第1章「異世界転生して、ざまぁ」⑵

 ヨシタケが目を覚ますと、そこは雲の上だった。足元には真っ白な雲海が、頭上にはトラックにはねられた直後に見た、朝焼けと青空が交わったような美しい空が広がっている。

 不思議なことに、生ゴミの臭いが一切しない。頭の上にへばりついていた腐ったバナナも、キレイさっぱりなくなっていた。


「どこだ、ここ? 服はスーツのままだけど……もしかして、死後の世界ってやつか?」

「よく分かりましたね、狭間ヨシタケさん。そう……貴方は死んだのです」

「っ?! だ、誰だ?!」


 動揺するヨシタケの前に、長い金髪の女性が雲海をかき分け、近づいてくる。

 見るからに神々しい女性で、白い布を巻いて作った装束をまとっている。背中には、天使のような大きく白い翼を生やしていた。


「ご覧の通り、私は女神です。この死後の世界で、貴方のような転生者の方々を異世界へ導く業務……ではなく、使を担っています。気軽に"女神ちゃん"や"女神たそ"って呼んでもいいのですよ?」

「はぁ……」


 ヨシタケは自称女神の女性を怪しみつつ、気になっていたことを尋ねた。


「女神様が出てきたってことは、俺はこれからどこかの異世界に転生させられるんですか?」

「おっ、分かってますねー! 最近の人は話が早くて、助かりますー」


 女神は面倒な説明をしなくて済むと分かり、嬉しそうに顔をほころばせた。


「本当は転生先とか職業とか自由に選ばせてあげたいところなんですけど、ヨシタケさんは勇者適正があったので、強制的に勇者として転生して頂きます。ただ……ヨシタケさんがこれから転生する異世界の仕組みが、すこーし変わってるんですよね」

「具体的に、どう変わってるんです?」

「えーっとですね……」


 女神は雲海の中から分厚いファイルを取り出すと、ページをめくりつつ答えた。


「攻撃方法が一つしかありません」

「一つ? ひたすら剣で殴り合うとか、炎系の魔法しか存在しないとかですか?」

「いえ、剣も魔法もどちらも存在します。ただ……攻撃するのに必要なものが共通しているのです」

「それは?」

「それは……」


 女神はゴクっと唾を飲み込むと、深刻そうな口ぶりで答えた。


です。この世界において、相手をざまぁすることこそが、唯一の攻撃手段になりうるのです!」

「…………はぁ」


 ヨシタケは理解できたような、できていないような声で返した。おそらく理解してはいないだろう。

 何故ならヨシタケが知っている「ざまぁ」は、物語のジャンルやストーリーの展開、相手を馬鹿にする時などに使う言葉であって、決して攻撃手段として使うことはないからだ。

 まぁ、精神的にはダメージを負うかもしれないが、肉体的には無傷だ。それに、言葉が通じぬモンスターまで「ざまぁ」で倒せるとは到底思えない。

 ヨシタケの頭の中は疑問だらけだった。


 しかし、女神はヨシタケの返答の意味を「話を理解した」という意味だと思い込み、それ以上の説明はしてくれなかった。


「では、"ざまぁ"と言う練習をしてみましょう! なかなか日常会話で使うことがない単語ですから、転生する前に言い慣れておかないと! 正確には〈ザマァ〉という呪文なのですが、発音はほぼ同じなので、問題はないと思います」

「分かりました。ところで、足元がすげー寒いんですけど、どうにかなりませんかね?」


 ヨシタケとしては暗に、「地上に下ろしてくれ」と言ったつもりだったのだが、女神は予想の斜め上の返答をした。


「あー、ごめんなさい。この雲海、ドライアイスを気化させて作ってるんです。さすがにプロジェクターだけだと、立体感が出なくて……"ざまぁ"と言う練習を終えたら、すぐに転生させますから、それまでガマンして下さいね」

「ドライアイス? プロジェクター? じゃあ、ここって本当はあの世じゃないんじゃ……」

「ちゃんとあの世ですよ? 雲海はありませんけど」

「……」


 衝撃の事実にヨシタケが絶句する中、女神は強引に練習を始めた。


「では練習、始めますよー。私が言った"ざまぁ"よりもテンションを上げて、"ざまぁ"と言って下さいね?」

「……はい」

「では、行きますねー」


 女神はすぅっと息を吸い込むと、ヨシタケを指差し、元気良く言った。


「"ざまぁ"!」

「ざ、ざまぁ……」


 言われるままに、ヨシタケも後に続く。

 正直、ヨシタケは「ざまぁ」の練習よりも、本当は自分がどんな場所にいるのか気になって仕方なかった。

 プロジェクターの景色に目を凝らすと、ドアノブ的な突起が見えたが、そんな疑問を払拭させるように女神はヨシタケを叱咤した。


「声が小さい! もう一回! "ざまぁ"!」

「ざ、ざまぁ……!」

「もっと、相手を小馬鹿にする感じで! "ざまぁ"!」

「ざ、ざまぁ!」


 ざまぁと繰り返すたびに、頭の中でエリとランスの顔が浮かび、ヨシタケは怒りを募らせる。

 そのわずかな表情の変化を、女神は見逃さなかった。


「いいですよー、いい顔してますよー! 今度はちょっと、伸ばしてみましょうか! はい、"ざまぁぁ"!」

「ざ、ざまぁぁ!」

「どんどん伸ばしていきますよー! "ざまぁぁぁぁ"!」

「ざ、ざまぁぁぁぁ!」

「もっと全体的に声高に! 鼻につく感じで! "ざまぁぁぁぁぁぁ"!」

「ざまぁぁぁぁぁぁ!」

「いいですよ、いいですよー! その声のトーンのまま、発音も意識してみましょう! はい、"ザマァァァァァァ"!」

「ザマァァァァァァ!」

「では最後の仕上げに、腹の底から大声を張り上げて! せーの、"ザマァァァァァァッ"!」

「ザマァァァァァァッ!」


 二人が在らん限りの大声で「ザマァ」を叫んだその時、ドアノブ的な突起がひとりでに回転し、外からスーツ姿の男がひょっこり顔を出した。ヨシタケと同じ、どこにでもいそうな、平凡な顔の男だった。

 男はわずらわしそうに、ヨシタケと女神をにらんでいた。


「うるさい。後がつかえてるんだから、早く済ませてくれ」

「あー、ごめんなさい。もう終わったんで、大丈夫ですよ」


 女神は男に謝ると、背中に背負っていた白く大きな翼を下ろし、長い金髪のカツラと白装束を脱ぎ捨てた。

 女神の実際の髪は肩につかない長さのボブヘアで、白装束の下には現代的な白いスーツを着ていた。


「それではヨシタケさん、良い異世界生活を。勇者としての活躍、期待しております! "ザマァッ"!」

「〈ザマァ〉ッ!」


 目の前で何が起こっているのか理解しきれぬまま、ヨシタケは反射的にザマァで返した。

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