第6章⑨
「し、ろ、く……」
カラカラに乾いた口で、マスター・ディアマンを、ううん、しろくんを、呼ぶ。
爆発音にかき消されそうなかぼそい声なのに、それなのに彼は嬉しそうに甘く微笑んで、優雅に一礼してみせた。
「さようなら、みどり子ちゃん」
――――――――――ドォン‼
一際大きな爆発が上がった。
その熱風と粉塵が、こちら側にまで一気に届く。そして向こう側は瓦礫ばかりで何も見えなくなってしまって、だから、だから私は。
「っしろくん‼」
「だめだ柳さん! 危ない!」
「放して! しろくんが、しろくんがっ!」
私がマスター・ディアマンのことを『しろくん』と呼ぶことに、ジャスオダメンツは戸惑っているようだったけれど、その中でもレッドだけは、なんとか対岸に行こうとして暴れる私を抱き留めて、なんとか押しとどめようとする。
やめて、邪魔しないで、しろくんが、しろくんが死んでしまうかもしれないのに、ここで黙って大人しくなんてしていられるわけがない。
でもそうだ、このただの一般ピーポーの私のままじゃどうにもならないことは事実なわけで…………そう、だったら!
「ドクター、アキンド」
「なんだよ」
「なんざんしょ」
「私はクビになってるから、始末書は任せたわ」
ドクター・ベルンシュタインが溜息を吐き、アキンド・アメティストゥがにんまりと笑う。反論はないようだ。ありがたい。まあ反論があっても無視しますけど。
そして驚きに固まっているジャスオダをスルーして、私はTシャツの下からエメラルドのペンダントを取り出した。
「レディ・エスメラルダ! メタモルフォーゼ!」
エメラルドがあざやかに怪しく輝いた。
その輝きが私を包み込み、瞬きの後に私は『柳みどり子』から、『レディ・エスメラルダ』へと変貌する。
ジャスオダの面々が、フルマスク越しでもその顔に驚きをあらわにするのが伝わってきた。
「柳さん⁉」
「みどり子がレディ・エスメラルダだったということですか⁉」
「そんな……!」
上からピンクちゃん、ブルー、イエローである。
彼らをだます形になっていたことは申し訳ないけれど、こっちにも致し方ない事情があったのである。そして、今、どうあっても失えない存在を失おうとしているこの現実を、私は何としてでも打破しなくてはならない。
マスター・ディアマン。しろくん。私のヒーロー。
最後の最後まで彼をヒーローにしたまま、私は彼を失うのか。そんなこと、どうして許せるだろう。そりゃあクビにされましたけれども、私はこんなさよならなんて嫌だ。何が『さようなら』だ。冗談じゃない。
しろくん。しろくん。しろくん。私、私は、悪の組織の女幹部だけど、でも、しろくんを、幼馴染のヒーローを、助けたっていいじゃない。お願いだから助けさせてほしい。
しろくんは私の手なんて必要ないかもしれないけど、でも、それは私が嫌だから。
解ってる、ただのわがままだ。
でも、それでも、私は。
火の海になった対岸を睨み付けている私の両隣に、それぞれドクターとアキンドが並ぶ。二人は私に、それぞれが手首に巻き付けていた、がっちりとしたブレスレット、というよりはベルト、と呼ぶべきものを差し出してきた。
そのベルトの中心で輝くのは、あらゆる色のシラーを集めた、火の手の中でも圧倒的なプリズムを放つ、大きな美しい宝石。
これは、と目を瞬かせると、フンとドクターが鼻を鳴らした。
「今日の大規模実験の目的は、この新開発人工宝石ノヴァの実用性の立証だったんだよ。コズミックギフトアイランドにはウチの会社もスポンサーとして参加してるからね、“上”の許可を得て、チケットに限りなく小さく薄くしたノヴァを仕込んでおいて、そこからカオスエナジーを収集する手はずになってたんだ。まあクビになったオバサンがいるとは思わなかったけど」
「そういうことでやんすねぇ。そんで、このブレスレットの大型ノヴァには、今日の取れ高のカオスエナジーがたっぷり込められてるでやんす。これでウチのマスターを助けに行ってもらいまひょか」
「……!」
そんなことになっていたのか。なるほど、ノヴァという新たなアイテムがそこまで使えるならば、確かにレディ・エスメラルダがお役御免になっても仕方がないと言えるだろう。どうせ私は鞭をしならせることしかできないポンコツですよすみませんねぇ!
