第一話 狼男の密室殺人(1)少年、城塞都市に降り立つ

 なんて高い城壁なんだろう。

 ウィリアムは、垂直にどこまでも伸びる灰色の石壁を見上げながら、何度目になるかわからない感想を抱く。

 しばらくぼんやりと眺めていたが、すぐに飽きて視線を水平に戻す。そこには一時間前と変わらない光景が広がっていた。

 しんしんと降り続ける雪の中、城門から伸びる、イライラとした、もしくはうんざりした顔をした人々の行列。入国審査の列だ。

 到着したときは、昼を少し過ぎた頃だった。雪のせいで薄暗いため時刻がわかりづらいが、それでも日暮れがそこまで迫っていることぐらいはわかる。

 夜までに入国したいんだけどなぁ。

 牛の歩みのように、のろのろとしか進まない列を眺めながら、ウィリアムはため息を吐く。真っ白な息を長々と吐き出すと、することもないので、また空を見上げる。

 雪はまだ止みそうにない。



 それからどれぐらい経ったのか。辺りはすっかり暗くなり、前に並んでいる男の帽子の柄もよく見えなくなってきた頃、ようやく門の前までたどり着いた。

「次、身分と目的を」

 城門脇にある小窓から、衛兵に声を掛けられる。

「ウィリアム・フラムバウマン。ターナップ伯ジョージ・フラムバウマンの息子」

 寒さでガチガチと音を鳴らしそうになる歯をなんとか制し、精一杯威厳を込めた声で名乗ると、鞄の中から赤い封蝋のついた羊皮紙を三つ取り出す。

「身分証です。こっちは推薦状と騎士団就任許可書。明日から、ここ銀の弓騎士団に就任する予定です」

 差し出した書類を衛兵が検分する。鋭い眼光が紙の上を滑っていくのを、ウィルはそわそわしながら待っていた。

「門を入ったら、少し待ってろ」

 ウィリアムは返された書類を鞄の中に急いでしまい込むと、扉の向こうへ大きく足を踏み出した。


***


「……綺麗だ」

 ウィリアムは息を飲む。

 目の前に立ち並ぶ家々。真っ赤な煉瓦でできた家もあれば、漆喰と木でできた家もある。大きさや様式は様々なれど、屋根だけはどの家も鋭い三角をしている。建物の大半は、優美な真鍮細工の看板で彩られていた。店屋みせやらしい。町に入ってきた旅人を主な客としているのだろう。店の軒先に吊された灯籠から漏れる光が雪に反射して、通り一帯がキラキラと輝いている。

 ぼうっと心奪われていると、背後から声がかけられた。

「やあ、待たせたね」

 振り返ると、清爽せいそうな雰囲気を纏った壮年の男が立っていた。

「はじめまして。僕はケネス・ブレイクだ。銀の弓騎士団の団長をしている」

 ウィリアムは慌てて、背筋を伸ばし左手を胸に当て敬礼の姿をとる。

「ウィリアム・フラムバウマンです。ウィルと呼んで下さい! 明日から従騎士としてお世話になります!」

「そんなにかしこまらなくていいよ」

 ケネスは、快活に笑うとウィリアムに手を差し出した。

「これからよろしく」

 ウィリアムは差し出された手を握りながら、団長と名乗った男を観察する。

 二十代後半、もしくは三十を少し過ぎたくらいか。少なくとも自分より、十は年上だろう。身長は自分より頭一つ分大きいぐらいだから、一八〇センチぐらいか。中肉中背。シルバーブロンドの髪に水色の眼。太い眉が精悍な印象を与える。銀の弓騎士団の象徴である、襟に真っ白な魔狼の毛皮がついた真紅のコートと、革鎧レザーアーマーを着ている。鎧は煮詰めた砂糖よりも濃い茶色をしている。随分と年季の入った物だ。団長なのに、金属鎧プレートアーマーを持っていないのだろうか?

