第14話 何もかも重い

 ネグリジェとガウンを着た私を、レインは私の部屋に連れて行った。


 まだアニーは来てないようで、ホッとした。


 15才のアニーに、抱き合ってきたばかりの姿は見せられない。


 見せてはいけないような気がして、緊張していた。



「アニーはいないようだな」


「よかったわ、こんな姿、15才のアニーには見せてはいけないと思うの」


「そうであるな」



 レインは私をベッドに下ろすと、考えている。


 わたしはベッドに横になった。


 レインが私にキルトを掛けてくれる。


 今朝は少し、疲れてしまった。


 もう少し、横になっていたかったが、部屋にアニーが来てしまうと気が焦ってしまった。



「この辺境区にはメイドはいないのだ」


「メイドはいらないわ。私、寄宿舎にいましたから自分の事は自分でできますし、アニーはいい子だけれど、こんな姿は見せられないし、気を遣って、寧ろ疲れてしまうわ」


「でも、話し相手は必要だろう?」


「そうね、孤独は寂しいけれど、レインがいてくださるなら、私は平気よ」



 扉がノックされて、「おはようございます」とアニーの元気な声が聞こえた。


 アニーは足早に部屋に入ってくる。


 私の姿を探しているようだ。




「アニー、寝室だ」


「レイン辺境伯、おはようございます。ニナ様、具合が悪いのですか?」



 アニーは私の顔を覗き込んでくる。



「アニー、ニナは風邪気味のようだ。少し休ませてあげよう」


「アニー、せっかく来てくれたのに、一人で休ませてもらってもいいかしら?」


「分かりました」



 アニーはお辞儀をするとベッドルームから出て行った。


 部屋から出て行くのかと思ったが、ベッドルームから出て行っただけで、部屋の中のソファーに座ったようだ。


 中央都市のメイドなら、主人の持ち物であるソファーに座ることはないが、アニーは農家の子だ。本来のメイドの常識は通用しない。


 アニーの職場は、私のこの部屋になっている。




「レイン、お食事は申し訳ないけれど、レインだけで召し上がってください」


「ニナの朝食はどうするのだ?」


「今は、眠くて」


「では、昼食に迎えに来る。ゆっくり眠りなさい」


「はい」



 レインは私の頭を撫でると、寝室から出て行った。



「アニー、こちらにおいで」


「はい、レイン辺境伯」



 レインはアニーを連れて行ってくれた。


 私は自分の身体を抱きしめて、キルトの中に潜った。


 涙が流れた。


 フェルトが私を抱いていなかった事が、とても嬉しかった。


 清い身体であったことが嬉しかった。


 レインと一夜を過ごせたことが嬉しかった。


 ネグリジェを着るとき、レインが濡れたタオルで体を拭ってくれたので、不快な感じはない。


 殿方は優しいのだと初めて知った。


 これが愛情なのね。


 お婆様、王子様に出会えましたよと、心の中で囁く。


 気怠い眠気が、そっと私を眠りに誘っていく。




 *




 目を覚ますと、部屋は静かだった。


 ベッドから起きて、時間を確認する。


 10時だった。


 けっこう長く寝ていた事に驚く。


 着替える前に、身体を洗いたかった。


 お風呂に入ったが、この宮殿にはシャワーがない。


 湯船に湯を貯めることにした。

 先に脱いでしまったので、裸だ。


 鏡に映った胸に赤い痕が付いていた。


 レインがキスをしたときに、付いてしまったのだろう。


 手で擦ってみたが、その赤い痕は取れなかった。


 湯を掬って、濡らして擦ってみたが、やはり取れない。


 私には知識がなさ過ぎる。


 学生時代に、友達はいたが恋人はいなかった。


 キスも初めてがフェルトだったが、触れるだけの挨拶のようなキスしか知らなかった。


 キスをしたら、痕が残るのね。


 もしかしたら、愛されたキスをされると痕が残るのかしら?


 私は他にもキスの痕を探す。


 両胸にキスの痕を見つけた。


 それが嬉しかった。


 お湯が溜まったので、頭と身体を洗い、湯船に浸かる。


 レインが触れた陰部に、触れてみた。


 貝のように、しっかり閉じたそこを撫でる。


 彼を受け止めてくれますようにと、心の中で願う。


 きっと、レインしか、私を満たしてくれる人はいないのだと分かった。


 レインと本当に結ばれたい。


 最後まで抱いて欲しい。


 フェルトとは嫌だったけれど、レインは私の特別だ。


 レインとの子が欲しい。


 お婆様が望んでいたように、ブルーリングス王国の血族を増やしたい。


 レインにお願いしてみようかしら?


