第37話 目覚め
私はボンヤリと目を開けた。
泣き疲れてしまった。
室内はカーテンが引かれているのか薄暗い。
身体は横向きになっていた。
瞬きをすると、夢の続きのように涙が流れる。
目の前に、私の手があり、私の手に誰かの手が重なっている。
誰だろうと考えて、手を見ていると、指に見たことのある指輪を嵌めていた。
私の瞳と同じ色の宝石が見えた。
まさか、この手は?
レインかしら?
私は急いで目を閉じた。
目が覚めたことに気づかれたくはない。
まだ何を話していいのか、分からない。
でも、
「目を覚ましたのだな?急に泣き出して、心配した。どこか痛むのか?」
ハンカチのような物で目元を拭われて、私の身体が緊張して、身体に力が入った。その瞬間、背中に痛みが走り、手を握りしめた。
「背中が痛むのだな?助けに来られずに、夫失格だな。すまない」
私は赦すとも許さないとも言えない。
自分の心が、感情が動かない。
「ニナを傷つけた盗賊は捕らえて、今は牢屋に入れてある」
レインは落ち着いた声で、ゆっくり話す。
私はそんなレインの言葉に、反応することができなかった。
「……」
「ブリッサ王国からやって来て、我が国の乙女や子供を誘拐するのが目的だったようだ。ブリッサ王国の国王陛下に手紙を書いた。ブリッサ王国の国王陛下に引き渡すつもりでいる。処罰はそちらでしてもらう」
「……」
私の背中は、たぶんあの時に斬られた。
焼かれるほど痛かったのを思い出した。
今も、まだ動くと背中が痛む。
「ニナに話さなければならない事が山のようにあるのだが、その前に、医師に目を覚ましたことを報せてくる。動くと痛むと思う。ほんの少し待っていてくれ」
レインは私の手を離すと、部屋から出て行った。
私の指に、結婚指輪が嵌められていた。
アニーがレインに返したのだろう。
もう他人のはずなのに、どうして指輪を嵌めているのだろう。
私はもう片手で、指輪を抜いた。
指輪はベッドシーツの上を転がり、無造作に落ちている。
私は私だけを愛してくれる人としか結婚はしないつもりだ。
第二夫人や妾になるつもりは、微塵もない。
レインとも、もう他人だ。その事を話さなければ。
この部屋に居ない間に、出て行こうとしたが、身体が言うことを聞かない。
私は起き上がろうとしたけれど、できなかった。
背中が引き攣って痛むのと、手足に力が入らない。
「ニナ、勝手に動くと危ない」
レインが慌てて戻って来た。
ベッドシーツに指輪が転がっているのを見て、レインは落ちている指輪を拾うと、私の指に嵌めようとしてくる。
「それは、もう私の物ではないわ」
「そうか」
私の言葉を聞いたレインは、無理に私の指に指輪を嵌めようとするのを止めた。
部屋の中に医師が入ってくる。
白い白衣は眩しい。
私は青色の病衣を着ていた。
「どこか痛むところはありますか?」と医師は聞いた。
「背中が引き攣るように痛みます。どうして、起き上がれないのかしら?」
「怪我を負って二週間、意識を失っていました。筋力が落ちているのだと思われます」
医師は私の手を握って、「力を入れて」と診察していく。
両足は指先ほどの棒で、撫でた。きちんと感覚はあった。
「これからは起きる練習をしましょう。背中に刀で斬られた傷がありますが、抜糸も終えています。引き攣るような感覚は慣れてください」
「はい」
ふふ、ふふふ。
正真正銘、傷物になったのね。
背中に刀傷がある女を抱きたいと思う人はいないでしょう。
幸い、自分では見えない。
傷跡を見て、悲しくなることは、きっとないだろう。
診察が終わって、看護師が私を座らせてくれた。斜め45度くらいで、背に枕を置いてくれた。
男の看護師は力があって、一人で、私を起こしてくれる。
もう一人の看護師が背もたれを整えてくれた。
「ありがとう」
「いいえ」
看護師達は部屋から出て行った。
窓辺に立っていたレインが、ベッドの横に来て、椅子に座った。
「やっと話ができる」とレインが言った。
「私を捨てた人とは、話をしたくはないわ」
私はレインの顔を見られない。
俯いて、自分の指を見る。
「捨ててはいない。俺の話を聞いて欲しい。今回の調印には条件が出されていた。それはエリザベス王女と婚礼をすることだとブリッサ王国の国王陛下が言った。俺にはニナがいるから断った。だが、エリザベス王女は強引に、その話を進めていった。後で話を聞くと、エリザベス王女には好きな人がいて、駆け落ちをするために、俺に手伝って欲しいと願い出た。その見返りは、俺が望んでいた友好国になり平和条約を結ぶ事をやり遂げる事だった。エリザベス王女から、ニナに手紙を預かっている。それはこれだ」