 怪訝な視線に気づいたのか、ケネスは微笑むと「素敵な鎧だろう?」と お茶目な口調で言った。

「まだ私が従騎士だった頃から愛用しているから、かれこれ二十年になるね」

「とても素敵です」

 そう答えてから、できるだけ失礼にならないように、やんわりと尋ねた。

「プレートアーマーにしようとは、思わなかったのですか?」

「金属だと凍傷になるからね。そうか君は……雪とあまり馴染みのない場所から来たみたいだな」

 にやりと笑ってコートを指差される。

 持って来た荷物の中で、一番分厚いコートを引っ張りだして着込んでいるのだが、ケネスの着ているものと比べると半分の厚みも無い。先ほどから寒くて仕方が無いのを、ずっとやせ我慢していた。

「雪を見るのは初めてではないのですが、ここまで積もっているのは見たことありません。生まれ故郷では、雪はめったに積もりませんでした」

「めったにか。それじゃあ、慣れるまでは大変だ」

 ケネスが、ひゅうっとからかうように口笛を吹く。

「とりあえず予備のコートを貸してあげるよ。寒いだろう? 付いておいで」

 ウィリアムはケネスの後ろに付いて、城壁の中へと続く扉をくぐった。



 二人並んで歩くにはやや窮屈な廊下を進む。しばらくして小部屋に辿りついた。

「ここが南の詰所だ」

 狭苦しい部屋だった。そこそこの広さがあるようだが、仮眠用と思わしきハンモックが所狭しと吊されているせいで、全く広さを感じない上、床の隙間を埋めるように、当直者の物らしき荷袋が置かれてる。部屋の中央には、赤々と燃える丸い鉄ストーブが置かれており、大きなポットがかけられていた。

 ケネスは慣れた足取りで荷物を避け壁際まで行くと、掛けてあったコートをひとつ手に取り、ウィルに投げ渡した。

「コートは共有だから、ここに掛けてあるのを自由に使っていいよ」

「団長のコートは……」

「僕のは自前だよ。偉くなると、自分のコートを持てるようになるから、君もがんばるといい」

 ケネスはお茶目な口調でそう言うと、ふと思いついたように言う。

「そうそう、ボタン一つで、新人の月給なんて簡単に吹っ飛んでしまうから、盗難や破損には気をつけるんだよ」

「えっ!」

 驚きと緊張のあまり、袖に腕を突っ込んだ姿勢のまま固まってしまうと、ケネスが吹き出す声がした。

「嘘だよ。嘘」

 ケネスは、カラカラと笑って言う。

「でも貴重な物だから気をつけてくれ。特注品でね、ボタン一つとっても、おいそれと新調できる物じゃないから。ま、さすがに月給まではしないないけどさ」

 ウィリアムは恐る恐る袖口のボタンを見る。木で出来たボタンは、精巧な彫りで紋章が刻まれており、確かに特別に誂えた物だと一目でわかる。

「適当に座ってくれ。今、温かいお茶を用意するからさ」

 ケネスが、窓際に置かれた簡素な木のテーブルを指差す。ウィリアムは一番手前の椅子に腰を下ろした。

「さて、簡単にだけど僕たちの仕事の説明でもしようか」

 ケネスはウィリアムの向かいに座ると、お茶をテーブルの上に置いた。ウィリアムは、砂糖と山羊乳とバターがたっぷり入った熱いお茶を啜りながら、ケネスの言葉に耳を傾ける。

「僕らの一番重要な任務は、ここ城壁の警護になる。この街がどう呼ばれているかは、知っているよね?」

 ウィリアムは頷く。

 城塞都市スノウヴェール。

 オーリンカ王国の最北部の都市。別名、王国の北の壁。北部山脈のひとつであるベルツ山の麓に作られた街で、町は巨大な城壁で覆われている。その理由のひとつは、山に住む魔獣の侵入を防ぐため。もうひとつは、山の向こうにある他国からの侵攻に備えるためだ。

「城壁は、町をぐるりと取り囲む形で築かれている。城門は一カ所。門の他には、四つ見張り塔が立っていて、昼夜問わず見張り番が詰めているんだ」

 明日から早速、君にも見張当番に入ってもらうよ、とケネスは言う。

「君の住むところだけど、当面は兵舎になる。最初の年は兵舎住まいというのが規則なんだ。むさ苦しいところだが、ま、これも修行のひとつだとでも思ってくれ。じゃあこれから兵舎まで案内するよ……と言いたいところだけど、今は人が出払っていてね」

 ケネスが困り顔で頭を掻く。

「僕もまだ仕事があって抜けられないし、すまないがここで待っていてくれ」

「承知いたしました」

「悪いね。本当は、こんなはずじゃなかったんだ」

 ケネスがぼやく。

「昨日から急に猛吹雪になってね。せっかくのお祭りも中止だ。初日だというのに残念だよ。皆混乱してるのか、騒ぎを起こす者が絶えなくて、あっちもこっちも大混乱だ。僕達もぴりぴりしながらパトロールに駆り出されてるよ。とにかく人手が足りなくてね。入国審査もろくにできやしない。随分時間がかかっただろ?」

