第38話 ハルマ様からの求婚
体力が落ちた私は、ベッドとソファーを移動することはできるようになった。
まだダイニングまで歩いてはいないが、歩けるかもしれない。
レインが無理する必要はないと言って、部屋から出してくれない。
監禁されているわけではないので、自分から出たいと思えば自由にできるけれど、やはり途中で歩けなくなりそうで、レインの言うことを聞いている。
メリッサさんは朝、部屋にお湯が入ったポットを持ってきてくれて、私の着替えを手伝ってくれる。
私の部屋の掃除をして、片付けもしたら帰宅をする。
メリッサさんには、幼い子供がたくさんいたから、宮殿で働くのも、きっと大変だと思う。
元々、キッチンで働いていたので、メリッサさんの仕事は昼食が終わるまでであったそうだ。
お風呂はなんとか自分で入る事ができるようになって、私は自分の裸をレインにも見せてはいない。
レインが仕事をしている午後から、ゆっくりお風呂に入る。
背中の傷を見ると、レインは無口になる。
毎日、『すまない』と謝罪されるのも、レインを責めているようで、胸が苦しくなる。
怪我をしたのは、私が誰にも言わずに、この辺境区から出て行こうとして、盗賊に偶然出会ってしまったからだ。
責任があるとすれば、私自身が一番罪深いことをしたのです。レインを信じられず、この辺境区から出て行こうとしたからです。
誰からの謝罪も欲しくはない。
私が怪我をしてから、レインは私を求めてこなくなった。
同じベッドで眠っているが、レインが私に触れる事はない。
キスも、『おやすみ』と『おはよう』のキスが額に触れるだけだ。
……寂しい。
近くにいるのに、触れてもらえない。
私はレインと幸せになりたいのに、背中にある刀傷を気遣って触れてももらえないなら、この結婚話は白紙にした方が互いに幸せかもしれないと思い始めてきた。
私はレインをまだ愛している。
けれど、愛するレインを苦しめることはしたくはない。
最近の私は髪を結い上げてもいない。
長い髪を下ろしたままだ。
お母様が見たら、だらしないと叱られてしまうかもしれないわね。
私が会うのは、レインと食事を運んできてくれるシェフとメリッサさんくらいだ。
ドレスを着るのも面倒になっている。
殆どネグリジェで過ごしている。
扉がノックされて、私はレインだと思って扉を開けた。
「あ……」
「すまない」
「少し、お待ちになって」
訪れたのは、一度もこの部屋に来たことのないハルマ様だった。
薄着のネグリジェ姿で、お迎えする相手ではない。
私は急いで、ドレスに着替えた。
髪を整える時間はない。
できるだけ急いで、扉を開けた。
「お待たせいたしました。何かご用でしたか?」
「最近、顔を見てなかったので、元気になられたのか心配になって。すまない、着替えをさせてしまったな」
「いいえ、まだ夕方にもなってない時間ですもの。ネグリジェ姿は少し早かったですね」
「お部屋にお邪魔しても宜しいでしょうか?」
「気が利かずに、すみません。何もございませんが、どうぞ」
私は初めてレイン以外の男性を部屋に招いた。
部屋は毎日、メリッサさんが拭き掃除をしてくれるので、綺麗になっている。
机の上にも、特に置く物もなく、真っ新なままだ。
取り敢えず、ソファーに通した。
ポットにお湯は残っているかしら?
午前中なら、確実にあるのですが、もうすぐ夕方の時間は、湯も少なくなっているし、少し冷めている。
お茶を出そうとしたが、止めることにした。
ダイニングでお茶を飲んだ方がずっと美味しいはずだ。
「どうぞ」と招いたソファーは、いつもレインが座っている場所だ。
そこしか、座るところはない。
私はいつもの定位置に座る。
「身体の具合はよくなってきましたか?」
「ええ、自分で色々できるようになってきました」
「その、怪我は痛まないか?」
「ええ、もう大丈夫です」と応えて、後は微笑んだ。
詳しく教える必要はない。
本当は腕を上げるだけで痛むけれど、そんなに丁寧に教える義務もない。
「俺達がもっと気を配っていれば、こんな怪我をさせる事もなかった。すまない」
ほらね、皆、自分が悪いというのよ。
もう聞き飽きたわ。
誰かの責任にしたくはないの。
自分を責めて欲しくはないのよ。
「悪いのは私自身なので、心を傷めないでくださいね。私、ここを出て行こうとしていたんです。夜道は危険だと思った時に、引き返さなかった私の責任です。助けてくださり感謝します」
座ったまま頭を下げる。
社交界流の笑みを顔に貼り付けて、優しげな笑顔を作る。
私もリリーもいずれブルーリングス王国の血族の殿方の元に嫁ぐ事になると言われてきて、心を表に出さない練習をしてきたので、一応、上位貴族の基本はできているのよ。
「その、レインとは上手くやっているのか?あいつ、最近、元気がないんだ」
「多分、自分を責めているのね。私は怒ってもいないし、責めてもいないわ」
優しいキスもくれなくなって、寂しく思っているのは私の方だと思うけれど、レインも何かを抱えているのね。
エリザベス王女と何もなかったのなら、堂々としてくださればいいのに、神妙な顔をしていると、私もどうしたらいいのか、分からなくなる。
私から励ますのも、なんだか違うような気がするの。
「もし、レインと上手くいかないなら、俺と交際をしてくれないか?」
とんでもない事を言い出したハルマ様のお顔を凝視してしまった。
ハルマ様とビストリ様は、レインの親友でしょう?
