第6章⑩
「玄磨⁉」
「……エージェント・オニキス。随分遅い登場だね」
ピンクちゃんとドクターの声が重なった。
ドクターの名指しに、ピンクちゃん達が「エージェント・オニキスって何⁉」という疑問の声を上げるが、それを見事にスルーして、黒崎さんでありジャスティスブラックでありエージェント・オニキスである青年は、私の横にひょいっとかがみ込んできた。
「レディ・エスメラルダ……いや、柳くんと呼ぶべきか? 酷い顔をしているな」
「きょ、だいな、お世話ですっ!」
「それは失礼。ドクター、アキンド、今回のイミテーションズの大元は突き止めた。後でデータを送らせてもらう」
軽く手を挙げてそう告げる黒崎さんに、ドクターが頷き、アキンドが「流石の仕事の速さでございんすねぇ」と笑う。そして黒崎さんは、周囲を見回して、なるほど、と小さく呟いた。
「マスター・ディアマンとレッドが不在か。柳くんのこの調子から察するに、柳くんを庇ったマスターをレッドが助けに行った、あたりが妥当なところか?」
「…………はい」
あらあらまあまあ本当に察しのよろしいことで‼
あまりにも的確な指摘に、現実を改めて思い知らされて、またぶわりと涙があふれてしまった。
「し、しろく、私のことクビにしたくせに、私のことなんてもう放っておけばいいのに、それなのに……」
しろくんは、もう、私から解放されてよかったのだ。私がどれだけ嫌がったとしても、しろくんがそうと決めたのなら、私にはもうどうすることもできなくて、私と彼の世界は完全に隔絶されるはずだった。
それなのに、こんな形で助けられるなんて、そんなの頼んでない。望んでない。
私は私がどうなったとしても、しろくんがよければそれでいいのに。そのしろくんにとっての『よい』結果が、これだというのだろうか。馬鹿じゃないの。
えぐえぐと泣きじゃくる私の隣に、そっとピンクちゃんが寄り添ってくれる。私、レディ・エスメラルダなのに。だましていたようなものなのに。それなのにピンクちゃんは優しい。
ううん、ブルーもイエローも、私のことを気遣わしげに見つめてくれているのだから、結局皆優しいのだ。その優しさが、今はただ胸に突き刺さる。
マスター・ディアマンもレッドもまだ帰ってこない。
お願いだから早く帰ってきて。そう願い祈るのは、傲慢だろうか。
「柳くん」
「……なんですか」
「ときにきみは、NEWBORNを知っているか?」
「知ってるも何も、しろくんの会社の社名じゃないですか」
黒崎さんは何をいきなり言い出すのか。そんな場合では決してないのに、それでも反射的に答えると、黒崎さんはしたり顔で頷いた。
「ああ、そうだ。では、その意味は?」
「英語で『新生児』、だと思いますけど」
会社を設立する時に、あらゆる可能性を持つ新生児の未来にあやかってつけられた名前だと、会社のパンフレットには書かれていたはずだ。だからそれが一体どうしたというのか。
今更そんなこと教えてもらわなくたって、と、言いたくなったけれど、その前に黒崎さんに指先で唇を押さえられる。そして彼は笑った。
「『新生児』。日本語での別名を知っているか?」
「え……?」
別名? と首を傾げる私に、黒崎さんはいたずらげに笑みを深めて続けた。
「『新生児』、つまりは『みどり子』。柳くん、きみの名前だ。この意味が解らないほど、きみは愚鈍ではあるまい?」
「……!」
雷に、打たれたような衝撃が走る。
なに、それ。なんなのそれ。そんなの知らない。そんなこと、しろくんは一度だって言ってくれなかった。教えてくれなかった。
ああ、違う、私だ。私が、知ろうともしていなかっただけだ。
しろくんは。ずっと。私の。ために。
「それから今回開発されたノヴァだが、こちらの意味は解るか?」
「わか、らないです」
「そうか、ならば僭越ながら続けて自分が教えよう。ノヴァはNova。ラテン語で『新しい』、英語では『新星』。新時代エネルギーであるカオスエナジーを集めるにふさわしい、宝石を超えた『新しき星』の意だ。そして」
「……まだ、何かあるんですか」
「ああ。Novaは文脈によっては、『若い女性』のことも差す。解るかな、柳くん。マスター……金剛院創志郎殿にとっての『若い女性』なんて、後にも先にもきみだけだ。きみがもうレディ・エスメラルダにならずともすむように、代わりに作り上げた『若い女性』がノヴァなのだよ。はは、あのリアリストの創志郎殿がなかなかロマンチックな真似をしたものだな」
「――――――――――!」
ははははは、と、黒崎さんは軽やかに笑うけれど、こちらとしては何一つ笑えるものがない。言葉すら出てこなくなって、ひぐっと喉が奇妙な音を立てて、涙がぶわりとこぼれた。
しろくん。しろくん。しろくん。ずっと一緒にいてくれた私のヒーローは、出会った時からずっとヒーローでいてくれた。さよならなんて言う瞬間まで、彼は私のヒーローでいてくれた。そんなのってない。私がそれを望んだとはいえ、しろくんにはそんな私の身勝手なわがままに付き合う義理なんてなかったのに。
