第10話 主人公を追って

(急げ、急げ……!!)


 正直、間に合うかどうかは微妙だろうと思っていた。

 茜と共に職員室から空き教室まで教材を運ぶのに、少し時間が掛かってしまった。


(シナリオ通りなら、もう今頃は保健室に運ばれているころか……!?)


 主人公は保健室で出逢うことになるのだ。

 二年生の先輩で、保健委員を務めているヒロインに。

 もしそこでのやり取りで主人公がヒロインの好感度を稼いでしまったら――――


(詩葉ルートへの条件から外れてしまう……!)


 奏斗は階段を駆け下りた。

 本校舎一階に辿り着き、職員室の隣に位置する保健室の扉の前まで来る。


(頼む……まだ間に合っててくれ……!!)


 奏斗はそう念じながらスライド式の扉を開けた。

 そこにはGGの中で――前世画面越しに見たことのある景色がそのままあった。

 四つほどベッドが並べられており、それぞれにカーテンの仕切り。

 棚のガラス戸の奥には、簡単な怪我の処置を施すための医薬品や道具が仕舞われている。


(主人公は……駿はどこだ……!?)


 奏斗は焦った様子で保健室の中を見渡す。

 だが、どのベッドも使われていない。

 カーテンの仕切りがどれも全開だ。


「あ、あれ……?」


 奏斗が間抜けな声を漏らす。


「……あの、どうかしましたか?」


 実は先程から保健室の机の前に腰を下ろしていた少女。

 目を瞬かせて首を傾げながら、奏斗に尋ねる。


「えっと――って、あっ……」


「はい……?」


 焦っていた奏斗は、今になってようやく気付いた。


 薄桃色のボブヘアと同色のクリッとした瞳が特徴の少女。

 小柄な身体に似合わない豊満な胸を持ち、顔が童顔なこともあっておっとりした雰囲気を纏っている。


(GGヒロインの一人――桜田さくらだ香織かおり!)


 そして何より、今まさに主人公との接触を危惧していたヒロインだ。


「あ、あの……?」


「あっ、すみません。えと……ここに神代駿っていう一年生が来ませんでしたか……?」


 焦っても仕方ない、と冷静さを取り戻した奏斗。

 主人公の行方を探るべく、香織に聞いた。

 香織は「うぅ~ん」と人差し指を頬に当てて一考。

 しかし、すぐに首を横に振った。


「来てないと思いますよ?」


「そ、そうですか……」


 肩を落とす奏斗。 

 香織は奏斗が付けている赤色のネクタイを見て言った。


「えぇっと、新入生ですよね? その神代君はお友達ですか?」


「ま、まぁ、そうですね。友達です」


 まだ予定だけど――とは心の中だけで付け加えておく。

 香織はふふっ、と柔和な笑みを溢す。


「それは良かったです。入学したばかりの頃は、友達ができるかどうか心配になるものですからね」


「あ、あはは。ですね」


「でも、君もその友達も、出来ることならこの保健室にお世話にならないようにしてくださいね? 怪我しないに越したことはありませんから」


(て、天使か……いや、女神だ。女神さまがいるぞ……!?)


 温かく微笑む香りの後ろに後光が見えた奏斗。

 他人の――それも今会ったばかりの人の安全を心から願うような、慈愛に満ちた微笑み。

 思わず奏斗の顔もへろりと緩んでいた。


「いやぁ、先輩にお世話してもらえるなら骨の一本や二本は捧げますよ」


「えぇっ! それは私ではなく病院にお世話してもらってくださいっ!」


「では、適当にかすり傷でも作ってきますかね」


「だ、ダメです! まったく……今年の新入生は皆君みたいな感じじゃないですよね……?」


 はぁ、と呆れたようにため息を吐く香織。

 少しばかり表情をムッとさせ、半目を奏斗に向けた。


「先輩をからかうのはほどほどに、ですよ? それと……」


 じわりと香織の頬が朱に染まった。


「そこまでして私に会いたいなら、二年一組か、放課後は基本保健室にいますので……」


「それは、怪我しなくても先輩に会いに来て良いという意味ですか?」


「は、ハッキリ言わなくて良いですよぉ~!!」


 もうっ、と香織がそっぽを向いてしまった。

 これ以上からかうと先輩の威厳がなくなってしまうかもしれない。

 奏斗はそう思って、今日のところはこれくらいにしておこうとしたとき――――


(ん、あれは……)


 香織の後ろにある窓の外。

 グラウンドの傍を経由して校門へと向かう道を、一人の少年が歩いている。

 妙に気になって奏斗が目を細めてみると…………


(しゅ、駿だ!!)