皆、ブルーリングス王国の血族で、後継者としての順位を持っている。
「急にこんな事を言い出して、すまない。万が一、レインと別れて、中央都市に戻るならば、俺も一緒に行ってもいいと思っているんだ。その、ニナを好きになってしまったのだ」
ハルマ様は頬を染める。
ちょっと待って、そんなことを言われたら困るわ。
レインは、私と上手く付き合えていないことを、皆さんに言っているのかしら?
私は心の中で中央都市に戻って、ゆっくり考えたいと思ってはいるけれど、ハルマ様との結婚は考えてはいなかった。
「レインがそれを望んでいるのですか?」
「ちがう、俺の気持ちを伝えただけだ」
「そう」
王位継承第一はレインで、王妃継承順位一位は、私だ。
第二は、リリーなのだ。
私とリリーは幼い頃から、上に立つ者としての教育を受けてきた。
リリーは途中で、勉強を止めてしまったが、血の濃さを言えば、私達二人なのだ。
お父様がリリーを修道院に入れなかった理由は、そう言った後継者である事が影響しているのかもしれない。
冷静に考えて、お父様は、私よりリリーを後継者にしようとしているのかもしれない。
私はフェルトと結婚をさせられたのだ。
フェルトが不倫をしてなければ、私は子供を授かった可能性もないとはいえない。
「ニナ、ボーッとしてどうしたのだ?」
「子供の頃のことを思い出していたのよ。たいしたことではないわ」
「食事は、ダイニングに降りてこないか?」
「そうね」
レインが私と共に食事をしたがっているのだ。
拒む理由もないので、私の部屋で食事をしている。
「レインを独り占めにしたりして、ごめんなさいね。今日はもう約束をしているの」
「そうか残念だな」
私とレインは、一応、結婚式を挙げている。
ウエディングドレスではなくても、教会で誓い合ったのだから。
私から不実な別れ方をするつもりはない。
扉がノックされて「俺だ」とレインの声がした。
扉を開けてレインは入ってきて、ソファーにハルマ様の姿を見て、途端に不機嫌な口調になった。
「どうして、ハルマがこの部屋にいるのだ?ここは王妃の部屋であるぞ」
「王妃の部屋にするなら、夫婦の寝室の隣に部屋を移すべきではないか?いつまでも客人扱いしている。レインの心境が理解できない。レインがニナをいらないなら、俺が立候補したいと思って会いに来たのだ」
「では、直ぐにでも夫婦の部屋に引っ越しをする。ニナは王妃の部屋に移ってもらう。ニナの身体の具合を見ていたのだ。不自由な身で、慣れない部屋で過ごすのは大変だと思っていたのだ」
夫婦の部屋は、きっとベッドルームの隣の部屋だと思う。
カビ臭くて、とても汚れていた部屋だ。
一応、私が掃除をしたけれど、あれからずいぶん経って、部屋も汚れているかもしれない。
「私はこの部屋でいいのよ。慣れてきたし」
「この部屋には、装飾品の類いもない。それに王妃の部屋よりずっと狭い」
ハルマ様は、全てが気に入らないように、レインに文句を言う。
「プレゼントもないのか?本心でニナを愛しているのか?」
ハルマ様は、私の名前を呼び捨てで呼んでいたことに、今更、気づいた。
「この殺風景の部屋を見て、客人を招いているより、ただ、ここに住んでもらっている様に感じる。花の一輪さえないなど」
「ハルマ、花がこの辺境区にあると思うのか?雑草を摘んできて、プレゼントする方が失礼になるとは思わないのか?この地区にあるのは、鉱山と装飾品を作っている作業場くらいだ。毎日、宝石をプレゼントしても、ニナは喜ばないと思っている。それより、時間が空いたら、会いに来る方が、ずっと喜んでもらえると考えて、俺はそれを実践している」
確かにレインは、以前より私に会いに来てくれている。
話がなくても、側にいて、手を握ってくれている。
それが愛情表現だと、今、知ったが。確かに放置されるより、レインの温かさを感じられた。
「邪魔だ。夫婦の間に、勝手に入ってこようとするな。俺はニナとは別れない。それから、俺の妻の名前を呼び捨てで呼ぶな。ニナは王妃であるぞ」
