第20話 心の傷を埋めるモノ

 マンションのエントランスで二時間ちょっと粘ったお陰で、奏斗はようやく茜に会うことが出来た。


 呆れる茜に連れられて、茜が住まう一七〇五室にやって来る。


「さ、入って」


「お、お邪魔します……」


 茜の後に続いて、恐る恐る玄関扉を跨ぐ奏斗。


 幼馴染である詩葉を除けば、今回が初めて異性の家に上がることになる。

 やはり少し緊張してしまっていた。


「お茶くらいは出してあげるから、適当な場所に座ってなさい」


「あ、あぁ……」


 そう言われて、奏斗は部屋を見渡す。


 他に人が住んでいる気配はない。

 だが、一人暮らしにしては持て余すくらいの広い部屋だ。

 リビングにはL字型のソファーと、背の低いテーブル、テレビ。

 ダイニングには、普段そこで食事を取っているであろうダイニングテーブルがあった。


 奏斗は居たたまれなさを常に感じながらも、帰るわけにはいかないとリビングへ行き、ソファーの隅に腰掛けた。


「良いソファーだな……」


 お尻を支えるその質感ですぐにわかった。


 キッチンからそんな奏斗の呟きを拾った茜が答える。


「ま、危険な仕事をしてる分稼いでるから」


「な、なるほど……」


 そういう詳しい経済事情みたいなものはGGには描かれていなかったので、奏斗は初耳の情報に目を丸くする。


「はい、これお茶」


「さ、サンキュー」


 奏斗にお茶を手渡した茜は、少し奏斗から距離を取ってソファーに座る。


 そんな様子を横目に見て、奏斗はグラスに注がれたお茶を一口飲んだ。

 そして、リビングテーブルにグラスをコトッと置いてから静かに話を切り出す。


「来週末から中間テストだけど……学校は来ないのか?」


「……別に、テストのときだけ行けばいいでしょ。問題なく点数も取れるわ」


 そんなことを話しに来たの? と、茜が無言で不機嫌そうな視線を向けてくる。


 奏斗は自分の脚の上でギュッと拳を握った。


「い、いや……でも出席日数とかさ……」


「……はぁ。なら別に学校なんて良いわよ。私もう仕事してるし」


「そ、そういうことじゃなくてさ――」


「――ねぇ!」


「――ッ!?」


 茜が声を大きくしたので、奏斗は思わず肩をビクッとさせた。

 茜は紫炎色の瞳を細め、苛立ったように奏斗を睨む。


「さっきから何なの? 一体何が言いたいワケ? テストがどうとか出席がどうとか……そんなくだらないこと話しに来たんだったら帰ってくれるかしら!?」


(……だ、だよな……)


 奏斗は気まずそうな表情で顔を俯かせた。


 奏斗も茜も、今何の話をすべきなのかはわかっている。

 それでも腫れ物に触るように言葉を遠回しにしていたのは奏斗だ。

 茜が怒るのも無理はない。


(何やってんだ俺……! 弱気になるな! 茜を立ち直らせたいんだろうが!)


 奏斗は心の中でそう自分を𠮟咤し、奮い立たせる。


 だが、表面上はあくまでも冷静に。

 ただでさえ茜の精神は今不安定な状態だ。

 落ち着いて、しっかりと茜に向き合う必要がある。


「す、すまん。ただ俺が言いたかったのは、また前みたいに学校で話したり、一緒に食堂行ったりしようってことでさ……」


「……そんなこと、出来るわけないじゃない……」


 茜が奏斗から顔を背ける。

 横顔からは悲しそうな表情が窺えた。


「私、詩葉ちゃんを殺そうとしたのよ? 貴方だって傷付けた……合わせる顔がないのよ……」


 仕事だったから仕方がない――そんな風に割り切ることは、とてもじゃないが茜には出来ないのだろう。


 だが、本心では思っているはずだ。

 また皆と一緒に楽しく過ごしたいと。

 また食堂でテーブルを囲んで昼食を食べたいと。


「それについては大丈夫だ。俺も詩葉ももう気にしていない。ちゃんとした理由があったんだって知ってるからな」


「何でっ!? 何でそんな平然としてられるの!?」


 バッ、と茜が勢い良く立ちあがった。

 奏斗の方を向き、涙の滲んだ瞳を向けて叫ぶ。


「貴方の大切な人が殺されそうになって、貴方自身もあんなにボロボロになって……そうした張本人を目の前にして、何でそんなに――」


「――友達だから」


「――ッ!?」


 答えは簡単だという風に奏斗は冷静に答える。


「確かにあの瞬間は怖かった。詩葉は大切な幼馴染だ……殺されるかもしれないなんて状況になって、怖くないわけがなかった」


「だ、だったら……」


「でも、こうして助かってる」


「そんなの結果論じゃない!」


 詩葉が殺されずに済んだのも、奏斗が更なる怪我を負わずに済んだのも、結局はたまたま。


 茜はそう訴える。

 しかし、奏斗は静かに首を横に振った。


「あのとき――お前が詩葉に銃口を向けたとき、手が震えてた。本心では殺したくないって思ってる何よりの証拠だ」


「ち、違う……! 私は、私は躊躇いなんかなかった! 冷酷に、残酷に、ただ詩葉ちゃんを殺そうとしたのよ……!」


「それこそ違う! いい加減自分を悪者みたいに言うのはやめろ!!」


 奏斗も立ち上がって、茜の両肩をしっかり掴む。

 驚きの表情を浮かべる茜。

 奏斗は真正面から、真っ直ぐに視線と言葉を投げた。


「ちゃんと自分の本心をわかってるくせに、悪者でいようと嘘で捻じ曲げるな。この数日間、お前は後悔や罪悪感と向き合い続けたはずだ……もうそれだけで充分だよ」


「……でも……でもっ、私は……!」


 ポロポロと茜の瞳から大粒の涙が落ちていく。

 奏斗は安心させるように、許しを与えるように優しく笑った。


「茜、聞かせてくれ。お前の本心を。本当はどうしたいんだ?」


「わた、し……私……また詩葉ちゃんと友達になりたい……! 貴方と、また一緒にいたい……!!」


「まったく……最初からそう言えよ、バカ」


「う、うぅっ……うわぁぁあああああああ!! わたしっ、わたしぃ……!!」


 たまらず奏斗の胸に飛び込み、声を出して泣く茜。

 奏斗はどこか呆れたような……それでいて優しい表情を浮かべて、茜の頭に優しく手を乗せる。


 このあと茜の涙が枯れるまで、奏斗は胸を貸し続けたのだった――――

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