第19話 傷心

「すまん詩葉、今日は先に帰っててくれるか?」


「えぇ~」


 放課後。

 昼休みに凛から情報を受け取った奏斗は、教室まで迎えに来た詩葉に両手を合わせていた。


 詩葉はぷくぅと頬を膨らませる。


「ちなみに何でか聞いて良い?」


「え、えぇっと……」


「言えないことなんだぁ~」


 ここで奏斗が事情を説明すれば、詩葉まで着いてきかねない。

 奏斗としては、今は一人で動きたかった。


 奏斗は詩葉に申し訳なく思いながらも、今まさに教室を出ようとしていた駿に声を掛ける。


「お~い、駿!」


「ん、奏斗?」


 呼び止められて振り返る駿。

 奏斗が手招きすると、頭上に疑問符を浮かべて傍までやって来た。


「悪いけど、今日コイツと一緒に帰ってやってくれないか?」


「えっと、僕は別に良いけど……」


「ちょ、カナ君っ!」


 あとで詩葉に怒られるのを覚悟して、奏斗は不満げな詩葉を駿に預けた。


「じゃ、あとよろしく!」

(出来ればこの機会に詩葉ルートに入ってくれ……!)


 足早に教室を去っていく奏斗。


 取り残された詩葉と駿は呆然と奏斗が消えていったあとを見詰めていた。


「じゃ、じゃあ帰ろうか、姫川さ――」


「――あはは。カナ君が私を置いてどこかへ行っちゃった……それって私よりも大切な用事ってことだよね。私が一番じゃないってことだよね……」


「か、奏斗にはあとで文句を言っておこう……」


 スッと瞳からハイライトを消して乾いた笑みを浮かべる詩葉を見て、駿はため息と共に肩を落としたのだった――――



◇◆◇



 姫野ヶ丘学園高校の最寄りの駅から電車で二駅行って、そこから少し歩いた場所。


 奏斗は凛から貰った紙に書かれていた住所までやって来ていた。


 およそ二十階建てのマンション。

 エントランスに入ると住人の許可が必要な自動ドアがあり、この場所からインターホンで呼び出すしか入る方法はないらしい。


「一七〇五室……やっぱ茜の家だな……」


 エントランスに掲示されている各部屋の住人の名字。

 一七〇五室には『綾瀬』の文字があった。


(あの東雲凛って先輩が何者かはわからんが、今は取り敢えず感謝しておくか……)


 奏斗はそんなことを思いながら、エントランスのインターホンに茜の部屋番号を入力して呼び出す。


 ポンポーン、という聞き慣れた音。


(さて、出るかな……?)


 まずはそこだ。

 恐らく茜は家にいるだろうが、ここで居留守を使われれば会いようがない。

 仮にインターホンに出たとしても、自動ドアを開けてくれなければそれでも会えない。


 奏斗が固唾を呑んで待つこと数秒。

 インターホンのスピーカーから僅かな雑音が聞こえてすぐ、元気のなさそうな少女の声が聞こえた。


 茜だ。


『……何?』


(出た……!)


 奏斗は取り敢えず居留守を使われなかったことに安堵する。


 しかし、問題はここからだ。

 目の前の自動ドアを開けてもらって、直接会わなければならない。


「お、俺、奏斗だけど……」


『……見たらわかるわ』


 エントランスのインターホンにはカメラが付いている。

 今頃茜は自分の家の中から画面越しに、奏斗の動揺している様を見ていることだろう。


「ちょ、ちょっと話したいことがあるからさ、取り敢えず入れてくれませんかね?」


『何を話すの? あぁ、詩葉ちゃんのことなら安心しなさい。上から監視は必要だけど抹殺する必要はないって通達が来たわ』


「そ、そうか……ってそうじゃなくて!」


 確かにこれ以上詩葉の命が脅かされる危険がなくなったという情報は重要だ。


 しかし、奏斗は今茜のことでこの場所に来ている。

 目的を履き違えてはいけない。


「お前のことで話があるんだが?」


『何それ。私のことで話すことなんて何もないでしょ』


「とぼけるなよ。ここ数日学校来てないだろ?」


『……貴方に何の関係があるのよ』


「い、いや関係あるだろ! 友達だし……詩葉も駿もお前が来なくて心配してるんだぞ!?」


『……そう。なら、私は大丈夫だから心配しないでって言っておいてくれるかしら』


「っ! 大丈夫だったら学校来てるだろうが!」


 思わず奏斗の声が大きくなる。

 エントランスにしばらく反響音がとどまった。


『……とにかく、話すことは何もないから。早く帰りなさい』


「帰らん」


『は?』


「今日はお前と会うまで帰らん」


『あ、貴方ね……!』


 インターホンを介して奏斗と茜が睨み合った。

 数秒の沈黙を経て、茜が呆れた口調で言い捨てる。


『はぁ、なら勝手にしなさい。私は会わないし、話さない』


「ちょ、おい!」


 インターホンが切られた。

 向こう側から僅かな雑音すら届かなくなったので、間違いない。


「ったく、こうなったら仕方ない……」


 奏斗はスマホを取り出した。

 メッセージ画面を開き、詩葉に連絡する。


『ゴメン。今日、帰り遅くなるかも。いつになるかはわからん』


 奏斗は茜が自動ドアを開けてくれるまで、とことん待つつもりだった。


 茜が折れるか。

 それとも結局奏斗が諦めるか。


 どちらにせよ、長い沈黙の戦いになる。


(はぁ……詩葉、怒ってるだろうなぁ……)


 奏斗のため息が、深閑としたエントランスに虚しく響いた――――



◇◆◇



 放課後奏斗が茜の住むマンションにやって来たのが十八時前。


 一体どれくらいの時間が経っただろうと奏斗が腕時計を確認すると、現在時刻は二十時十五分。


 二時間と少しの時間が経過していた。


 初めインターホンを鳴らしてから、十分後、三十分後、一時間後と三度呼び掛けたが、どれも反応なし。


 それからずっと、奏斗はエントランスの壁に背を預けて佇んでいた。


 試しにスマホを開いてみる奏斗。

 すると、新着メッセージ百件以上。


 ……中身を見ることなく、ただちにスマホを仕舞った。


 さてあと何時間粘れば会えるだろうか――と奏斗がため息とともに天井を見上げる。


 すると――――


 ウィーン、と滑らかに自動ドアが開く。


「……呆れた。まさか、まだいたとはね」


「……茜」


 自動ドアの内側から現れたのは、奏斗が待ちに待っていた茜だった。


 茜は呆れた視線を奏斗に向けてから、ため息交じりに言う。


「まったく……私の知り合いが不審者扱いされるのは御免だし、仕方ないからついてきなさい」

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