 私をもっと抱いて欲しいと……。


 お風呂から出て、バスローブに着替えると、髪を梳かし、肌を整える。


 長い髪は洗うのも乾かすのも時間がかかる。


 中央都市にはシャワーがあり、髪は侍女が洗ってくれる。


 寄宿舎に入ったとき、その不自由さに髪を切りたくなったが、切ることは躊躇われた。


 まだ私は若い。


 結婚だって諦めたわけではない。


 看護師になっても、出会いがあれば結婚したい。


 その時に、リリーのように短い髪だと幻滅されてしまう。


 未来のために、私は自分の長い髪を自分で洗った。


 二年でやっと慣れた。


 辺境区に来たら、シャワーがなかった。


 髪を洗い、泡を流すのに、何度も桶で湯を汲み頭を流す。


 桶は重い。


 長い髪が億劫になるが、レインは私の長い髪を気に入っている。


 レインのために頑張ろうと、湯を汲み泡を流す。


 腕はクタクタだ。


 喉が渇いたけれど、アニーがいないので、部屋にお湯がない。お茶も淹れることができない。


 侍女を断ったのは、私だから仕方がない。


 紅茶のカップにお水を汲んで、それを飲む。


 今日は教会に連れて行ってくれると言っていた事も思い出して、白いドレスを着ることにした。


 髪留めは、金で美しく装飾され、透明な宝石で飾られた物にした。


 今日は二人だけの結婚式だから、できるだけ清楚にしたい。


 指には、瞳の色と同じ宝石が付いた指輪をはめている。髪を結うときは、指輪が邪魔をする。仕方なく、指輪を外して、髪を結い上げる。高い位置で固定して、髪飾りを付ける。


 お化粧もついでにしてしまう。


 全て終えた後に、指輪をはめる。


 暫くしたら、扉がノックされた。



「入ってもいいかな?」



 レインが遠慮気味な声で尋ねてきた。



「はい」



 私は元気よく答えた。


 扉が開くと、レインは一瞬動きを止めて、そして嬉しそうに走ってくる。



「綺麗だ。なんと美しい」



 私を抱きしめて、顔中にキスをして、私を見つめて、唇に唇を合わせる。


 触れるだけのキスだけれど、それだけで嬉しい。



「レイン、食事を終えたら教会に行くのだと思って、白いドレスにしたのよ」


「ああ、教会に行こう」



 レインの手が私の手を繋ぐ。



「身体はもう平気か?」


「よく眠れました。私、自分の事なのに、自分の事をよく知らないみたいです。色々教えてくださいね」


「何が分からないんだ?」


「胸に赤い痕が付いていたの。愛のあるキスをすると痕がつくのね?」


「ああ、そうだな」と言って、レインは少し笑った。


「ニナはなんと可愛いんだろう」


「私、変なことを言ったかしら?間違っていたら、きちんと教えてね。後で恥を掻くわ」


「あれは、俺の印をつけたのだ。所有印と言う名のキスマークだよ」


「所有印のキスマークですか?私、嬉しくて。初めて見たの」


「そうか?」



 レインは、私の手を引っ張ると、手首を出した。


 そこにキスをする。


 吸うキスをしながら、私を見ている。


 手首にキスして、どうしたんだろう?