それなのに、全部、全部、しろくんは、私に付き合って、理想のヒーローでいてくれたのだ。
ああ、また爆発音が聞こえる。破壊された橋の対岸で、熱風が吹き荒れ、粉塵が舞い上がる。
その勢いはそろそろこちらまで届きそうな勢いで、ピンクちゃんが「レッドを信じて、あたし達も避難しましょ」と促してくれる。
でも、だめだ。壊れた人形みたいに首を振る。
だってレッドはマスター・ディアマンを無事に連れ戻すと言ってくれた。待っていてくれ、と、今の私にはその言葉にすがるより他はない希望をくれた。だから私は待たなくてはいけない。ううん、義務じゃなくて、私は待ちたい。
ここで、マスター・ディアマンと、レッドを。金剛院創志郎くんと、朱堂深赤さんを。
――――――――――ドォン‼
一際大きな爆炎が上がった。あ、ああ、観覧車が崩壊していく。炎が、煙が、何もかもを飲み込んでいく。
ピンクちゃんが悲鳴を上げ、ブルーとイエローが「レッド!」と叫ぶ。ドクターが「マスター!」と顔色を変え、いつだって涼しい顔のアキンドすら「これは……」と言葉を濁す。
あ、あ、あああ、やだ、やだよ、やだよしろくん。お願いだから戻ってきて。帰ってきて。朱堂さん、お願い、しろくんを助けて。二人一緒に、帰ってきてよ。
ぼたぼたと止まらない涙で、何一つまともに輪郭が捉えられない世界だ。現実感のない、けれどどうしようもなく残酷な現実の中で、私は、わたし、は、どうしたら、いいの。どうしたら、よかったの。
そう座り込んだまま燃え盛るばかりの炎を見つめる。
「しろくん、朱堂さん……!」
お願いだから、帰ってきて。そう声にならない声で呟いた、その時だ。
対岸をすっかり舐め尽くしていた炎が、割れた。まるでモーゼの十戒である。
一条の白い光が炎を割り、こちらに向かって一本の道を作る。
その、先にいるのは。
「しろく、ん、す、ど、さ」
あ、ああ、なんてことだろう。
ぼろっぼろのマスター・ディアマンに肩を貸しているレッドと、大人しくその肩を借りて自らの武器であるステッキを構えているマスター・ディアマンが、そこにいた。
「レッド!」
「マスター!」
こちらのメンツの歓喜の歓声を合図に、レッドの両腕のノヴァのブレスレットが光り輝く。そして彼は、マスター・ディアマンごと、地を蹴って、一足飛びでこちら側までジャンプしてきた。
…………高出力のカオスエナジーを使っているとはいえいくらなんでもチートすぎない? と思ったのはさておき、ただ二人をぐちゃぐちゃの顔で見上げるしかない私を見下ろして、レッドは誇らしげに笑った。
「言っただろう? 必ず連れて戻ると」
「頼んでないんだけどね」
「俺はマスター・ディアマンの頼みではなく、柳さんとレディ・エスメラルダの望みをかなえたかっただけだから気にしないでくれ」
「……本当にきみとは気が合いそうにない」
「奇遇だな、俺もそう思う」
信じられないような軽口を叩き合うレッドとマスター・ディアマンの姿を、ただ、見上げる。二人ともボロボロだ。マスター・ディアマンはハーフマスクをどっかに落としてきてるし、レッドはレッドでフルマスクがもうほぼほぼ意味を成していない。
本当にぼろっぼろである。どっちもトンデモイケメンのくせになんて姿だ。
でも。でも。
「――っしろくん! 朱堂さん!」
「っ⁉」
「みどり子ちゃ……」
「よか、よかった、生きてる、生きてる……! よかったしろくん、ありがとう朱堂さん、生きててくれてよかった、生きててくれて、ありがとう……!」
立ち上がりざまに、マスター・ディアマンとレッド、まとめて抱き締めるように抱きついた。絶望の涙が歓喜に塗り替えられていく。
ああ、生きて、生きていて、くれた。もうそれだけで十分で、それ以上の喜びなんてなくて、どうしよう、涙が止まらない。
「や、柳さん、泣かないでくれ」
「みどり子ちゃん、泣かないで」
「うるさい! 今泣かなくていつ泣くっていうのよ馬鹿!」
駄々をこねている自覚はある。けれど涙が止まらないのだから仕方ない。
ぎゅうぎゅうと力いっぱい、私の両腕では抱えきれない成人男性二人を抱き締め続けていると、不意にその二人から、力が抜けた。
え、と思う間もなく、二人まとめて私にのしかかってくる。
ちょ、ちょっと⁉ え、うそ、やだ、ここにきて力尽きたとかそんなことある? ってああああああ無理無理無理支えきれない……! と私も一緒に後ろに倒れ込みそうになったところを、イエローとブルーに支えられ、ピンクちゃんと黒崎さんがそれぞれレッドとマスター・ディアマンを私から引き剥がしてくれた。
「流石に疲れたようだな。安心するといい、気を失っただけだ。爆発も先ほどのものが最後のようだからな、後は行政に任せよう」
黒崎さんの言葉の通りに、救急車やパトカー、それからもちろん消防車のサイレンの音が近付いてくる。
そして私達は、黒崎さんが手配してくれたジャスティスメイカーのトレイラーに乗せられて、そそくさと崩壊したコズミックギフトランドを後にしたのだった。
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