プロローグ(2)クリスマスイヴの来客

 事の始まりは一時間前。

 十二月二十四日、火曜日。午後五時五十九分。

 そのとき柳生は、有休を取って家でくつろいでいた。炬燵に入ってミカンを食べながら、だらだらとテレビを見ていると、画面右下に出ている時刻表示が六時を示すのと同時に、その日何度目になるかわからないグルメ番組から、夕方のニュースに切り替わった。

「それではさきほど入ったニュースです。本日午後五時頃、神代植物公園の薔薇が一斉に開花しました」

 真冬には似つかわしくない、色とりどりに咲き乱れる薔薇の映像に「原因不明」のテロップが被さる。女性アナウンサーが、「これも地球温暖化の影響でしょうか」と深刻な顔でコメントをした直後、「次のニュースは、丸の内のクリスマスイルミネーションの話題です」と話し始めたので失笑してしまった。臨時ニュース故に、皮肉な並びになってしまったのだろう。いかにも環境に悪そうな、電飾で飾られた木々の映像に画面が変わるのと同時に、柳生はテレビの電源を切った。ついでに立ち上がり、大きく伸びをする。ずっと座っていたから腰が痛い。二ヶ月前には三十の大台に突入した。そろそろ今後のことを考え、なにか運動を始めるべきかもしれない、そんなとりとめのないことを考えてたときのことだった。

 トイレの流れる音がした。

 ザァという水音。続いて扉の開く音、廊下を歩くひたひたという音がして、リビングへの扉が開かれる。

 その日柳生は、自分しかいないはずの部屋から見知らぬ女性が現れると――例えそれがどんな美女であっても――とてもとても怖いものだと、身をもって知ったのだった。


***


 女がゆっくりと部屋に入ってくる。

 見たことの無い女だった。美しく、とても奇妙な女だった。鮮やかな黄金色の長い髪を持ち、いささか露出の激しい、毒を持った魚のような配色をしたアヴァンギャルドな服を着ていて、それがまた長身でスタイルが良いものだから妙な迫力があった。

