「まつくまかな」

第1話


 江戸からほど遠い辻に旋風が走る。暴れん坊として名高い一之助がじゃらんじゃらんと八尺に及ぶ錫杖を鳴らしている。修験どころか修羅の道を行き、身の丈七尺余、でっぷりとした褌一丁。ひん剥くような濁った眼、傷痕あらわな赤銅色の肌に栗色に縮れた蓬髪と髭、錫杖を握る手も毛に覆われ……鬼だ。

うら若いおんなは皆店や、老婆に手を伸ばされて屋内へ逃げた。刀を下げた武士すらもその場を後にした。

 伍介だけが呆然と逃げ遅れた。一之助は伍介を見るや「飯」周囲の家々の軒先を揺らすほどの声。おんなを匿った老婆が伍介を手招いた。伍介は必死で飛びつき、老婆が用意した卵焼きやめざしやらを整えたお膳を受け取り、一之助に捧げる。他にも近隣の店が仰々しく酒と餅や軍鶏を捧げている。

 一之助が地に座る。往来にできた宴席に気を良くし、次は「おんな」と声を張る。示し合わせたように年増のひとりが一升瓶を持つ。手が震えている。

 一之助は酒を零しながら飲み「まずぃ」老婆が用意したものは皆吹き出した。肉を、米を喰らう。往来で小便も、糞もしたし、飯も、おんなも食らった。

軒の下から、恨み骨髄の瞳が灯る。数はざらに百を越えていただろう。ひそひそ、誰それが錫杖の一撃で吹き飛んだと、赤銅色の肌を刺されて喜ぶと、誰も敵わなかったと。あの太い首に十五両にも及ぶ報奨金をかけた事が漏れ聞こえる。


 伍介は嵐が過ぎた後、老婆へ礼を言いに街へ。老婆は伍介をみるや「よかったねえ、よかったねえ」怪我がないのを泣いて喜び、家の中へいざなった。伍介も脚の震えが収まらぬまま、かまちを上がる。

伍介は、噂は知れども初めてこの町に来た。借金と刀をぶらさげて。老婆に正体を言えなかったが、老婆はもうわかっていたようだ。

「悪いことは言わないよ。早くお逃げ。生きたい人間が、死にたい鬼に敵う訳がないのだから」

 それでも伍介はなさねばならぬ。借金のかたに嫁が挙げられているのもひとつ、来たのが隣町という山一つしか違わない地理がひとつ。一之助がこの街に飽きたら次は己の街に来るだろう。

 老婆は語る。過去三度討伐隊があった。敵わぬと悟っておんなに刀を持たせた。酒に毒を、飯に汚穢を混ぜて捧げた。その、誰もが骨を砕かれた。

「あたしゃ悔しい。けど、海の荒れるのを、山が崩れるのを、誰が止められるか。鬼も同じこと」

老いて乾いた肌の上に涙を流している。伍介を言葉で止めながら、世話を焼いてくれた。三度の飯を出し、伍介の息子六郎への文を届けて、悪逆非道の限りを語る。縁談が壊れたおんなの話、仇を討とうとしたおとこの末路。

 聞くうちに伍介の迷いは不思議に晴れる。不退転の道に、義憤という飾りをつけた。何よりも齢五つの幼子を砕いたのが、許せなかった。伍介の息子はもう元服してはいたものの、昔五つだったころの、まるい姿を思い出すと、身内が震える。

 一之助のねぐらは誰も知らない。熊を殴り殺してあなぐらに居るとも、いや恨みある人間が隠しているとも様々だと老婆は言った。

「なら、待たせて貰おう。首級を取ったら、礼をする」

「そんな、あんな、大風だって逸れちまうようなものを、相手にするのかい」老婆は飛び上がった。

「隣町に逃げ帰っても、名折れになる」

「嫌だよ。あたしゃあ、そう言って帰ってこないのを、幾らでも見てるんだからさ。ねえ、止めときな」

「なら、何時までああして無法を許す。そのうちに誰も居なくなるぞ」

「それは、きっと、そうなる前に、お侍さんが隊列を組んで……」

「それも潰されているのだろう」

 老婆は「……そうかい」しおしおと座り直した。伍介も、刀の手入れをする。曇りがちな刃紋に切れ長の目が映った。


 五日目、旋風の音を聞きつけ、伍介は戸を開けて界隈を見た。錫杖の音がする。刀を引き寄せて、通りを走る。「飯」野太い声が轟く。「待たれよ」伍介が割って入る。

「その方、なにゆえこうも無礼を働くのか」

一之助は錫杖を右肩にかけると伍介に首を突き出し、蓬髪に手を突き込んだ。「俺ァな」髪をかき回すと握りこぶし一つに満ちた金貨を差し出す。

「――この町に恨みがあるだけだ。他所もんにゃ興味はねえ」

ばらばらと地面に金が落ちる。伍介はそれに唾を飲んだ。

「受け取れん」

直後、剣をかざしながら後ろに腰を抜かす。頭の上を錫杖の尻が鋭く突いた。なまくら刀はどうやら一升瓶よりも太い腕に当たって、びいんと骨に弾かれる。一之助がにいと嬉しそうに嗤う間に、辛うじて、抜けた。命からがら、降ってくる錫杖を避ける。