「お披露目会もしてないくせに、よく言う」
ハルマ様は、吐き捨てて、部屋から出て行った。
仲のよかった仲間に亀裂を入れてしまったようで、申し訳がない。
「ニナ、恥ずかしい所を見せた」
「この頃、喧嘩をなさっているの?」
「ああ、ハルマがニナを好きだと、言いふらしているのは知っていたが、まさか部屋まで乗り込んでいたなど知らなかった」
「ハルマ様がいらしたのは、今日が初めてですよ」
「これからは、部屋には入れないで欲しい」
「はい」
「俺の妻はニナだけだ。王妃になるのもニナだけだ」
レインは私に言い聞かせるように、言葉に出して思いを伝えてくださいました。
そして、久しぶりに、私を抱きしめてくださいました。
「レイン、キスをください。不安になるの」
「何も不安はない。身体を労っていただけだ」
やっとレインはキスをしてくださいました。唾液が絡まるほどのキスは、まるで今から抱かれてしまいそうなキスです。
どうか私を嫌いにならないで……私はキスの間中、願っていた。
長いキスの後、私はレインに抱きしめられていた。
フワフワと気持ちがよくて、久しぶりに不安も寂しさも綺麗になくなりました。
「レイン、好きです。私を嫌いにならないでね」
「ニナこそ、俺以外の男を好きになるなよ。俺が心に想っている相手はニナだけだ」
「ありがとう」
心から感謝の言葉が出た。
醜くなっても、好きでいてくれる事が分かり、心が軽くなった。
「ニナ、夫婦の部屋に移ってくれるか?俺の執務室にも近い。護衛も俺の部屋と共にしてもらえる。この辺境区は人材が少ない。今、ニナがいる部屋に護衛を付ける余裕はない。夫婦の部屋ならば、俺の執務室の近くだ。俺も安心できる」
「お願いします。でも、レイン、後悔はないですか?本当に私と結婚してくださるの?」
「何を言っておる。結婚式は既に終えているではないか?」
「そうですけれど」
「ウエディングドレスを着たければ今から作って、出来上がったら、もう一度結婚式を挙げるか?」
「ウエディングドレスはなくてもいいです。結婚式もあの小さな教会でしました。私が心配しているのは、背中に刀傷があっても、私を抱いてくださるの?美しい令嬢も綺麗な肌の令嬢も多くいるわ。私は正真正銘の傷物になってしまったの。私を抱くたびに後悔するなら、結婚はなかったことにした方がいいと思ったのよ」
「ニナ、まだ痛むであろう。もう少し経てば、痛みも軽くなる。抱くのはそれからでも遅くはないと思っているだけだ。決して、傷物だとは思ってはいない」
「ありがとう」
私はレインの言葉が嬉しくて、心から安堵して、涙が流れた。
私は自分の傷を見てはいない。
傷を見たら、ショックを受けることは見る前でも分かる。
この傷を、この先背負っていくのに、傷跡が醜いと言われてしまったら生きていけない。
全ての男性を拒絶して、一生を一人で生きて行く覚悟を付けなければならないと考えていた。
レインのことは、妹のリリーに任せるより仕方がないと諦めていた。
戦う前に敗北し、レインの事を頼む覚悟を付けなければと思っていた。
それが、何より辛かった。
「ニナ、泣くな。いや、泣いてもいい。俺の前でなら、どれほど泣いても涙を拭いてやれる」
「レイン、好きです。私を嫌いにならないで。私を抱いて欲しいの」
「急ぐな。俺はニナしか抱かない。信用してくれ」
私は泣き疲れて眠ってしまったようだ。
知らぬ間に、ベッドに寝かされていた。
レインの姿はなかったが、枕元に便箋が置かれていた。
『仕事に戻るよ。夕食の時間に来る。それまで眠っていなさい』
私の身体は、自分が思っているより、疲弊して、衰弱しているのかもしれない。
レインは医師から、いろんな注意を受けているのかもしれない。
便箋を抱えて、また眠りに落ちていく。
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