 チュッと音を立てて、唇を離したレインは、私の手首を持ったまま、私に今までキスをしていた所を見せた。




「まあ」



 そこには、赤く色づいた印がしっかり刻印されている。



「凄いわ」


「ニナもしてみるか?」


「いいの?」


「いいぞ」



 レインは手を差し出してきた。


 私はレインの手を支えて持つと、レインの手首に唇を寄せる。


「力一杯吸ってごらん」


「分かったわ」



 私は吸血鬼になったように、レインの手首に吸い付いた。



「そろそろいいかな?」



 レインの声を聞いた後、もう一度、思いっきり吸って唇を離した。


 私の口紅に彩られ、赤い印ができていた。



「できたわ。でも、ごめんなさい。口紅が付いてしまったわ」



 私は、ハンカチを出して、口紅を落とそうとしたけれど、レインは、「駄目だ」と言って、私が付けた所有印にキスをする。



「今日は、皆にこの所有印を見せびらかそう」


「他の誰かに見せるなんて、恥ずかしいわ」


「ニナが俺を愛している。誰にも俺を渡さないと、この所有印は教えてくれているんだよ?」


「なんて恥ずかしい事をしてしまったのかしら」



 私は、急に恥ずかしくなる。


 せめて口紅だけでも落としたいのに、レインは宝物のように、私には届かない高いところに手を挙げてしまう。



「さあ、昼食だ。朝食を抜いたニナは、二食分食べるんだよ。この辺境区で栄養失調になったと噂が立てば、療養所の手続きが難しくなる」


「ええ、二食分は食べられないと思うけれど、しっかり食べるわ」


 レインは、所有印の付いてない方の手で、私の手を繋ぐ。


 部屋を出て、ダイニングに向かう。


「教会は、遠いのですか?」


「馬車で移動するが、それほど遠くはない。国王陛下に牧師の依頼もしなくてはならないな。教会は古くて無人なのだ。村人が掃除をしているから、汚れてはいない。この先、療養所を建てて、病人を受け入れるようになれば、牧師の存在は、病人の心の拠り所になるだろう」


「そうね、病気になると心細くなるもの」


「ああ、療養所は末期の患者も受け入れるつもりでいる。最後の時に立ち会う者も必要になってくる」


「旅立つとき、牧師がいてくれたら、安らかに天に召されるかもしれないわね」


「建物は完成間近なのだ。首都の中央都市にも、宣伝をしてもらえるように、国王陛下と手紙の遣り取りや俺が馬で駆けていく」


「馬で行くのと馬車で行くのとは、かかる時間はずいぶん違うのかしら?」


「ああ、馬だと融通が利くから、走る速度も違うしね」


「そうなのね」


「どうした?もう中央都市に戻りたくなったのか?」



 私は首を振った。


 もともと、私はこの土地に移住するつもりで邸を出てきた。


 けれど、レインが中央都市に戻るときは、私は留守番になるのね。


 寂しいと思った。



「レインは私と結婚してくれるのね?」


「食事後に、結婚をする。田舎の教会では嫌か?」


「嫌じゃないわ」



 寂しいけれど、レインがしようとしていることは応援したい。


 ブルーリングス王国の建立の為だ。


 私欲の為の甘えは、レインの邪魔になる。


 ダイニングルームに入ると、大勢人がいた。


 昼食はバイキングのようだ。


 たくさんの料理が並んでいる。




「ニナ、自分で取れるな?」


「はい」



 トレーとお皿が並べてある。


 レインはトレーにお皿とフォークとナイフを並べて、私にくださった。



「ありがとうございます」


「ありがとうでいい。緊張するな」


「はい」



 私はレインの後を着いて、料理を少しずつお皿に載せていく。


 レインのお皿は、何もかも山盛りになっていた。


 ダイニングの出入りが激しい。


 ここに勤めている者が皆さん、ここで食べているのね?