何はともあれ、差し出された二つのブレスレットを受け取ろうと手を伸ばす。これで、しろくんを助けに行ける。絶対に、助けてみせる。
そう固く誓って唇を噛み締める私の目の前で、そのブレスレットが、二つともぱっと横からかっさらわれた。
……はい? なんで? 誰が?
瞳を瞬かせてそちらを見遣れば、ブレスレットを勝手にさくさくと自身の両手首に着けているレッドがいた。
いやなんでやねん‼‼‼‼‼ 思わず関西弁で突っ込んでしまうくらいに意味が解らない。
「ちょっ、レッド⁉ あんた、この期に及んでまだ私の邪魔を……っ」
「俺が行く」
「はあ⁉」
ここにきてまたレッドのトンデモ発言が飛び出した。
俺が行く? は? 俺が行くとか言い出しましたよこのひと⁉ 何言っちゃてんの⁉
ほら他のジャスオダメンツもめちゃくちゃびっくりして……嘘でしょびっくりしてないじゃんめちゃくちゃ「あー……」って納得した顔してるのがフルマスク越しでも伝わってくるじゃんどういうこと。
「俺が、マスター・ディアマンを助けてくる。だから柳さん……レディ・エスメラルダ。あなたには、待っていてほしい」
「あんたにとってウチのマスターは敵でしょ⁉」
「だが、柳さんにとってもレディ・エスメラルダにとっても、大切な人なのだろう?」
「っそう、よ! だから!」
だから、私が、と、そう続けようとして、できなかった。レッドが私を抱き締めてきたからだ。
ちょっと思考が追いつかない。そろそろパンクしそう。というかもうしている気がする。もうやだこのひとほんと意味わからん。
「必ず、無事に連れ戻す。さよならなんてさせやしない。だから、待っていてくれ」
耳元でささやかれた固い誓いのような言葉に、足から力が抜けた。
すとん、とその場にへたり込む私に頷いて、レッドはぐっと両手の拳を握る。その意思に応えて、彼の両手首のブレスレットのノヴァは輝き、彼の身体を包み込む。
――――ダンッ!
そしてレッドは地を蹴った。一足飛びで火の海となっている対岸まで飛び込んだ彼は、そのまま姿が見えなくなる。私は座り込んだまま、ただその光景を見つめていることしかできない。
風向きとしてこちらに火の手が向かってくることはなさそうで、安全が確保されているからこそ、対岸の恐ろしい光景が改めて信じられない。立ち上がりたいのに、立ち上がれない。
幼女を逃がしたジャスオダメンツがちらちらとこちらを窺ってくるし、ドクターは睨み付けるように対岸を見つめていて、アキンドはまあいつも通りのひょうひょうとしたツラである。
それぞれが異なる表情を浮かべているけれど、共通しているのは、マスター・ディアマンと、レッドへの心配だ。
しろくんはどうして私を助けたのだろう。見捨ててくれてよかったのに。勝手にクビにしてくれやがったくせに、こんなところで助けてもらえたって、私、何にも嬉しくないのに。
しろくん。しろくん。朱堂さんにまで迷惑かけて、彼の言葉を鵜吞みにしてしろくんを託して、私はこうやって何もしないまま座り込んでいるだけで。
私、何してるんだろう。
考えれば考えるほど涙がこみあげてきて、もうハーフマスクなんて着けていられなくなってしまった。もういい、この場のメンツには顔バレしてるんだからもういいでしょ。ぽいっとハーフマスクを放り出し、込み上げてくる嗚咽を必死に抑え込む。
そんな無様な私のことを周りはただそっとしておいてくれているのがありがたい。でも、それは涙を止めてくれる理由にはなりえない。
私、私が、しろくんを助けたかった。それが無理なら、いっそのこと、一緒に――――。
「……ああ、ここにいたのか」
突然割り込んできた第三者の声に、誰もが一斉にそちらを向いた。
黒づくめの衣装に身をまとった彼のことを、この場の誰もが知っていた。
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