第02話 前世の記憶

 奏斗の体感的に三分ほどの時間が経過した――――


 ギャン泣きしていた詩葉も、ようやく落ち着きを取り戻し始める。

 この間に奏斗は、蘇った前世の記憶と今世の記憶の擦り合わせを行っていた。


(試験会場で刺されて死んで、そこまでの記憶を引き継いだままこの世界に生まれ変わったってことか……? それも、同姓同名の桐谷奏斗として……)


 最初、奏斗はタイムスリップを疑った。

 高校三年生までの記憶を引き継いだ状態で身体だけ子供になっているのだから、妥当な推測だろう。


 しかし、すぐにそうでないことがわかった。


 なぜなら前世の記憶とは別に、この世界で生きた九年間の記憶も存在するからだ。


 混在する二つの記憶。

 十八年間の人生と、九年間の人生の混在。

 転生したということ以外に、考えられることはなかった。


「うっ、ひくっ……うぅっ……!」


 粗方の状況把握が終わったところで、奏斗は視線を自身の隣に向けた。


 まだ嗚咽を漏らしているが、先程よりは落ち着いている。


(幼馴染の、姫川詩葉……)


 奏斗は詩葉を見ながら前世の記憶を振り返る。

 当然、詩葉は今世で出逢った人物であるため、前世の記憶の中にいるはずがない。


 しかし、奏斗は確かに詩葉を知っている。

 前世のときから詩葉を知っているのだ。


 超人気恋愛アドベンチャーゲーム『ガールズ・ガーデン』――通称GG。


 親が敷いたレールの上を歩くだけだった前世の中で、奏斗が唯一生きがいとしていたゲーム。


 そのゲームの中に、が存在したのだ。

 ゲームの主人公たるプレーヤーが攻略することになるヒロインの内の一人。


 そして、奏斗の最推しヒロインだ。


(GGの舞台は高校……描かれる詩葉の姿も高校生のもの。でも……)


 目の前の少女は、間違いなく姫川詩葉だった。


 奏斗の記憶にある高校生の姫川詩葉を、物理的に幼児退行させたら今ここにいる詩葉になる。

 そう思わせる面影が、確かに目の前の詩葉にはあった。


 そうなると、結論は一つ。


 ここは……この世界は――――


(ガールズ・ガーデンの世界、なのか……!?)


 奏斗はにわかに信じられないが信じずにはいられない状況に、ゴクリと喉を鳴らす。


 まだ若干の嗚咽を漏らしている詩葉に、恐る恐る尋ねた。


「え、えっと……姫川詩葉、なんだよな……?」


「うっ、うん……そうだよ……?」


 目尻から零れて頬を伝う涙を手で拭う詩葉。

 目元を薄っすらと腫らした顔を、不安げに向けてきた。


「カナ君……私のこと、忘れちゃったの……!?」


「――ッ!?」


 奏斗は戦慄した。

 息を呑んだ。


 目の前の少女の可愛らしさに。


 不安、心配……そして寂しさが混ざり合ったような瞳を上目に向けてくる詩葉の姿が、否応なしに奏斗の鼓動を加速させる。


(こ、この歳からこの可愛さなのか……!? 尊過ぎる……!!)


 前世において画面越しに見ていた高校生の詩葉とはまた別種の可愛さに、奏斗はドキドキが止まらない。


「ね、ねぇ、カナ君ってばぁ……!」


「あ、いや、忘れてないぞ。ちょっと木から落っこちた衝撃で混乱してただけ。あはは……」


「ほ、ホント!?」


 奏斗の返答に安心したのか、詩葉が表情を明るくする。

 奏斗は僅かに表情を引きつらせながらも、コクコクと頷いた。


「ほんとほんと。ただちょっと……いや、かなり身体痛いけど……」


「そ、そりゃそうだよぉ! カナ君ってば木から落ちたあと、全然目を覚まさなかったんだから!!」


 凄く心配したんだからね! と頬を膨らませる詩葉。

 奏斗がどこへも行かないようにか、服の裾をギュッと握ってくる。


「私、カナ君がいなくなっちゃったら……絶対や……だよ」


「詩葉……」


 詩葉が頭を傾けてきて、奏斗の胸に額を触れさせた。


(心配、掛けちゃったな……)


 奏斗はふっと表情を柔らかくして、自分の胸にある詩葉の頭を優しく撫でた。


「心配させてゴメン、詩葉。俺はどこにも行かないから……」


「うん……」


 どうやら、詩葉が落ち着くまでにはもう少し掛かるらしかった――――



◇◆◇



 奏斗が前世の記憶を取り戻してから、早くも一週間が経過していた。


 しかし、だからと言ってこれまでの生活が何か劇的に変わったりするわけではない。


 今の奏斗は小学四年生。

 平日毎日学校に通って、授業を受けて帰宅する。


 今日も普段通り、小学校で授業を受けている。


「――と、ここの図形同士が重なってある部分の面積を引けばいいわけですから――」


 教壇で担任の女性教師が算数の授業を行っている。


 だが、奏斗は既に高校三年生までの記憶を――それも難関国立大学合格レベルに達している学力を引き継いでいる。


 そのため授業は最低限課せられたことだけこなして、大半を聞き流して過ごしていた。


(この一週間で確信が持てた。ここは間違いなくGGの世界。数日前に家のパソコンで調べて、GGの舞台である『姫野ヶ丘学園高校』が存在するのが何よりの証拠だ)


 なぜこの世界に転生したのか。

 その原因・理由は考えてもわかるものではない。


 そんなことを考えるくらいであれば、これから自分がこの世界でどうやって生きていくかを計画した方がよっぽど有意義。


(前世では親に示された通りの道を歩くだけの人生だった。でも、今度こそ……この人生では自分のやりたいことをやる!)