 まだ帰っていなかったのだ。

 保健室に来ていないということは、茜の手伝いをしている間に帰ったのだと思っていた。

 しかし、そうではなかった。

 GGのシナリオでは割愛されていただけで、駿は帰るまでに少し時間を掛けていたのだ。


(ということは、サッカーボールを喰らうのは今から……!?)


 今ならまだギリギリ間に合うかもしれない。


「じゃ、じゃあ桜田先輩。俺はそろそろ行きますね……!」


「え、あぁ、うん。またね?」


 奏斗は慌ただしく保健室をあとにした。

 音もなくスゥ、と閉まっていくスライド式の扉を眺める香織。

 静かになった保健室の中で、ふと不思議に思った。


「……あれ、今私のこと『桜田先輩』って呼んだ? 私、名前言ったっけ……?」



◇◆◇



 急いで玄関に向かった奏斗。

 上履きを脱いで靴を履き替える。

 玄関を飛ぶように出て行き、先程駿を見掛けた場所まで駆けて行く。


(ここで飛んでくるサッカーボールから駿を守れば、桜田先輩との接触を回避出来る!)


 運動場の傍の道を正門に向かって走る。

 先程保健室の窓から駿を見た場所を通り過ぎ、少し進んだ先に――――


(いた……!)


 帰路に就くべく、正門に向かっていく駿の背中が見えた。

 あと少しで正門を出ようかというところ。

 しかし同時に、少し視線を動かせばグラウンドで活動しているサッカー部が見える。

 新入生を勧誘するため、やや力が入っている様子。

 そして案の定、


 バシッ!


 ロングパスをするのに力み過ぎた。

 想定以上の飛距離が出たサッカーボールがグランドを超す。

 シナリオ通りと言うべきか、はたまた運命と言うべきか。

 サッカーボールは緩やかな弧を描いて、駿の頭部目掛けて飛んでいき――――


「っ、間に合え……!!」


 奏斗は走る、走る。

 だが、どうしても間に合わない。

 あと少し距離が、時間が…………


(駄目か――)


 奏斗が諦めかけたそのとき、どこからともなく人影が飛び出てきた。

 駿とそこへ飛んでくるサッカーボールの間に割り込む。

 軽やかに跳躍し、見事に膝でサッカーボールをキャッチ。

 突然のことで何が何だかわかってなさそうな駿の視線の先で、その人影が着地した。


 長い黒髪がなびき、日の光をキラリと反射する。

 ロングヘア、スカート……少女だ。


 背丈は平均的で線が細い。

 白くてしなやかな脚が膝上丈のスカートの下からスラリと伸びている。

 胸元のリボンが緑色であることから、二年生であることがわかる。

 間違いなく美少女。

 しかし、その端整な顔からは感情が感じられず、どこか作り物めいた印象を受ける。


 そして、何より…………


(だ、誰だ……!?)


 奏斗はその少女を見たことがなかった。

 まったく誰だかわからない。

 GGに登場するキャラクターを知り尽くしている奏斗が、だ。


 GGのシナリオでは、ここで駿は頭部にサッカーボールを喰らって気絶する。

 だが、目の前の少女がそれを防いだ。

 見たことのないシナリオ……否、イレギュラーな展開。


(GGに登場するキャラクターは基本、シナリオに沿った行動をするはず。つまり、こんなことが出来るのは……)


 奏斗と同じ、イレギュラーな存在。


(何者なんだ、あの人……)

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