レインは、私の手に白い封筒を握らせた。
「どうか読んで欲しい。何が書かれているのかは知らされてはいないが、夫婦喧嘩は起こさないと言っていた」
「今は読みたくない」
「ならば、後でもいい。まだ目が覚めたばかりだ。腹は空かんか?ダイニングのシェフに何か作ってもらうか?シェフ達はニナがいないと機嫌が悪い」
「私は、この辺境区から出て行こうとしたの。新聞を見たわ。熱烈なキスシーン、美しいウエディングドレス姿の王女の横には、揃いの様な礼服を着たレインがいたわ。とても美しくて、レインは凜々しかった。私が居なくてもブルーリングス王国は存続するわ」
「聞いていたか?エリザベス王女は、駆け落ちをしたのだ。その手伝いをした。新聞に載っていた写真を俺は見ていないが、キスもしてない。それらしく振る舞っていたが、ニナを裏切ることは、何一つしていない。二週間行動を共にして欲しいと頼まれた。エリザベス王女が他国に移動するために、俺はひたすら一人で部屋に閉じ籠もっていた。俺はずっとニナのことを考えていた。ニナにもウエディングドレスを着せてやりたかった。国に戻ったら、首都に行ってドレスを作り、ニナのご両親に挨拶をして、結婚式をやろうと考えていた」
「もうウエディングドレスは、似合わないわ。両親もきっと見たくはないわ」
「俺がニナのウエディングドレス姿を見たいのだ」
「背中に刀傷を背負った姿を見たいの?どう見ても美しくないわ。皆、目を逸らすわ。そんなみっともない姿を人前に晒すの?辺境区は危険だと皆に報せる事になるのよ?」
「ニナ、すまない。もっと早く帰っていれば、ニナを傷つけることはなかった。俺は選択ミスをしたのかもしれない。友好国になり平和条約を結ぶ機会は、その時以外にもあったかもしれない。だが俺は辺境区の王だ。和平のためにこの機会を逃したくはなかった。本当にすまない。その傷の痛みも傷跡も、全部、俺が変わってやれたらいいのに。俺を恨んでもいい。でも、俺にはニナが必要なのだ。愛しているのだ」
レインはまるで祈っているように、私の手を胸に抱いている。
温かい手をしている。レインのその温もりが、冷えた私の胸を温めてくる。
レインは私の傷を見て、心に傷を負っている。
もしかしたら、傷を負った私よりも、胸に深い傷を負ったような顔をしている。
「きっと後悔するわ」
あの時の私の絶望を知っているの?
私はレインに一つしか望まなかった。
でも、私はリリーの名前しか言わなかった。
この約束は無効かしら?
「どうか許して欲しい。指輪をもう一度、受け取ってくれないか?アニーが謝罪をして返してくれたのだ」
私は受け取った手紙を握った。くちゃっと潰れた封筒を、ベッドの上に落とした。
「二度目は許さない」
そう言って、手を差し出した。
「絶対に裏切ったりしない」
レインは私の指に指輪をはめた。
指に美しい輝きが戻って来た。
「レイン、疲れてしまったの。横になりたいわ」
「ああ、直ぐに横にしよう」
レインは私を支えると、背もたれを外して、そっと寝かせてくれた。
ずっと意識がなかったのなら、汗臭いかもしれないことに気づいて、急に恥ずかしくなる。
「早くお風呂に入りたいわ」
「医師に聞いてみよう。寝ているだけなら、宮殿でも過ごせそうだ。それも医師に相談してみよう」
私は頷いた。
「ニナ、エリザベス王女からの手紙は読まないのか?」
「読まないわ。私が知りたいのは、レインの事だもの。それは捨ててもいいわ」
「では、後で捨てておく」
私は目を閉じる時に、少しだけ微笑んだ。
本当はレインが帰ってきてくれて、嬉しかったの。
退院は、翌日にした。
宮殿に医師が診察に来てくれるそうだ。
ずっとお風呂に入ってなかったので、お風呂も入りたかった。
アニーのお母さんが、手伝いに来てくれた。
まだきちんと立てない私をレインが支えて、メリッサさんが洗ってくれた。
本当に申し訳ない。
レインは、キッチンに務めていたメリッサさんを私の侍女にした。
子育てがあるので時間制限があるが、誰も居ないより、快適に過ごせる。
起きる練習から始めて、歩く練習も始めた。
少しずつ、人の手を借りずに生活ができるようになってきた。
食事は、毎食、部屋にシェフが運んでくれる。
食事の時間は、レインと共にしている。
私を襲った盗賊達は、隣国ブリッサ王国の騎士が捕らえに来たらしい。
ブリッサ王国でも、集落を襲っていた連中だったようで、ブリッサ王国に連れ戻してから、国王陛下から処罰を下されると言われたそうだ。
決して軽い刑ではないはずだと、レインは言っていた。
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