☆『一回目』『一日目』『朝』☆ その2


 支度を済ませて、軽くお茶を飲み終えた頃には、もう八時が近かった。いい加減に起こさないと、遅刻が視野に入ってくる。


「メア、朝だよ」

「うにゃ……?」


 隣のベッドで、でっかいもこもこした羊のぬいぐるみを、文字通り抱き潰しながら、心地よさそうに眠っているのが、入学以来三年間生活を共にしている、私のルームメイトだ。

 名前を夢見ゆめみメアという。


「メア、朝だよ」

「すやぁ……」

「メア、朝だよ」

「ぐう……あと二十時間……」

「よいしょっと」


 三回起こして起きなかった時は、生殺与奪を握って良いことになっているので、まず分厚い布団を引っ剥がす。暖房が入っているので極端に寒いわけじゃないけど、体温でしっかりと馴染んだぬくもりを奪われたメアは、んん、と唸ったが、まだ起きない。


 次に抱きまくらを強引に奪い取る。ここまでされたら常人なら起きるはずだが、それはメアという魔法少女の寝意地汚さを甘く見ている。


「ふにぃ……」


 未だ目を開けないメアの身体を転がして仰向けにして、お腹の上乗ると、パジャマの下から思い切り手を突っ込んだ。


「ん…………っ」


 軽く弄って、肌に触れる、手に跳ね返ってくる反発力の、なんと大きな事だろう。

力を入れれば力を入れた分だけ返ってくる球体の柔らかさは、先程自家発電したそれとは有する質量が全く違う。


 だが、何より重要なのは重量感だな、と思う。一般的に重さと質量は比例する、ということは伝わってくる重さはイコール、それが大きいという客観的かつ科学的な根拠に基づく事実を示している。私の手では全体が収まりきるわけもなく、少し力を入れると指の隙間から余った部分がはみ出てしまう。


 全体を揉み込む。下から持ち上げる。全体を捏ねるように回す。

 こうしてじっくり時間をかけると、だんだんとメアの顔に不快が滲み初めた……あとちょっとかな。


「ん、ん…………」


 しかし、あれだなあ。

 この女……どんどん大きくなってるな……。


 魔法少女の外見は、基本的には変化しないはずだって、さっき回想したばかりなのにな。

 入学当時は私と同じぐらいだったはずなのに、どうしてこう……。

 いや……大きくなった原因は、私か!?


 毎朝こうやって思う様、感触を満喫しているせいで!?


 いや、でも一度触ってみればわかるんだけど、あまりに手を離し難い感触をしているんだよ、こればかりは体験してみないことには理解が及ばないだろうなあ。


「え、あ、う……? …………ひゃああああああああああ!」


 あ、起きた。

 五分近くも身体を好き勝手にいじくり回されたら、流石に防衛本能が働くんだろうな。

 よっこいせ、と私が上から退くと、メアは自らの身体を抱きしめながら、涙目で私を睨んできた。

 せっかく起こしてあげたのに、なんて失礼な態度だろう。まるで寝込みを襲われ胸をこねくり回されるという辱めを受けたかのような態度じゃない。


「どうしたの? まるで寝込みを襲われて胸をこねくり回されるという辱めを受けたかのような悲鳴を上げて……」

「寝込みを襲われて、胸をこねくり回されるという辱めを受けたんだと思うなぁ……!」

「ええっ、一体誰がそんな事を……」

「犯人は貴女だよ!」


 ということで。

 ようやく、私のルームメイトが目覚めた。

 薄いブルーの大きな垂れ目を歪め、恨みがましく私を睨む。

 メアの外見特徴で一番目立つ部分は、何と言ってもこめかみから生えた、羊のようにぐるりとねじ曲がった大きな角だ。ゴツゴツとしていて、本気で怒ったメアはこの角をゴリゴリとぶつけてくる事があり、かなり痛い。