 この世界で――ガールズ・ガーデンの世界で奏斗がやりたいこと。

 考えるまでもなく、一つしかなかった。


(最推しヒロイン、詩葉のハッピーエンドだ!)


 この人生は、推しのために――詩葉の幸せを実現させるために生きる。

 詩葉に奏斗の全青春を捧げる。


 ここはGGの世界。

 であれば、いるはずなのだ。


 詩葉を幸せにできる唯一の存在。

 やがて姫野ヶ丘学園高校に入学し、ヒロインを攻略してハッピーエンドを目指す存在。


 そう。ギャルゲー主人公が!!


(ヒロインの中でも詩葉ルートの攻略は最難関と言っていい。でも、詩葉のハッピーエンドのために俺は……何としてでも詩葉と主人公をくっ付けてみせる!!)


 奏斗はそんな思いを胸に、前の方の席に座って授業を受けている詩葉を見る。


 どうやら頑張ってノートを取っているらしい。

 そんな後ろ姿がもう可愛い。可愛すぎる。


 手元のノートから黒板へと視線を向けるときに揺れる亜麻色の髪が可愛い。


 少し難しいところがあったのか、眉を寄せて考え込む仕草も可愛い。


(あぁ……一生見てられる。幸せ……)


 奏斗は無意識の内に顔をニヤけさせていた。


 そんな奏斗へ、教壇に立っていた教師が「こーら!」と優しめの叱責を飛ばす。


「桐谷君、きちんと私の話聞いていましたか~?」


「あっ、はい!」


 ハッと我に返った奏斗は、慌てて教師に返事をする。


 教師は腰に手を当て、呆れたような半目を作る。

 そして、どこかからかうような笑みを湛えた。


「ふぅん、ホントかなぁ~? 私には姫川さんを見詰めているようにしか見えませんでしたよ?」


「なっ……!?」


 奏斗の顔がカァと赤く染まる。


 教室中から笑い声と、からかいの声。


 奏斗の身体の奥底からブワァっと羞恥心が沸き上がってきた。


 当の詩葉に関しては、奏斗の方に振り返っている。


 こちらも恥ずかしそうに赤面し、何か物言いたげな視線を向けてきていた。


「まぁ、いいです。ではここの問題をやってみてください。ちょっと難しいですが、先生の話を聞いていたなら出来ますね?」


「は、はぁ……」


 奏斗はゆっくり席を立ち上がると、机の並びの間を抜けながら教壇の方へ向かっていく。


 途中クラスメイトから、

「ひゅーひゅー」

「お熱いねぇ~」

「桐谷君ってそうだったんだぁ……!」

 などと色々な声を掛けられたり、背中をバシバシと叩かれたりした。


 恥ずかしい思いたっぷりで教壇の前に辿り着く。


 教師がにこやかに「はい」と白チョークを渡してきた。


 奏斗は恨めしい視線を向けながらそれを受け取る。


(ったく、生徒に恥をかかせるとは、なかなか良い性格した教師じゃないか……)


 と、自業自得とわかっていながらも心の中で不満を言う奏斗。


 黒板へ視線を向け、そこに書かれた問題を見る。


(んあぁ、典型的な小学校の応用図形問題って感じだな)


 そこには、長方形と正方形を組み合わせた歪な形の図形が描かれていた。


 奏斗は黒板の前に立つと、チョークを右手に持って…………


 カツッ、カッ、カッ――――


 黒板上に迷いなくチョークを走らせていく。


 笑い声や潜め声で満たされていた教室。

 奏斗が文字と数式を連ねていくにしたがって、それらの雑音が徐々に静まっていく。


 そして、教室が完全に静まり返った頃。


 カツッ、シャ――――


 奏斗は数式の下に求めた面積を書いた。

 答えだとわかりやすいよう、慣れた手付きでアンダーラインを引く。


 ふぅ、と息を一つ。

 教師に振り返った奏斗。


「五十三平方センチメートル」


「……せ、正解です」


 教室を支配する静寂。


 奏斗は不思議そうに教室を見渡して、「あっ」と何かに気付いたように声を漏らす。


(やっべ。普通に解いちゃったけど、これ今習ったばっかりのはずの問題だったよな……)


 何か言い訳をしなくては、と奏斗が口を開こうとした瞬間――――


「おぉおおお!!」

「奏斗すっげ!」

「お前そんな勉強出来たっけか!?」

「私全然わかんなかった~!」

「えっ、ちょっと桐谷君カッコ良くない……?」

「ね、ね? 結構アリかも……」


 ……等々。


 クラスメイトが口々に喋り出し、奏斗は苦笑いを浮かべた。


 詩葉はそんな奏斗に爛々と輝かせた瞳を向け、心なしか頬も赤らめていた。


(い、意外と普通に過ごすのもムズいぞ、こりゃぁ……)

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