「ん~、よかったぁ。転移成功ですねぇ~」

 女が舌っ足らずな声で、明るく言い放った。

「き、きみ!」

 震えた声で呼びかけると、女は柳生の方に顔を向けた。藍色をした大きな切れ長の眼がじっと柳生を見つめる。そして、女は満面の笑みを浮かべて叫んだ。

!」

「せ、せんせいだと? 誰だ君は!」

「見ての通りです」

「見てわからないから聞いているんだ」

「先生のファン以外の誰が、こんな豚小屋を訪れると思ってるんですかぁ?」

「口が悪いな、君。これでも東京じゃ一般的な1Kアパートなんだが……待て。ファンだと?」

「はい! 投稿サイト『カクヨム』で小説をお書きになられている早蕨柳生さわらびりゅうせい先生ですよね?」

「あ、ああ」

 頷けば、きゃあっと甲高い歓声があがった。

「あっあっ、あの、わ、わっ、私、先生の、ふぁん、ひひっ、ふひひ、大ファンでございまして、ひひ、ふへへぇ……」

 にやけるのを抑えようとして逆に不自然になった笑顔を浮かべて、女が言う。ひとり盛り上がる女を置いて、柳生の脳裏にはストーカーの四文字が浮かんでいた。

「……それはどうも。それで、なんのごようかな?」

 柳生は、女を刺激しないように、慎重に言葉を発する。

「あっ、あ、あのぅ、へへっ、あのですね、お願いがありましてぇ」

「お願い? サインでも欲しいのかね?」

「それも欲しいですが、それよりもっとほしいものがあるんです!」

 ギラリと女の目が光る。女は、両手を腰に当て仁王立ちとなり、おおよそ人に物を頼むとは思えない居丈高な態度で、言い放った。

 「『天才魔法士の迷宮ダンジョン攻略録~追放されたら殺人事件に巻き込まれた~』の続きを書いてください!」


***


「申し遅れました。私はラヴィーシャ・ニックニァヴ。女神をやっております」

 不審者はぐっと胸を張って名乗った。

「……めがみ?」

 反応に困り、おうむ返しに繰り返せば、ラヴィーシャと名乗った女は満足げに笑った。

「はい! 別の世界……先生の作品の言葉を借りると、異世界というところで女神をしております!」

「あ、うん。異世界で女神をねぇ……異世界?」

「海の女神、青海せいかいの女主人などと呼ばれていますが、どうぞお好きに呼んで下さい」

「そ、そうか。じゃあ、ラヴィーシャくん」

 そう呼ぶと、ラヴィーシャは目を丸くした。

「呼び捨てですかぁ……。ま、いいか。構いません。不敬ですが許しましょう。リーシャは寛大ですから」

「は、はぁ……」

 ふと、姉が以前「自分のことを愛称で呼ぶ女は地雷」と言っていたの思い出す。偏見が過ぎると笑って悪かったよ、姉貴。

「それで本題ですが、現在更新が無期限停止している『天才魔法士の迷宮攻略録~追放されたら殺人事件に巻き込まれた~』の続きを書いてください」

「は、はぁ……」

「初めて作品を拝見したのは、今から半年前のことでした」

 呆気に取られる柳生を置いて、ラヴィーシャが早口で語り始める。

「あの日は特に忙しい時期でした。そう、台風シーズンで特に忙しい中、部下――といっても末端も末端なんでけどぉ――部下である波の乙女のひとりが、とある王国のボンクラに恋をして、全ての仕事を放棄ブッチし、私の宝物庫から治癒の林檎を勝手に、勝手に、勝手に! 彼に贈ったのです。当然無許可。奇跡降臨申請届すらなし。『叶わない恋だとしてもせめて彼に贈り物をしたかった』じゃねーよ! 勝手に恋して、勝手に貢いで、自分に酔ってんじゃねーよ! あまったれてんじゃねぇ! 人界不介入だっつって、千年前に決まっただろーがよおおお! 慌てて対処に乗り出したのですが、時はすでに遅く……。その尻ぬぐいに! すべての尻ぬぐいに、私が奔走する羽目になって! 連日の徹夜。終わりの見えないデスマーチ。もうっ、なにもかも面倒くさくなって、海流の二つ三つ減らしちゃおうかなあーってやさぐれて、せめてもの気分転換にこちらの世界を盗み見していたとき、見つけたのです!」

 怨嗟に満ちた自分語りを終え、ラヴィーシャはうっとりとした声で言う。

「『天才魔法士の迷宮攻略録~追放されたら殺人事件に巻き込まれた~』は、まさに衝撃的でした。ある日理不尽な理由で冒険者パーティを追放される主人公の男の子。ああ、よくある追放物ねハイハイ……と思ったら、突然元パーティメンバーが謎の死をとげる。彼らはなぜ殺されたのか、どうして主人公は追放されたのか。失意と困惑の中、臨時のアルバイトとして、別のパーティーで迷宮に潜ることになった主人公。集まった十人で探索していると、罠に引っかかり、一行は危険な下層階に閉じ込められてしまう。脱出のためがんばる一行……が、しかし! そこで発生する殺人事件! 尽きていく食糧! 当然起こる仲間割れ! 次々に殺されていくメンバー! 徐々に明らかになるメンバーたちの見えない共通点ミッシングリング! 犯人は誰? 目的は? ていうか、これって迷宮という密室を舞台にしたまさかのサバイバルミステリじゃん!」

「お、おう……」

 柳生はぎくしゃくと相槌を打つ。目の前で自作の説明をされるのは、こんなにも恥ずかしいものとは思わなかった。

「まさに、してやられましたですよ! そこからまさにジェットコースター! 次から次へと謎が追いかけてくる神展開! 気がつけば夢中になって読み耽っていました。第一章の迷宮密室殺人事件編が終わって、ようやく追放の真実編が始まる……ってところで無期限休載の文字! ふざけんなっ!」

「あ、うん。ごめんね」

「そういうわけで、いつ連載が再開されるか尋ねにきました」

 ラヴィーシャは長い長い演説を終えると、きらきらと輝く目を柳生に向けた。

「あー、ラヴィーシャくん。拙作を楽しんでくれているのは嬉しいが……」

 困ったなぁ。しかし、言わなければならない。

「続きは無いんだ」

 ぽかん、とラヴィーシャが口を開けた。

「そもそも無期限休載というのは、多くの場合、自主的な打ち切りの婉曲的な言い方であって……」

 もそもそとした口調で柳生は言う。

「想像力が枯渇してしまってね。そこから先がまったく思いつかないんだ。そもそも趣味でやっていたものだし、最近は色々忙しいし。それに……なかなか閲覧数も増えないし。ちょっと大衆受けを狙うには、内容が難しすぎたみたいでね。全体的に暗い話だし、事件までの前振りも長すぎたし……やっぱり、頭空っぽにしてさっと読める単純な娯楽小説じゃないと、昨今の読者には不評みたいでね」

