第82話 左手

 翌日は朝から風呂に入った。恥ずかしいが、ノーラに手伝ってもらって体を洗った。

 そして、龍の血を洗い流すと、さっぱりして終わった感覚がした。

「シオンは腕を失って喪失感はないのか?」

 朝食の席で導師にきかれた。

「少しはありますけど、仕方ないかと。それより、義手を作ってくれませんか? 片手がないので、自分では作れません」

「そうだな。すぐに作る」

 導師は不意に僕の頭をなでた。

 朝食が終わって部屋に帰ろうとするとノーラに声をかけられた。

「シオン様。お着物にしみ込んだ龍の血を飲んでいいですか?」

 ノーラがどこで龍の血の情報をもらったのはわからない。だが、止める理由はなかった。

「いいよ。そんなに不老長寿になりたかったの?」

「もちろんです。女の子はいつまでも若々しくいたいものです」

 ノーラは嬉しそうにいった。

「そうなんだ。カリーヌ様とレティシア様は喜ぶかな?」

「もちろんです。ですが、まだ、気は早いかと。大人になってからの方がいいと思いますよ」

 僕はそういうものかと思うが、どうも龍の血は危ないと直感が働いた。導師に相談をするべきと思った。


 僕は導師の書斎に行き、ドアをノックする。

「入れ」

 導師の言葉を聞いて中に入った。

「すまんが、まだ、義手はできていない」

 導師は気を落としてすまなそうにいった。

 つい先ほど頼んだことである。導師が謝るのは間違いだ。

「いえ、龍の血の話です。龍の血は不老長寿の効用があります。それを僕はビンに二十本以上持っています。どうしたら、いいですか?」

 導師は驚いた顔をした。

 そんなに驚くことなのか疑問に思った。

 導師は両肘をテーブルについて考え込んだ。

 僕は導師の返事を待った。

 しばらくして、導師は顔を上げた。

「それは大切な人のために使え。少なくとも大人になってからにしろ。今は封印するように」

 導師は僕を納得させるかのようにゆっくりといった。

「わかりました。でも、ノーラは龍の血を気付いています。服に染み込んだ血をもらってもよいかときかれました」

 導師は驚いていた。

 そして、立ち上がると、僕を置いて書斎から出ていった。

 僕は後を追う。

 導師は厨房でノーラとマーシアを捕まえていた。

「血に染まった服はどうした」

 導師の声は怖かった。

「それなら、ロドリグさんが家宝にすると持っていきました」

 ノーラは泣きそうな声でいった。

「ノーラは血を飲んだのか?」

「まだです」

 導師は二人を離すとベルで執事を呼んだ。

 執事のロドリグは速足で現れた。

「厨房に呼ばれる理由は何でしょうか?」

 執事は理解できていないようだ。

「龍の血で染まった服のことだ。どうした?」

「それなら、額に入れて飾ろうと思います。大業を成した記念です」

 執事はいつもながら穏やかだった。

「そうか。それは他人の手が届かないところに飾ってくれ。盗まれたくない」

「わかりました。そのようにはからいます」

 導師はその言葉を聞いて執事を送り出した。

「ノーラ。龍の血は忘れろ。あれは危険なものだからな。体質が合わなければ命を落とす。私でも飲むのをためらったからな」

 導師はウソをいった。

 導師は血を飲んでいる。ゆえに老化はしない。十年後にはバレるのが、簡単に想像できた。

「そうなんですか? でも、試したいです」

 ノーラはあきらめていないようだ。

「死にたいのなら止めはせん」

 そういわれると、ノーラはあきらめたのか肩を落としていた。

「そういうことだ。勝手に血を飲もうとするなよ」

 導師はメイドの二人にいった。そして、僕の手を取って厨房から去った。

 僕は人の欲の深さを知った気がした。


 僕は導師に両腕を出していた。

 義手のために採寸している。導師の手は優しく僕の手なぞる。

「くすぐったいです」

 僕は笑いそうになる。

「すぐに終わる」

 その言葉は何度もきいた。

 だが、導師はなでるのをやめなかった。特になくなった腕をなでていた。

「義手ができるまでは、午前の勉強以外は休みにする。しばらく休め」

 導師はいった。

 午後の無詠唱の魔術の家庭教師とダンスの練習。その後の槍の練習を休みにするようだ。

 左手がない今ではダンスも槍も練習できない。休むのは仕方ないかもしれない。

 導師は僕の右手を揉む。

「どうしたんですか?」

 僕は導師にきいた。

「いや。こんなに小さくて柔らかいとは思いもしなかった」

 そういいながらも揉む手は止めなかった。

「そういえば、導師にもらった黑い杖をチリにされました。申し訳ありません」

 僕は希少な精神感応金属であるノクラヒロの杖を龍との戦いで失った。

「そんなこと、どうでもいい。買い替えればいいだけだ。お前の手とは違う」

「……はい」

 僕は導師の心がわからない。なぜ、そんなに失った手にこだわるのかわからない。形あるものはいつか壊れるに。

「それより、王が褒賞を出してくれる。何がいい?」

「ノクラヒロの杖が欲しいです。あれは使い勝手がいいですから」

 導師は微笑んだ。

「そうか。なら、そう頼もう」

「はい」

 僕は嬉しかった。ノクラヒロの杖は高い。金貨が簡単に飛ぶ。だから、導師に買ってもらうには気が引ける。王からもらえるのなら嬉しい限りであった。

「うん。大体わかった。三日ほどかかる。それまでガマンしてくれ」

 導師は僕の手を離すと立ち上がった。

「大丈夫です。その間は魔術の本でも読んでいますから」

 導師は書斎の主人の席であるイスに座った。

「お前は変わらないな」

 導師にいわれて思う。

 僕は少しは変わった気がする。裏切られても信用できる人がいる。そして、僕の身を案じてくれる人がいる。前世では思いもしなかったことだ。前世ではどれほど両親に甘えていたのかわかった気がした。

 僕はまだ身も心も大人になれない。それだけが嫌だった。

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