第21話 推しヒロインの仕返し

「んじゃ、茜。俺はこれで」


「ええ。来てくれて……その、ありがと」


 茜の家の玄関。

 今まさに帰るところの奏斗を、茜が見送ろうとしていた。


「明日から学校来られそうか?」


「大丈夫よ。詩葉ちゃんにも謝りたいし」


「そうか」


 先程まで泣いていたせいで、茜の目元は赤く腫れていた。

 しかし、今はもう茜の精神は落ち着いている。


(もう大丈夫そうだな)


 奏斗はこれまで通りに戻った茜の姿を見て、安心したように微笑んだ。


「な、何よ……?」


「あぁ、いや。ただ、これで一件落着だと思ってな」


「わ、悪かったわね! 迷惑かけて!」


 ふんっ、と腕を組んでそっぽを向く茜。

 奏斗はそんな茜に肩を竦めて言った。


「ばーか。友達なんだからもっと頼れよな。迷惑だなんて思わずにさ」


「……っ!?」


 奏斗の言葉を受けて茜の顔がカァと赤く染まっていく。


「お、おい、茜?」


「いいからさっさと帰りなさい馬鹿っ! ほら早くっ!!」


「えっ、ちょ――お、押すなよ! おい!?」


 バタン!


 奏斗はわけがわからないまま、茜に背中を押されて玄関から追い出されてしまった。


(な、何か気に障ること言ったかな……?)


 奏斗は困ったように後ろ頭を掻いてから、茜が住まうマンションをあとにした。



 と、その頃茜は閉まった玄関扉に手をついた状態のまま佇んでいた。


「はぁ、はぁ、はぁ……まったく……!」


 顔が熱い。

 胸が苦しい。

 鼓動が早い。


 頭の中が奏斗のことで一杯になってしまっている。


「何なのよ、もうっ……!」


 身体の芯から熱くするようなこの感情は、今まで経験したことのないもの。


 しかし、本能的にその感情の正体はハッキリとわかった。


(そんなに優しくされたらっ、しょうがないじゃない……!)


 紫炎色の瞳には、じんわりと初心な熱が宿っていた――――



◇◆◇



「ふぅ、思ったより遅くなったな……」


 二十一時過ぎ。

 奏斗はようやく帰宅した。


 玄関の鍵を閉め、靴を脱ぎ、リビングを経由して自室へと向かう。


 ガチャ、と自室の扉を開けて中に入ると、真っ先に荷物を置いた。


「暗いな……電気電気……」


 奏斗は部屋の扉付近にある照明のスイッチを押す。


 すると――――


「……お帰り。遅かったね、カナ君」


「うおわぁぁあああああ!?」


 パッ、と明かりが点いた瞬間、鮮明になった視界の中に詩葉の姿があった。


 奏斗のベッドに無気力に腰掛けている。


「う、詩葉っ!? おまっ、明かりも点けずに黙って座られてるとめっちゃ怖いんですけど!?」


 はぁ、と奏斗はため息を吐いて、驚きと恐怖で加速した鼓動の音を聞きながらその場にへたり込んだ。


「ってか、どうやって俺の家に入ったんだよ。ちゃんと戸締りはしてたはずだが」


「コレ」


 チャリッ……、と詩葉がポケットから銀色の鍵を取り出した。


「ここの合鍵」


「……え? 何で詩葉がそんなの持ってんの?」


 俺知らなかったんだけど、と奏斗が微かな寒気を感じながら詩葉に尋ねると、詩葉はムッと不満げな表情を浮かべて言った。


「そんなことはどうでもいいでしょ? それよりカナ君、ここに」


「いや、どうでもよくはないんだけど……」


 詩葉が自分の座っている隣をポンポンと叩くので、奏斗は仕方なくそこへ移動する。


 そっと腰を下ろすと、早速詩葉が話を切り出してきた。


「で、こんな夜遅くまでどこに行ってたのかな?」


「え、えぇっと……」


「……茜ちゃんとこでしょ」


「な、何でバレた……」


「そういうのすぐわかるから。しっかり匂いついてるし……前よりしっかり」


 詩葉の言葉に、奏斗は入学初日にも似たようなことがあったなと思い出す。


 空き教室で転びそうになった茜を少し抱き抱えただけでも、詩葉は奏斗についた匂いを嗅ぎ取ったのだ。


 今回は茜の家に入ったし、泣いた茜にしばらく胸を貸していた。


(そりゃ、匂いくらいつくよなぁ……)


 苦笑いを浮かべる奏斗に、詩葉はぷくぅと頬を膨らませて不満をぶつけた。


「んもぅ! こんな時間まで茜ちゃんの家で茜ちゃんと何してたの!?」


「な、何もしてないって! ただ……」


「ただ?」


「……やっぱり茜は、あの夜のことを気にしてたからさ。そんな必要はないって言いに行っただけだよ」


「それにしては随分と時間が掛かってたみたいだけど?」


 じぃ~、と疑いの視線を向けてくる詩葉に、奏斗は「なかなか会ってくれなかったんだよ!」と慌てて事情を説明する。


「だから、茜の一緒にいた時間は正直そんなにない。ほとんど待ってた時間というか……」


「茜ちゃんが弱ってるのに付け込んで、変なこともしてない?」


「するかバカ!?」


 一体何を想像してるんだ、と奏斗は呆れてため息を吐いた。

 しかし、詩葉のモヤモヤはまだ晴れていないようで、不満げに唇を尖らせて言う。


「でも、それなら私も連れて行ってくれたらよかったのに……」


「それはゴメン。でも、まずは一対一で話したかったんだよ」


「んむぅ……まぁ、カナ君がそう言うならそれが正しいんだろうけど……」


 まだ言いたいことはあるといった面持ちの詩葉。

 それでも信頼している奏斗が言うならと飲み込んでくれた。


「でもっ、理由はどうあれ遅帰りのカナ君にはお仕置きが必要!」


「えぇ……!」


 それはそれ、これはこれ。

 詩葉はこの胸の奥に渦巻くやるせなさを解消するべく、奏斗に有無を言わさぬ視線を向けた。


「そう言えばカナ君、覚えてる? 私が茜ちゃんの前で血を吸わされたときのこと」


「えっと……何かあったっけ?」


「私言ったよね? 『今度絶対カナ君にも私の気持ちをわからせる』って」


「……あ」


 奏斗の脳裏にフラッシュバックするワンシーン。



『ほら、一思いにガブッといけ。ガブッと』


『もぅ、ばかぁ……今度絶対カナ君にもこの私の気持ちをわからせてやるんだから……!』


『はいはい』



(あのときは俺も必死だったから適当に返事してたけど……確かにそんなことを言ってた気がする……!)


 思い出した奏斗は、唐突に嫌な予感を覚えた。

 恐る恐る詩葉に顔を向け、ぎこちない笑みを浮かべながら尋ねる。


「ま、まさか詩葉さん……?」


「えへへ……じゃ~あ、罰&仕返しとして、カナ君には私の首に噛み付いてもらいます」


「ま、マジか……」


「マジです」

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