「そうなんですかぁ?  続き待っている間にみんなに布教したから、神界だと大人気ですよぉ」

「そっちで有名になってもな。出版されるわけでもないし」

「写本ですけど、神々の書庫に納められてますよぉ」

「知らない間に海賊版が作られとる」

 とにかく、と柳生は強い口調で言う。

「続きはない」

 ラヴィーシャは、しばらく意味がわからないという顔をしていたが、やがて悲鳴のような声で叫んだ。

「やだやだやだぁ~~~! 読みたい読みたい読みたい!」

 床に転がりながら女神が叫ぶ。

「続き読みたい! 出勤・お昼休み・寝る前の毎日三回読んでるけど、そろそろ飽きた! 飽きてないけど飽きた! 続きが読みたい! 叶うなら毎分毎秒新作読みたい! それなのに打ち切り? は? こっちはいつ続きが出るんだろうって毎日毎日、神に祈ってたんですよ! 神が! どーしてそんなひどいことが言えるんですか! 鬼!」

「ステイステイステイ。ちょっと黙ろう。ここ、賃貸」

「だいたい元はと言えば先生が悪いんじゃないですか! あんなおもしろい作品を書くから! 天才か? 好き! 書いてくれてありがとう! 続き書いて! こっちは先生の作品を心の支えにして、年中無休のハードな仕事を日々がんばってんですよぉぉ! それがなくなったら、どうやって明日からがんばればいいんですか!」

「知らん知らん知らん。自分の感情は自分で処理しろ。他人に委託するな」

 ラヴィーシャは、憮然とした顔をして床から身を起こす。

「ほんとーに、続きを書く気は、これっぽっちも、一ミリも、ないんですか?」

「ない」

 ラヴィーシャは、何度か物言いたげに口を開け閉めさせていたが、やがてしょんぼりと肩を落とした。

「そうですか……。残念ですが、仕方ありませんね……。お会いできただけで光栄です。今日はご挨拶と贈り物だけお渡しして、理性が残っている内に失礼させていただきますねぇ」

「もう来ないでくれたまえ。手土産も持って帰って……手ぶらに見えるんだが?」

「あら、忘れていましたぁ」

 ラヴィーシャはひらひらした袖から小さな石盤を取り出すと、指をすいすいと動かし、盤面を柳生に向ける。石面にgoogleの文字が写っている。どういう仕組みかわからないが、ネットに繋がっているらしい。ラヴィーシャは、慣れた指さばきで検索エンジンを操ると、ひとつのネットニュースを表示させた。先ほどテレビのニュースでも見た、植物園での薔薇の狂い咲きの記事だった。

です」

 ラヴィーシャが事もなげに言った。

「とりあえず一番近くで、一番大きな植物園の~」

 黄金の兜とか常若とこわかの神水とか色々準備したんですけどぉ、どれも検疫ではねられちゃったんでぇ、仕方なくぅ――ごちゃごちゃとした言い訳が、右から左に抜けていく。

「君が……やったのか」

「はい!」

「戻せないのか?」

「どうしてですか? あ、薔薇お嫌いでした? じゃあ、別の花を用意しますねぇ。ちょ~っと待ってくださぁい」

「やめなさい。花の開花時期をめちゃくちゃにするのはやめなさい。植物園の人に迷惑でしょ」

「そうですよねぇ。花畑の一つや二つじゃ足りませんよねぇ」

「うーん、話が通じない!」

「それでは今日は出直しますね~。先生が創作意欲を取り戻してくれるような、素敵な贈り物をまた考えておくんで~」

「待ちなさい」

 ふんすっと鼻息荒くトイレに向かうラヴィーシャの腕を、柳生が掴む。

「どうかしましたかぁ?」

 ラヴィーシャは、きょとんとした顔をして首を傾げた。

「贈り物はいらない」

「でもぉ……」

 くそっ、不服そうな声を上げるな、納得してくれ。

 柳生は必死で考える。今ここでコイツを帰してはいけない。コイツは園芸家と花卉農家、いや彼らだけじゃない、この世のすべての農家の敵だ。どれだけ農家が気を遣って、作物の収穫時期を調整をしていると思ってんだ。長野でキャベツ農家をしている両親の顔が、目蓋の裏をよぎる。なんとしても諦めさせなければ。どうしよう。とりあえず興味を持ちそうな話題を出して、場を繋ごう。

「代わりに……土産の代わりに……話を聞いてくれ。そうだな……小説の続きについての話なんてどうだ?」

 苦し紛れにそう切り出せば、ラヴィーシャは花が咲くように笑った。

「もちろんです! なんでも聞いて差し上げますよぉ。リーシャは慈悲深き女神ですからね!」

「小説の続きだが……」

「はいっ!」

「ヒロインを登場させようと思っている」

 屈辱だ。

 作家が読者にストーリーについて相談するなど、あってはならないことだ。大衆の求むものを呈せ、されど媚びるな。作者は読者の奴隷にあらず。創作者の鉄の掟だ。それがなんたるざまだ! なんたる恥辱! くそっ、日本の農家の命運がかかっていなければ、こんな女など無視をするのに。