 食べたら出て行く。


 そんなスタイルのようだ。


 トレーを持っているだけで、手が痺れてきて、片手でトレーを持ち、料理を取ることができない。


 困ったわ。



「トレーが重いのだな?どれが欲しいのだ?」



 私はレインの顔を見上げた。


「どれが美味しいか分からないから、少しずつ食べてみようかと思ったの。でも、私は無理みたい」


「料理なら取ってやろう。明日からはニナの分は取り分けてもらっておくよ」


「いいの?」


「部屋も別部屋にしてもらおう。落ち着かないであろう」


「それはきっと規律違反になるはずよ?」


「規律を決めるのは、俺だ」



 レインは、私のお皿に、私が言ったように、少しずつ、いろんな料理を盛り付けてくれる。


 重くなっていくトレーを持っているだけで、手が震える。




「ハルマ、ビストリ、ちょっと手伝ってくれるか?」


「どうした?」


「ニナのトレーを持ってやってほしい。ビストリ、ニナをテーブルで休ませてやってほしい」


「ああ、分かった」



 両手からトレーを受け取ってもらえて、力が抜ける。


 座り込みそうになった私を、ビストリ様が支えた。



「頼む」


「こちらにどうぞ」


「すみません」



 ビストリ様は、広いダイニングの中の、昨日、私達が座っていた所に連れて行った。


 テーブルは大雑把に分けられているようだ。


「大丈夫?」


「ここは、何もかも重くて」


「力仕事をしている大男が、持つ物だ。トレーも木製で、それだけで十分重い。レディーが持つ物ではない」


「私、看護師で、ここに来たけれど、私には人の身体も重くて、持ち上げることもできずに、何も役立てなかったのね?」



 私は辺境区を舐めていたのかもしれない。


 看護学校では、優秀な成績を取れたけれど、実践になると変わる。


 中央都市の病院は、それほど力はいらなかったけれど、この地では力が、先ずいる。


 料理一つ、自分で確保できないなんて、考えてもいなかった。


 この地で私ができることは、レインの妻になり、子を産むことだけのようだ。


「美しい髪だね。洗うのは、大変じゃない?」


「大変よ。中央都市にはシャワーがあったけれど、ここにはないもの。切ってしまおうかしらって思うの。でも、レインが私の髪を褒めるから、頑張っているのよ」


「この地に来て、たった三日だよ。もう頑張らないとできないの?」


「重いの。水桶も重いの。この髪を流すだけで、何度桶を持ち上げるのかしら?」


「それは、早急に宮殿の水道工事を行わなければ」



 私は顔を上げた。



「レイン、探し求めていた嫁を苦しめたらよくない。悩みは小さいうちに聞いてあげなくては」


「助かった、ビストリ。この美しい髪を失うだけではなく、ニナも失ってしまう所だった」


「いや、近いうちにサーシャも来るであろう。苦労はかけたくはない」


「この宮殿にも、メイドをおいても、もう安全ではないか?メイドの募集をしてみたら、どうだ?」



 いつの間にか、私の前にトレーに載った昼食が置かれていた。


 飲み物は、紅茶とミルク。デザートもあった。イチゴのタルト。きちんとタルト生地でできている。


 パンはロールパンが二つ。


 きちんと食べられる量に調節されている。


 お皿の上も、きちんと上品に並んでいる。


 その優しさに、涙が零れた。



「レイン、その手首は何だ?ニナ嬢とお揃いではないか」


「俺達は、まだ寂しい身だぞ。そう見せびらかすな。だが、おめでとう。お揃いの指輪もよく似合っている」


「瞳と同じにしたのだな?忘れるな?ブルーリングス王国の王妃のティアラと王の王冠もその色の宝石で作るのだぞ」


「ああ、もう依頼している。出来上がったら、ブルーリングス王国の誕生だ」



 レインが、私の背中を撫でる。


 顔を上げると、流れた涙をハンカチで拭ってくれた。



「お食べ」


「いただきます」



 レインは微笑んだ。


 ハルマ様とビストリ様は、コーヒーを持ってきて、テーブルに着いた。


 遅れて、クローネ様が大盛りの皿を載せたトレーを持って、やって来た。



「療養所の建物は、そろそろ水道工事を始めてもいいだろう」


「水道工事は、宮殿から始める」


「ボロいから、とうとう、水漏れが始まったか?」


「その補修もしよう。シャワーを付けようと思っているんだ」


「それは、便利になるな」



 クローネ様は微笑んだ。


 いつも無口なお顔に笑顔が浮かんでいる。


 いいことでもあったのだろうか?



「クローネ、何かいいことがあったのか?」


「近いうちに、中央都市に戻らせてもらってもいいだろうか?」


「何かあったのか?」


「妻から、戻って来て欲しいと手紙が届いた」


「それならば、国王陛下に手紙を届けてもらいたい。いつ立つ?」


「レインの書類が出来上がり次第だ」


「早めに片付ける」



 クローネ様は、レインと私の手首を見て、ついでのように指輪にも気づいたようだ。


「ゆっくりでいいぞ。今は、ニナ嬢と仲良くしていた方がいい。おめでとう」


「ありがとう、クローネ」


 私もお辞儀をした。



「それを我々に見せびらかしに来たのだな?」


「ああ、そうだ。口紅付きだ」



 レインは私が付けた所有印を、皆に見せびらかす。


 私はとても恥ずかしかった。


 けれど、同時に、レインは素晴らしい友人に恵まれていると思った。


 私には友人はいないけれど。

 


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