 軒先の眼が増える。伍介も肝を据えて、切り落とす事を諦めて突きに専念した。錫杖が地面をえぐり、

なまくら刀が滅茶苦茶に突きを入れる。「死ぬものか、六郎、えい」一之助は飛び上がり、屋根瓦を踏んで零しながら太陽を背負う。

「それは、誰だ」

「息子だ。勇敢な……」

「尚更だな。あれを拾って、帰れ」

「臆したか。子をも砕く鬼が」

一之助は応えず、飛んだ。向かいの長屋に着き更に飛ぶ。「待て」伍介も必死で追った。

 錫杖が一件の家の屋根を突き壊した。「おい、婆ァ、居るんだろ」片腕で錫杖を回す、落とす。掻き回す。中から悲鳴が上がり、伍介が世話になった老婆が転がり出てきた。

「飽きた。その、婆ァを殺せ。そしたら、俺も引き上げる。首をくれてやっても、いい」

「何だと」

 老婆は縮み上がり、言葉も出ない。一之助が屋根から飛び降り、伍介は老婆と彼との間に立った。

「飽きたと言った。そら、もうその老い先短い命ひとつで済むなら安いじゃねえか」

「断る」

「……そうかい」

 一之助はまた屋根に飛び上がり、元来た道を戻った。「逃げるのか!」伍介が声を枯らして呼べば「明朝、また、来る」錫杖の音も高らかに逃げた。後には、金をつかもうとして骨を折られた男どもが呻いていた。


 事ここに至ってようやく、武士が揃う。おんなたちも期待に満ちて支度を整えた。伍介は老婆を気にかけて、立ち働くおんなに聞いてみた。おんなは鼻で笑った。

「あんなもの。嫁いびりで孫を鬼にした糞婆ァさ。あんたも脅されたろ。人を食うとか、色々と」

伍介が訳を聞こうにもおんなは「そうして、村の外から来たのはみぃーんな、追っ払っちまうんだ」吐き捨てて走り去った。

 伍介は悩みながら夜を超す。待てと言うほど時は過ぎ、日が昇る。鎧兜から鍋の兜まで揃った行列の先頭に老婆が縛り上げられ、項垂れていた。如何にも哀れなものだ。

 旋風。一之助は椿を描いた真っ赤な打ち掛けを肩に羽織り、蓬髪も高く一つに結い上げていた。髭を剃った顔は死に行く覚悟に惑いなく、酒で濁る眼にひかりが透き通っていた。伍介が斬った左の前腕には経文を写し込んだ布がある。

 彼は錫杖を鳴らし「見殺しにした手前ぇらに、やる首ねえよ」と先ず言った。発砲音を飛び上がって逃げ、屋根を走る。「おらァ」隊の内側に飛び込むと裾に弾の痕が空いた打ち掛けを握り、片手で錫杖を振るう。五人吹き飛び、壁の向こうへ。「どうした」もう一振りで六人の骨が折れる。

 辻に広げた隊は崩れて、逃げ惑う人で溢れた。未だ前髪をつけた若武者が音もなく一之助を刺す。野太い腹に脇差は突き抜ける事も出来ず、若武者は軽く放り投げられた。

「どうした、余所者ォ!」

伍介は気迫に飲まれて、剣を最上段に振り上げた。


「あたしゃ悪いことしてないよ」老婆はそう言ったものの、磔になった。伍介の息子に手紙を届けるために、関所を勝手にくぐり抜けたようだ。伍介は許しを願った。許しが出たのは、誰かが報復した後だった。

 隣町に帰った伍介は十五両を握りしめてしばらく泣いていた。泣いているうちに金は借金取りの巻き舌にすくい取られ。僅かな残りに、腰の物を売り払ったものとを合わせて、一之助と老婆の供養をした。

父の気落ちを他所に、六郎はかつて無い活躍話を待ちながら眼にひかりを透き通らせ、熱心に竹光を振っている。

(この子は鬼か、あの若武者か)

伍介は慣れない酒を飲んだ。ちらほらと周囲から、あんまりにも出来すぎた鬼退治の噂と、妻の愚痴とが流れ込んで来ていた。

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「まつくまかな」 @kumanaka2023

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