「さすがに主人公ひとりだけでずっと話を回していくのは、無理があってね。ミステリが本題だが、主人公の成長譚も兼ねているわけだし、そろそろ他の人物を登場させようと考えていたんだ」

 嘘では無い。もともと一巻分ぐらいのプロットは考えてあった。やる気を失って書くのが面倒になっただけで。

「まぁ、増やす人物は師でもライバルでもいいが、まずはヒロインの女の子かなと思っていてね。異世界ファンタジーの読者層は、可愛いヒロインと恋愛要素が大好きだからね」

「それはいいアイデアだと思いますぅ。何が問題なんですか?」

「肝心のヒロインの造形が思いつかないんだ」

「それは悩みますねぇ~。そうだ! リーシャをモデルにするとかどうですか?」

「はたして、どういった子がヒロインにふさわしいのだろうか」

 柳生は無視をした。

「いわれなき罪で追放された、不運な若き天才魔法少年剣士が恋に落ちるのは、心をとろかすような癒やしを与える聖母のごとき娘か、庇護欲そそるか弱い淑女か、勝気で素直になれない少女か、奇矯でミステリアスな乙女か、奔放な淫婦かそれとも……。いや、そんな記号的な分類より大事なのは、信念だ。一本筋の通った、魅力的な行動原理が欲しい」

 柳生は、ラヴィーシャに説明しているのを忘れて、ぶつぶつと呟く。

「凡百の小説家なら、自分好みの可愛い女の子を、ただ出せば良いと考えるだろう。はっ、愚かにも程がある。いいか。この娯楽の戦国時代、可愛いだけの女の子なんて巷にあふれかえっている。しっかりとしたキャラ付けが無くては、読者の印象に残らん。しかし、インパクトだけの子は最初は目を引くが、すぐに飽きられる。人としての中身が書けていなければ、昨今の目の肥えた読者はすぐに見限ってしまうだろう」

 柳生はそこまで呟くと、深い深いため息を吐いた。

「そもそも、魔法を使える人間の思考回路なんてわからん。天才少年というだけで、想像の範囲外なのに、そこに魔法まで加わるとなるとお手上げだ。全く共感も想像もできんし、書けん」

「そう言えば、この世界って魔法が存在しないんでしたっけ~?」

「一般的な定義における魔法なら、存在しないな」

「へぇ~、不便ですねぇ、可哀想ぉ。まぁ、魔法があってもなくても、人間なんてたいして変わらないかぁ。私の世界、魔法を使える人間と使えない人間が混在してますけどぉ、意志疎通できてますし~」

「本当に意思疎通できてるんだか」

 柳生は、目の前の女神を見つめながら言う。

「できてますよぉ」

 ラヴィーシャは、自信たっぷりに言い切る。

「先生は魔法を大仰に考え過ぎです。人間の魔法なんて大したことはできませんよ。 時間を戻すことも瞬間移動も時空転送も死者蘇生も異世界移動もできませんし、火の中や水の中で暮らすこともできません。私たちや精霊の力を借りて、ちょーっと火や水を操ったり、身体を強化したりするぐらいですよぉ~」

「十分だよ」

 柳生は、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「魔法ひとつで時速六十キロ走れる者たちが自動車を作ろうと考えるか? 自在に炎を操る者たちがライターを作ろうと考えるか? 魔法使いと非魔法使いは、根本的に違う生き物だ。思考回路など推察できんよ」

「それはいささか極論だと思いますよぉ」

 ラヴィーシャが、静かに反論する。

「魔術師――下界の人間たちは魔術師と名乗っているので、魔術師と言いますね。私たちの世界における魔術師は、精霊の力を感じることのできる人間のことを言います。先生の世界で言う、シャーマンという概念に近いですね」

「シャーマンと魔法使いは違うジャンルだろ」

「概念が近いってだけですよぉ。それでですねぇ、魔術師たちは長い試行錯誤の末、言葉の力や道具でもって精霊の力を利用する方法を編み出したわけです。それが、こっちの魔術の概念です。つまりですねぇ。魔術師は、の力を持ったただの人間です。能力の有無によって、人間と非人間とに分けるのは暴論です。目の見えない人と見える人を、人間・非人間で分けるようなものです。でも――」 

