第72話 捕り物


「ニナ」と名を呼ばれて、私は目を開けた。


 顔も身体も痛い。


 私は生きていた。


 レインが、私の手を握っている。


 濡れたタオルだとお兄様が、私の顔にタオルを乗せた。


 ヒンヤリして、少しだけ痛みが引いたような気がする。


 私がいるのは、道のようだ。



「あの男は?私と一緒にいた男が黒幕だわ。リリーを殺した男」とそこまで言って、涙が出てくる。


「リリーを殺した男よ」



 私は身体が痛くて、悔しくて涙が流れる。



「逃がしてしまったの?」


「いや、今、あの場にいた者達は、全て捕らえた。客も含めて、全てだ」とレインが言った。


「囮捜査に、ニナを使ってしまった。すまない」と、レインが言った。


「私はリリーの敵を取っただけだわ。囮捜査に参加したつもりはないわ。真実を知りたかったの」



 リリーに生きていて欲しかった。


 死んでしまったら、明日がないのよ。


 でも、明日に希望が持てなかったのかしら?


 先に赤ちゃんが死んでしまったら?


 赤ちゃんと一緒にいてあげたかったかもしれない。



「お兄様、あの手紙の、エミリさんのお父様に、リリーの事実を知らせてください。リリーの名誉のために」


「直ぐにエミリさんのご実家を探す」


「ありがとう」




 私は目を閉じた。


 体中が痛くて、涙が零れていく。


 きっと死んでしまったわよね。ごめんね。



「レイン辺境伯、馬車の手配ができました」


「ありがとう」


「ニナ、病院に行くよ」




 私は頷いた。


 私は戦士になれなかった。


 レインのお姫様に戻れるのだろうか?



「レイン、ごめんね」と先に謝っておく。


 多分、二人の赤ちゃんは死んでしまったと思う。


「俺も謝っておく。ごめん」


「うん」


 私を捨てても文句は言わない。


 私は意識を手放した。



 +



 私は翌朝、目を覚ました。


 殴られた場所が痛くて、医師に言っても、薬はくれない。


 熱に魘されている私の隣には、冷えたタオルを持ったレインがいて、タオルを顔に乗せてくれる。


 三日目になると、意識が戻っていた。でも、私の手を握ってくれているレインに、何も話せなくて、目を閉じていた。


 病状の説明を受けたのは、一週間後の午後でした。


 私の部屋は個室でした。


 私はベッドの上で安静と言われていた。


 ベッドの横に椅子が一脚。レインはそこに座っていた。


 入って来た医師は三人もいた。


 この病院は、患者が少なくて暇なのかしら。




「この一週間安静にできましたか?」


「はい、痛くてそもそも動けません」


「痛みはもう少し続くと思います」


「仕方がないですね」


 たくさん殴られたのですもの。


「目は見えますか?」


「おかげさまで、視野欠損もありません」


「口は開きますか?」


 私は口を開いて、顎関節を押さえた。


「開きますが、痛いですね」


「指は動きますか?」


 指を動かして見せる。


「動くけれど、痛いわ」


「お腹は痛みますか?」


 私はキルトの上から痛む場所に触れた。


 そこはみぞおちです。


「そこも殴られたようなので、暫く、痛むでしょう」


 ずいぶん前触れが長い。私の身体は、そんなに酷いの?


 それとも私は不細工になったと自覚しろと言いたいの?


 もう顔の造形などどうでもいいわ。

 

 可愛くなくても、美しくなくても、レインが私を嫌いになったら、私は別れよう。


「病状を説明致します」


「骨折の類いはありません。打撲は、顔を中心に受けておりますので、顔はまだ暫く痛むでしょう。顔の腫れも、まだ続きます」


「お子は、奇跡的に無事です」


 生きていた。


 あんなに殴られたのに、生きていてくれた。


 きっとリリーが守ってくれたのね。


 私は泣いていた。



「自覚症状はあったであろう?」


「はい」


「子がいたのか?」



 私は頷いた。


 レインはぽかんとしていた。




「妊娠四ヶ月です。身体の痛みが治まるまで、安静です」


「はい、ありがとうございます」


「レイン辺境伯、おめでとうございます」


「本当か?ニナ、いつから自覚症状があったのだ?」


「他の女にうつつを抜かす旦那様はいりませんので、離縁書をください」


「ニナ、そうではない。この国に慣れないヴィオレ王女に案内をしていたのだ」


「その役目は、レインではないはずよ。私は一人でも育てていけますから。私をひとりぼっちにする夫はいりません」


「そんな冷たいことを」


「若い女の人がいいなら、調印をする前に別れましょう」


「ニナ、俺はそんなつもりは微塵もなくて」


「私がどんなに寂しかったか、ご存じ?一人で育てようと、覚悟を持つまで、どれほど泣いたか知らないでしょう?」


「ニナ、愛している。ニナを愛している。子が生まれたら、子も愛する。それまでニナだけを愛する。子が生まれたら、ニナと子を愛する」


「信用できません」


「ニィナァ~~~~」




 レインはとうとう私を抱きしめてきた。


 加減をした抱擁は、久しぶりに私の心を温めた。



「痛いわ」


「直ぐに冷やそう」



 レインは桶に入っていたタオルを絞ると、私の顔を冷やしてくれた。


 私はお腹の赤ちゃんを撫でて、生きていてありがとうとお礼を言った。


 レインの手が私の手に重なった。



「ここにおるのか?」


「そうよ」


「もう無茶な事はするな」



 私は頷いて、小指を絡めた。



「約束だ」


「レインもね」


「勿論だ。俺は親になるのだから」



 急に父親の自覚に目覚めたレインと手を繋いでいる間に、私は眠りに落ちた。


 リリーがいた。


 リリーは美しく微笑んだ。眩しい光に包まれたリリーは、私に『お姉様はお姫様よ』と言って微笑んだ。


『リリー』


『お転婆は、お姉様には似合わないわ』


『逝かないで』


 リリーは赤ちゃんを抱いていた。


『いつでも見ているわ』と言って、光の中に消えていった。


『リリー逝かないで』


『お姉様、大好きよ』と声を残して、光も消えた。


「ニナ、どうした?痛むのか」


 私は頷いて、レインにしがみついた。



「リリーが逝ってしまったの」


「辛かったな」と私を撫でてくれた。


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