 逆説的に、今は角アタックを受けていないので、そんなに本気では怒ってないはず、自分がねぼすけという自覚があるからかな。


「おはようメア、ご機嫌いかが?」

「今日も抵抗できなかったぁ……」


 ふええ、と涙目になりながら、枕元に手を伸ばし、ケースからどでかい丸眼鏡を身につけるメア。魔法少女の身体能力は、普通の人間より高いんだけど、五感に関しては人によって偏りがあって、メアは聴覚が優れている分、視覚が鈍い。


「毎朝思うんだけど、普通に起こしてくれればいいのに……」

「毎朝思うんだけど、普通に起きてくれればいいのに」


 入学二日目の朝からどれだけ揺さぶろうがビンタしようが布団から落とそうが昼過ぎまで目を覚ます事なく、学園チュートリアルをブッチした伝説を持っているのがメアである。たとえこの手を汚してでも、心を鬼にしてやらねばいけない事があるのだ。


「何かすごく頑張ってる的なことを思ってる……!」

「進級試験の朝までぐーすかねこけて居られる神経は、さすが〝爆睡の魔法少女〟だよ」

「ち、違っ、ちゃんと返上したもん!」


 魔法少女には能力と活動に応じて二つ名が与えられるが、メアの二つ名授与は学園の歴史を見ても史上最速だった。


「とにかく、さっさと準備してよ、朝食食いっぱぐれるよ」

「あーっ! 本当だ……うぇーん」


 寝巻きのメアは、荷物をわちゃわちゃとまとめながら、胸元に目を当てて目を閉じた。

 すると、身体からふわ、とココアブラウンの色をした光の粒子、《魔力光(エーテルライト)》が立ち上り、身体を包み込む。文字通りほんの一瞬だけ裸身のシルエットが見えたけど、それを認識する頃には、もう正装コスチュームへと着替えが完了した。


「おまたせ、いこ、リーンちゃん」

「………………」

「……? どうしたの?」

「いや、何でもない」


 魔法少女のコスチュームは人それぞれで、入学時に《魔法の世界マギスフィア》のコスチューム職人が、生徒から要望を聞いた上で、個人の特性に合わせて一つ一つ手作りしてくれる。


 そしてメアのコスチュームは、青色ベースのふわふわのロングスカートの上からレースのショールを重ねて、もこもこの袖の先端をきゅっとリボンで縛った可愛らしいデザインのナイトドレスなのだ。チョーカーに大きなベルがついてなかったら、多分そのまま寝られる。


 ただ、寝坊しかけて着替えた直後にはどうしたって見えなくて、三年間、結局、部屋を出るときに違和感に慣れたことはなかった。

 私? 私はウィッチハットにマントだよ。転校の手続きに手間取ってる間に要望出すのを忘れてて期限が過ぎてしまい、届いたのをそのままコスチュームとして着用している。なんだかんだ可愛いので気に入ってはいるけど。


 さて、寮室をでたらまずは食堂へ行く。もう少し時間が早かったら腰を据えて朝食を食べられるのだけど、希望する生徒には授業開始前の教室でも食べられる様に、サンドイッチやおにぎりなんかが、その日のシェフの機嫌で用意されている。


「お、来たね二人共」


 生徒は皆魔法少女だが、中で働く従業員までそうとは限らない。食堂で私達を出迎えてくれたのは、私なんかよりよほど学園に長くいる、恰幅の良いおばさんだ。


「ほら、持っていきな。メアは二ついるかい?」

「あ、ありがとうございます、もらいます」


 なので胃袋の許容量もしっかりと把握されている。メアに続いて、ラップで包まれた分厚いカツサンドと、お茶のペットボトルを受け取った。


「へえ、朝からカツサンドってあんまりないよね」


 おばさんに尋ねると、ああ、と満面の笑みで、


「あんたら、今日から進級試験だろ? 試験に勝つにはカツサンドってことよ」


 ありがちな験担ぎだけど、誰かがこうして応援してくれるっていうのは嬉しいことだ。


「それに、昨日ちょうどいい牡丹肉が入ってねえ」

「……牡丹肉ってなんだっけ?」

「イノシシのお肉だよ」


 私の問いに、メアがすぐに答えてくれた。なんならすでに一つ目のカツサンドを半分かじり始めている、食いしん坊め。

 イノシシと豚だとニュアンスが違いそうな気がするけど……ん、イノシシ?