 そこまで言うと、ラヴィーシャは人差し指を唇に当てて、考え込む。

「でも、そうですねぇ~。先生の言うこともわかります。今まで見たことも聞いたことも接したこともないタイプの人間を理解して書け、と言われても困りますものねぇ。むむむ」

 ラヴィーシャは軽く唸り、なにかを考えるように目を瞑る。しばらくして目を開けると、「わっかりましたぁ」 と明るく言った。

「先生が書けない理由が、よーくわかりましたぁ!」 柳生は胸を撫で下ろした。

「はい! 先生、私は感動しましたぁ~。先生は、わからないから想像できないとおっしゃいました。自分が今持っている知識だけで世界を組み立てることを良しとしない先生は、とても謙虚で向上心溢れる方です」

「うんうん。わかってくれたのなら嬉しいよ。さあ帰れ」

「ええ! わかりました。わかりましたとも! 先生に必要な贈り物が!」

 ラヴィーシャは微笑む。丸の内のクリスマスイルミネーションもかくやという、眩しい笑顔だった。 


!」


 絶句する柳生に向かって、ラヴィーシャは高らかに宣告する。

「わからない、知らないのなら、取材すればいいんですよ!」

「は?」

「さっき言ったように、私の世界には魔法があります。魔術師がいます。つまりですね、!」

「はい?」

「そうと決まれば、さっさと出発しましょう! まず服変えますね~」

 ラヴィーシャがぱちんと指を鳴らすのと同時に、着ていたトレーナーとジーンズは厚手の布の服に、二重履きしていた靴下は薄手の布靴下と革靴に変わった。

「きゃあ!」

「こちらお財布でぇ~す」

 くたびれた革袋を手渡される。

「金額を言って手を突っ込めば出てきます。民家三軒分ぐらいのお金ならぁ、余裕で出てくるんで、心配しないでくださいねぇ~」

「なにそれ怖い」

「こっちは帰宅用のアイテムでぇす」

 困惑する柳生を無視して、ラヴィーシャはひとり話を進める。

「この鍵を適当な鍵穴に突っ込んで回せば、先生の小屋と繋がりますから」

「だからうちの家を小屋呼ばわりするのはやめたまえ。いや、それよりもだな――」

「物理法則、重力、酸素濃度……ええっと、とにかく生命維持に必要なあれこれは同じなんで安心してくださぁい。月は二つありますけどぉ」

「それはおかしい。月の数が違えば、重力や引力にも違いがあってしかるべきで――」

「暦もだいたい同じです。大の月は三十日で小の月は二十九日。一年は十二ヶ月です。季節も、国によって、熱帯だったり寒冷だったりはしますけど、基本的に春夏秋冬がありますね」

「話を聞いてくれ!」

「水や食べ物も、食べて大丈夫です。薬の類も大丈夫だと思いますけどぉ、魔法薬は避けた方が良いですね。ええっと、これで説明することは全部かな? なにか質問あります?」

「勝手に話を進めるな!」

「ないみたいですねぇ。じゃあ翻訳魔法かけますね~。時間は、分と時で表記統一しますね~。あ、言い忘れてました。一日は二十四時間です。単位はヤード……じゃなくて、日本はメートル法の方が一般的でしたっけ?」

「待て」

「よーし、準備完了。どこがいいかなぁ~。そうだ、スノウヴェールにしますね。先生が滞在するとわかったら、ヴェラちゃんも少しは機嫌もなおるでしょうし~」

「待て、考え直せ。やめてくれ。やめて。これからお取り寄せしたクリスマスケーキを食べて、姪っことオンライン通話をする予定があるんだ!」

「はいはい。リーシャが全部代わりにやっときますから」

「真顔でなんて邪悪なことを言うんだ君は」

「スノウヴェール、スノウヴェールの座標っと……あらぁ、これは毛皮のコートが入りますねぇ。追加、追加っと」

 ラヴィーシャが人差し指を空中でくるくる回すと、毛皮の襟が付いた毛織物のコートが、柳生の肩の上に出現する。それを脱ぎ捨てるよりも早く、ラヴィーシャが弾んだ声で言う。

「これでよーしっ! 空間転結陣の準備もオッケーでーす」

 ぱちん、とまた指が鳴らされた。

 空気が煌めく。否、空気だけじゃない、床が光り始めた。光は徐々に強くなる。やがて視界が真っ白に塗りつぶされ、なにも見えなくなった。

「いってらっしゃ~い」

 足の裏から床の感覚が消えた。

 一瞬の浮遊感と落下する感覚。ふっと遠くなる意識の中で最後に考えていたのは、どこからでも行き来できるなら、なんでトイレから来たんだろうコイツ、という至極どうでもいいことだった。

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