
男が吐き捨てるように言う。
「私が怪しいのはわかったが、それが殺人犯とイコールとなるのは納得できん!」
「それは……そうかもしれないけど……」
「ところで、君は何者なんだ」
少し怒りが収まったのか、男が不思議そうに問う。
「さっきから他人事のように話しているが、この町の者じゃないのか?」
アンタには関係ない、と言いかけて止める。
「今日……いや、明日からこの町の騎士団に着任する者だ」
そう答えると、男は黙り込んだ。何か考え込んでいるようだ。しばらくして、男が口を開く。
「聞きたいことがある」
「わかった」
ウィリアムは頷く。なぜだかわからないが、この奇妙な男との対話を続けていたかった。
「まず、ここはどこだ?」
「そこからか」
ウィリアムは苦笑しながら、男の問いに答える。
「スノウヴェール。冬の女神ヴェラの守護する城塞都市だよ」
「祭りというのは?」
「アイリルの祭り」
「なんだそれは」
「これも知らないのか……。えっと、一年の締めくくりに行われる年越しのお祭りのことだ。通常三日三晩行われる。今日はその初日のはずだったんだが、猛吹雪のため中止してるらしい」
「娼婦殺しと言ったな」
「ああ。今朝、この町に住む娼婦の死体が発見されたらしい」
「事故や自殺の可能性はないのか?」
「殺されたって聞いてる」
「で、犯人を探している最中の騎士団と、のこのこ取材旅行にやってきた私がかち合ったわけか」
男は天井を見上げ「ううむ」と唸る。
「この後、私はどうなるんだ?」
「殺人者は縛り首だ。広場にある絞首台で首をくくることになっている」
「そうか」
てっきり、また慌てふためくのかと思ったが、男は静かに目を閉じただけだった。
たっぷりの沈黙ののち、男が静かに口を開いた。
「入国記録の話をしていたが、入出国者は厳しくチェックされているのか?」
「ああ。全部記録されている」
「今朝から、この国を発った者は?」
「出国は停止しているそうだ」
「じゃあ、犯人はこの町の中にいるというわけか」
強い決意を宿した黒い瞳が、ウィリアムを射貫く。
「君にひとつ提案がある」
「……なんだ?」
「部外者である、私と君にしかできないことだ」
そして、男はとんでもないことを言い出した。
「真犯人を捕まえる」
今度はこっちが言葉を失う番だった。
二の句が継げないウィリアムに対して、男は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「なにも驚くことは無いだろう。私は犯人で無い。なら、必ず真犯人が他にいる」
「だから捕まえるって言うのか? 無茶だよ!」
「じゃあ、君たち騎士団が真犯人を捕まえてくれるのか?」
「団長に相談すれば……」
言葉が尻すぼみに消えていく。自分で切り出しておきながら、団長が事件の再調査に賛成する可能性は低いという確信があった。男の方も同じ気持ちだったのか、首を横に振った。
「あの連中が、そんなご親切なことをしてくれるとは思わないね。それに、私は君しか信用できない」
そうして、少し焦った口調で男が懇願する。
「なぁ、頼むよ。だいたい、君は本当にこのままでいいのか? 間違った人を絞首台に送り、本当の犯人を野放しにするのは、騎士として恥ずかしいとは思わないのか?」
ウィリアムは言葉に詰まる。男が何気なく言った「騎士として」という言葉が胸に突き刺さる。
子供の頃から、ウィリアムは騎士物語が好きだった。
特に好きだったのが「聖騎士フィリップ物語」 農民の子フィリップ(終盤で明かされるが実はとある公爵の庶子)が、数多の困難を乗り越え、王の騎士に成るまでを描いた一大叙事詩だ。
ときには滑稽な失敗もするが、いつだって賢く勇敢で、どんな窮地も仲間や精霊の助けを借りて乗り越えていく。
何度も何度も読み通した。いつか自分も彼のように、強く優しい真の騎士になる――そう誓って家を出た。
(騎士フィリップなら、こんなときどうするんだろうか?)
ウィリアムは、じっと男の眼を見る。そして、自嘲のため息をこぼす。
迷った時点で選択など決まったと同様だ。ただ少しばかり認めたくなかっただけだ。
「ひとつ確認しときたい」
「なんだ?」
「本当に殺してないんだな?」
「ない」
男は即答した。
「わかった。協力する」
そう答えれば、「当然のことだ」と偉そうな声。しかし、顔は情けないほど安堵の色を浮かべていた。
本当に変な男だ。
でも、悪い奴には見えない。
「まずは、自己紹介といこう」
すっかり元気を取り戻した男が言う。
「私の名前は早蕨柳生だ」
「俺はウィリアム」
「ウィリアム君か」
柳生は唇の端を少しだけ持ち上げて居丈高に言った。
「では、ウィリアム君。短い間だけど、よろしくお願いするよ」
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