「……ねえ、それって昨日さ……」

「ほら、遅刻するよ! ハルミちゃんに何言われるかわかったもんじゃない、行っておいで行っておいで!」


 それ以上は言わせてもらえなかったので、しぶしぶその場を離れて歩き出す。

 いやあ、まさか、相模原と学園は、だいぶ距離あるし……昨晩の今朝で、わざわざ輸送してこないよ、ね?


 ニュース映像で、プレシャス・プリンセスがシルキーと呼んでいた魔法少女が、もしあの有名な空間転移魔法の使い手、シルキー・ミルキーであれば、学園まで運んでくることも不可能ではない、という予測を考えつかなかったことにして、廊下の窓から外を見た。


 もう見慣れてしまった、海と空を分かつ水平線が、どこまでもどこまでも広がっている。

 国立クロムローム魔法学園は、東京都魔法特区に所属する、全寮制の魔法少女育成機関である。

 性質上、秘匿しなければならないことや、危険な授業も多く行うため、学園の全施設は、なんと海上にある。魔法で作り出された人工島が、私達の学び屋だ。


 だから一応住所としては東京都なのだけど、これで都内在住を名乗れるほど私の面の皮は厚くない。


「またなにか変なこと考えてない?」

「気のせい気のせい」


 講堂と食堂の位置は反対方向なので、結構歩かないといけない。余計な事も考えてしまうというものだ。



「おっ…………お、はようっ、ござい……ます……っ」


 そんな折、前からぱたぱたと駆けてくる娘が、こちらを見つけるや否や近寄ってきて、朝の挨拶とは思えないほど、こっちが申し訳ないぐらいぺこぺこ頭を下げた。


 ぐるぐる巻のターバンに、南国の踊り子を思わせるようなエキゾチックなコスチューム。臍の部分に埋め込まれたアクアマリンの《秘輝石(スフィア)》、何より日頃から抱えている、A2サイズの大きな本は見間違えようもない。


「ファラフ、おはよ」


 同じクラスの魔法少女である、ファラフ・ライラだ。

 左目の下にある菱形の模様が、彼女が《魔法の世界マギスフィア》生まれであることを示している。


『ホッホッホッホ』


 音、というか声を発したのは、ファラフの顔の側に浮かんでいる、ターバン巻いてカイゼル髭を生やした水色の人魂だ。バスケットボールサイズのそいつは、極限までデフォルメされたランプの魔神とでも言うべき姿をしている。


「ジーンもおはよ、どうかしたの?」

『ホッホッホ……』


 ジーン、つまりメアがファラフの《使い魔マスコット》に挨拶すると、そいつは『やれやれ』の仕草をしながら自身のご主人さまを見た。


「あ、朝ご飯、もらうの、忘れちゃって……と、取りに来たんです、まだあるかな……」

「たくさん用意してあったから平気じゃない?」

「そうだよ、ボクも二つもらったよ」


 メアが賛同してくれたが、二つの内、片方はすでに胃の中に消えている。


「あ、そ、そうですか、じゃあ、ミツネさんの分も、もっていこう、かな……あ、ありがとう、ございます……また後で……」

『ホッホッホッホ~』


 性格はなんというか大人しくて引っ込み思案というか、クラスメイトの私達にすらあの態度なので、性格悪い組にはもうこれでもかというほど舐められているファラフなんだけど……。


「すげぇ露出だよね……」

「そ、そうだね」


 コスチューム自体は布が多いんだけど、肩、お腹、太ももがむき出しなデザインなので、見ててこう、ドキドキすると言うか。

 デビューしたら人気が出そうだとは思う。


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