「ええ、まぁ、はい」

「出国は停止にしているんだが、入国はそうはいかない。雪に紛れて、食い詰めた魔狼が山から降りてくるから、なるべく早く壁の中に入れてあげなくてはね」

 狼の腹の中に収まる前にと笑うケネスに、ウィリアムは生真面目に相槌を打った。

「よくわかります」

「そういうわけで、僕は仕事に戻るが、君はここで自由にくつろいでいてくれ」

「あの、ケネス団長」

 立ち去ろうとするケネスを呼び止め、少し考えてから切り出す。

「僕にも何かお手伝いできることはありませんか?」

 ケネスは面食らった様子だったが、「そうか、じゃあお願いするか」と陽気に笑って、ガラス窓の外を指差す。下を見ると、同じ赤いコートを着た屈強な男達が、せっせと雪かきをしているのが目に入った。

「雪が小降りの内に雪かきをしててね。手伝ってくれないかい」

「任せてください!」

 ウィリアムは元気いっぱいに返事をすると、

 風を切る音に混じって、ケネスの焦った声が耳に届く。ウィリアムはぐっと腹に力をこめ気合いを入れると、詠唱を始める。

「春の娘は歌う。ハシバミ。楢の切り株。薊の野原。この身に宿る風の欠片よ、解け、集まれ。この足は兎。高く跳ねる」

 魔法で脚力を強化すると、壁を跳ねるようにして降りていく。難なく着地し周囲を見回せば、雪かきをしていた団員達が、驚きに眼をまん丸にしているのが見えるた。

(本当に驚くのは、ここからだぜ!)

 ウィリアムは自信満々に笑うと、呪文を唱える。

「鬼火に告ぐ――燃えろ」

 ウィリアムを中心とした直径四、五メートルほどの円状に青白い炎が生成され、すぐに消える。その跡地に雪はなく、敷石が姿を現した。

 辺りが静まりかえった。

(あれ?)

 ウィリアムは首をひねる。

(おかしいな……。なかなかやるな新人、ぐらいの賛辞は飛んでくるかと思っていたんだけど……)

 歓声どころか、誰も口を開かない。耳が痛いほどの沈黙の中、冷ややかな視線でウィリアムを見つめるばかりだ。敵意すら感じる視線を受け、背筋に嫌な汗が伝う。

 そんなひりつく空気を切り裂き、野太い男の怒鳴り声が響いた。

「てめぇなにしやがる!」

 ひとりの男が、遠巻きに見つめる団員達を押しのけ、ウィリアムの元へと大股で駆け寄って来た。

「中域火炎魔法で雪を溶かしました! 詠唱短縮は得意なんです!」

「そういう事を聞いてんじゃねぇ!」

 男はウィリアムを怒鳴りつける。

 茶髪を短く刈り上げた筋骨隆々の男だ。岩のように厳つい顔を真っ赤にして怒っている。背が低く、ウィリアムの胸元ほどしかない。昔、子守女中ナーサリーメイドが語ってくれた、おとぎ話に出てくる小鬼ドワーフのようだと思った。

「あの、俺、なんかやっちゃいました……?」

 現実逃避する意識を引き戻し、恐る恐る口を開けば、背後から焦った声がした。

「待った! 待った!」

 ケネス団長がウィリアムと、怒り狂う男の間に割り込んだ。

「ファーガス、悪い! 僕の説明不足だ。この子、新人なんだ!」

 そして、ウィリアムの方に顔を向けると、引きつった笑顔で言う。

「ウィル君、雪かきはもういいから、食事を持って行ってくれるかな?」

 言葉こそ疑問系だったが、実質命令だった。

「……はい。どなたにでしょうか?」

「昨夜の事件の犯人を地下牢に捕らえているから、そこに持って行ってくれ」

「昨夜の事件?」

 ケネスは少し迷った様子を見せたが、ウィリアムに耳打ちをする。

「昨晩事件があって――」

 ケネスは簡潔に事件の話をウィリアムに伝えると、「そういうわけだ。行ってくれるかな?」と、ウィリアムの退出を促す。

「承知いたしました」

 ウィリアムは、気をつけの姿勢で返事をする。そして、団員達にウィリアムのことを説明するケネスを残して、ひとり扉へ向かう。

 背中に刺々しい視線が突き刺さるのを感じながら、ウィリアムは城壁の中へと続く扉をくぐった。


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